表裏一体の光と陰
「さて、大輔さん。
約束通り川を造りましょう。
どこをどう通すかは決まっていますか?」
申世界に入り、大輔に会うと姫は軽い口調でそう言った。
大地を削り取り、裂土羅隠をも切り崩すと言う大工事だと言う自覚がないのではないだろうか?
まあ、確かに本人は何もしないのだから、大工事と思っていない可能性が高いか……。
そう切り出した姫を大輔が案内した場所はこの申世界の中でもさらに何もない場所だった。
「なるほど。
何もない場所ですね。
ここに川を通す訳ですね」
「はい」
大輔が俺達と歩く姿は瞬く間に申世界の人々をかき集めていた。それだけ川と言うものにここの民の期待が高いのだろう。そして、それを証明するかのように、姫と大輔の会話を聞いていた民衆から歓声が沸き起こっている。
「では、行きますよ」
姫はそう言うと、犬王の剣を抜き去り、天空に切っ先を向けて叫んだ。
「いでよ、犬王!」
辺りは一瞬にして闇に包まれた。
そして、遥か天空に浮かび上がった白い点が一気に近づいて来た。
「今回は速いですね」
大輔がそう言い終えた時には、すでに天空に伏姫と八房の姿があった。
「浜路姫よ。まだ、その者を伴っておるのか?」
「そこにはこだわらないでくれないかなぁ」
また姫は言ったが、三猿の若君なんだから、伏姫から見たら気になって仕方ないはずだ。
「まあ、よいわ。
して、願いはなんじゃ?」
「裂土羅隠の一部を切り崩して、猿飼の地より川を引き込んでほしいの」
「浜路姫よ。
とんでもない事を簡単に言うのう」
「できるでしょ?
八房が別の時空にいた事を考えれば、時空を飛び越えるために消費するエネルギーを考えたら、そんな事くらい大したエネルギーじゃないよね?」
「意味はよく分からぬが、出来ない事はないが、なぜ申世界に川を造るのじゃ?」
「この世界に平和をもたらすためよ」
「よいか、浜路姫。
姫がこの世に生まれた理由を分かっておるのか?」
「知ってますよ。
光あるところに陰あり。
陰あるところに光あり。
光と陰は表裏一体。この世に光が生まれると同時に陰が生まれる。逆も真なり。陰が生まれると同時に光が生まれる。その光としてこの世に生を受けた者が私。
そして、私の使命は陰からこの世を守り、平和な世を作る事でしょ?」
今一つ、俺には理解できない話だ。これは元の姫が先帝から聞かされていたのかも知れない。
「ならば、分かっておるであろう。
そのために、八犬士がおれば、我らもおるのではないか」
「力で築いた平和って、さらに強い力によって、いつか崩れるんだよね。
これまでどれだけの国の支配者が変わっていった事か。
やっぱ、宇宙戦争だって終わらせちゃうんだから、文化の力ですよ。
おお! プロトカルチャー! ってやつですよ。
そのためには、申世界の人々も穏やかに安定した生活を送れるようにする必要があるんですよ」
「もうよい。
姫と話しておると頭が痛とうなる。
で、どこに川を造ればよいのじゃ?」
「甲斐族の国の領域は私の頭の中を覗いてくれないかなぁ。
申世界側は大輔さんの頭の中を覗いてくれないかなぁ。
橋も頭の中の場所に。で、その川の上に私たちが申世界から川を下って出るための舟も用意しておいてくれないかな?」
「また願いが一つではないではないか」
「今さらでしょ。
それに川を造る事に比べたら、船くらいどうって事ないでしょ」
「分かったわ。どんな船でもよいのだな」
「私たちが乗るだけの広さがあればね」
「ならば叶えようぞ」
そう言い終えた時、闇は霧散し、目の前に陽光をきらきと反射する水面が広がっていた。
「わぁぁぁぁぁ」
俺たちを背後で見守っていた民衆から大歓声が沸き起こり、一斉に川に向かって駆けこんで行った。
「す、す、凄いです。
甲斐族に伝わる犬王の力は本当にこんな事までやってのけられるんですね」
大輔が感嘆の声を上げている。
そんな大輔や申世界の人に比べ、めっきり暗い顔をしているのは姫だ。
「伏姫って、いじわるなの?」
そう言った姫の視線の先には川岸に泊まっている二艘の舟があった。その内の一艘は小さな木の舟。もう一艘は大きめの泥船だった。