梓
「姫様、ちょっといいですか?」
さすがに姫たちのいる部屋の障子を勝手に開ける訳にもいかず、廊下から声をかけた。
「なに?」
中から姫の声がした。
「ちょっとお話が」
そう声をかけると、姫が障子を開けて、顔を覗かせた。
俺は言葉ではなく、指で少し先の部屋を差す。
あれ?
これって、過去に立場が逆で、似たような事があった気が。
俺が目指すのは、この旅籠の親父からほんの少しの間だけ貸してもらっている小さな小部屋。
その部屋の前までたどり着くと、障子に手をかけて、姫に視線を向けた。
「ここは?」
姫の言葉に、やはり一度もいい事がなかった過去の似たような場面が蘇る。
その思いが俺をうなだれさせる。
「ちょ、ちょ、ちょっと二人っきりになりたくて」
鼓動が高鳴り、どもってしまった。
障子を開け、部屋の中に視線を向ける。
「あれ?」
思わず声が漏れた。
月明りが差し込むその部屋の中には、枕二つを並べた布団が敷いてあった。
「なに?
入らないの?」
固まった俺の横から、姫が障子をさらに開いた。
「なに、これ?
死にたいの?」
妙椿ではないかと思われる謎の妖が放つ禍々しい気をも超えるほどの恐ろしい殺気を放って姫が言った。
「こ、こ、これは勝手に旅籠の主人が誤解したもので。
私も今、初めてこんな事になっているって知りました」
「で、廊下では話せない事なの?」
「は、は、はい。
今、片付けますので」
「まあ、いいわ」
そう言うと姫は部屋の中に入って行って、布団の上に正座すると、少し離れた床を俺の座る場所として指さした。
あの時のように対座した位置から押し倒すには少し遠い。
安全な距離を確保し、とりあえずこのままで話だけは聞いてやる。そう言う事だろう。
大人しく、距離を取って床に座る。
「私を呼び出した理由はなに?」
「姫様は何か知っているんじゃないですか?」
「梓の事?」
姫は俺の言葉の意味を理解していた。
俺は言葉にできず、頷く事で姫に答えた。
「そうね。
で、知りたいのはどっち?
佐助との事?
それとも、もう一つの方?」
「両方気になるんですが。
やはり、梓ちゃんは佐助の事が?」
「まずはそっちか。
あの二人の間に、緋村が思うような事は無いから、気にしないで」
「では、どうしてあの二人は?」
「そこはいずれね。
で、もう一つの方だけど、緋村も薄々気づいているんでしょ。
でも、本当は心の底で願っているのは私の口から否定の言葉が出る事」
はっきり言って、図星だ。
「で、もし、私が否定しなかったらどうするの?
いい?」
姫はそう言うとびしっと俺を指さした。
「相手の自分の見たいところだけ見て、見たくないところを見ないふりしていて、本当に愛し合えると思う?
そんな訳ないじゃない。
見たくないところがあっても、受け入れる。そんな事が出来ない程度の想いなんだったら、梓の事は諦めなさい!」
確かに言っている事は正しい気がする。そして、その前提は梓が……。
俺も覚悟を決めた。
「じゃあ、やっぱり梓は妙椿?」
「んな訳ないじゃない」
「えっ。そうなんですか。
よかったぁぁ」
「へぇ。緋村って、緊張緩むとそんな顔するんだぁ」
思わずほっとした安堵感と嬉しさが入り混じった俺の顔を見て、姫がそう言った。
「だけどね」
そんな俺の胸をドキッとさせる言葉を姫が付け加えた。
「だ、だ、だけど?」
「あの子は妖なんかじゃなくて、普通の女の子。
それは確か。だけどね、緋村が気にしている事と深ぁぁぁぁく関係しているのは確か」
「それはどう言うことですか?」
「それは今は言えないなぁ。
見たまんまの梓を受け入れられないのなら、梓の事は諦めなさい」
そう言い終えると、姫は立ち上がり、一人で部屋を出て行った。
俺の頭の中は混乱気味だ。座ったまま立ち去れずにいると、障子の前に人の気配がした。
すっと開いた障子から、姿を現わしたのは梓だった。
「あ、あ、あの。
佳奈から、この部屋で緋村様が待っているからと言われて」
あの姫はなんてことをするんだ。
俺と梓で話し合う機会を作ってくれたんだろうが、急すぎる。
いや、これは俺の迷いを吹っ切るために姫が作ってくれたのかも知れない。
俺は決めた。
梓には何か秘密があるとしても、その全てを俺は梓として受け入れる。
「梓ちゃん、おいで」
「は、は、はい」
少し戸惑いながら、梓が部屋の中に入って来て、俺の近くに座った。
「梓ちゃん。君は何も心配する事はない。
俺は君の味方だよ」
「で、でも、私」
姫じゃないが、立てた人差し指を梓の唇にあてがった。
その先に梓が自身の秘密を語るんだったとしても、それを俺が知る必要は無い。
目の前にいる梓が全てだ。
「前にも言っただろ。
梓ちゃんは梓ちゃんのままでいいんだ。
梓ちゃんに秘密があったとしても、それも含めて梓ちゃんだ。
俺はずっと梓ちゃんの味方だ」
「ずっと、ずっと」
「ああ。ずっとだ。
俺は君が好きなんだ」
そう言って、梓をぎゅっと抱きしめた。
俺はどうしようもないくらい、この子の事が好きなんだ。いまさらだが、俺は気づいた。