妙椿?
捕らえられていた女の子たちは解放した。
しかし、今回も船虫の遺体は見つからなかった。
つまり、これからもまだあの女に狙われ続けられる。
その事は分かっていたはずだと言うのに、梓と松姫から目を離してしまった。
居場所を転々としているらしい最後の八犬士を求め、再び足を踏み入れた明地の領国。町の賑やかさに惹かれた二人の町の中を見てみたいと言う言葉を拒否できなかった俺の負けだ。
「約束通り、一人で来たぞ」
町はずれの廃れた寺院跡の境内で言った。
辺りに潜んでいた黒装束に身を包み、様々な獲物を手にした男たちが姿を現した。
梓たちの安全を確かめずにやられる訳には行かない。
「梓と松姫はどこだ?」
そう叫びながら、諸刃の剣を構えた。
「ここだよ」
いずれは崩れ落ちるのではないかと思われるほど傷んだ元は本堂であったと思われる建物の廊下に船虫が姿を現わした。
手にした短刀を梓の喉元にあてがい、その横にはやはり忍びらしき男が松姫の喉元に短刀を突きつけて立っていた。
「お前が何もしなければ、こいつらの命は保証してやるよ」
船虫が言った。
「お前は松姫の命を狙っていたんじゃなかったのか?」
「そうさ。
松姫がいなくなれば、猿飼の地の正統な継承者はいなくなるからな。
だが、話は変わったんだよ。
この者たちの大勢の仲間がお前たちに殺された。
その復讐をしたいんだとさ」
「なら、たずねるが、俺を殺した後はどうする?」
「お前を人質にとったと言って、浜路姫を呼び出すのさ。
そして、その次は八犬士を一人ずつさ。
一人ずつ、そして人質さえあれば勝機はある」
「汚い事をしやがる」
「この者たちは侍じゃないからね。
どんな手を使っても勝てばいいのさ。
分かったか。
緋村、刀を地面に置け」
松姫と梓を人質にとられている以上、他に手は無い。
覚悟を決め、諸刃の剣を地面に置いた。
船虫が男たちに視線を向けた。
「やれ!」
その船虫の言葉で男たちが俺に襲い掛かろうとした時だった。
船虫からあの禍々しい気が一気に沸き起こった。
が、それはすぐに別の場所に移った。
俺を襲って来る男たちより、俺の全意識はその禍々しい気の場所に集中した。
そこには透き通るような白い肌を色鮮やかな着物に包み込んだ、長い髪の女が立っていた。
「待ちな!」
その女はそう言った。
男たちの動きが止まった。
その女の言葉で止めたのではない事は男たちの反応ですぐに分かった。
何か結界のようなものが、俺の周りに張られていて、斬りつけられないみたいだ。
「な、な、何者だ」
「ここは女の来る場所ではない」
突然現れた女と自由に攻撃できない事に戸惑いを見せてはいるが、この男たちはその女が放つとてつもない禍々しい気には気づいていないらしい。
女の近くにいた男がその女の肩に触れようとしたが、犬江が八房の子供の妖を斬ろうとした時と同じように、その手は虚しく空を掴んだ。
ただ、犬江の時とは違い、それだけではすまなかった。
その男は見る見る干からびて、骨と皮だけの物体に化した。
「やはり、人の生気をいただくのが一番じゃ」
そう言うとその女は音も立てずにすーっと男たちに近づき、次々と触れては骨と皮だけにしていった。
「これが妙椿?
だが、なぜ味方を襲っている?」
俺はいつ自分に襲い掛かって来るか分からない女に備えるため、諸刃の剣を構えなおした。
そして、俺を取り囲んでいた男たちもばかではない。
仲間の1/3程度を失った段階で、これは勝てる相手ではないと悟ったらしい。
算を乱して、逃げ出そうとした。
そこに新たな妖が現れた。
おれはその滑稽な姿に見覚えがあった。
裸婦照の最初の鳥居の封印を破る置物。姫が信楽焼の狸と称した物の姿だ。
笠を被り、手に徳利を持ち、逃げ出そうとする男たちの前に徳利の中の液体をぶちまけた。
その液体は止めどなく流れ出し、まるで堀でも作るかのように、俺達を包囲した。
俺にはその危険性がすぐに分かったが、男たちはその液体の怖さを知らなかったらしい。
男たちは戸惑いも見せず、その液体に足を踏み入れ、逃げようとした。
液体に触れた足は白煙を立て、皮膚と肉が削げ落ち、骨がむき出しになる。
筋肉を失った足は動かす事はおろか、体を支える事すらできず倒れ込み、肉体全てが熔解していった。