割られた玉
「いやあ、あなたたちも強いねぇ。
しかも怪しげな術まで使うし。
まあ、術無しなら、俺の方が強いだろうけど」
その少年はそう言いながら、俺達に近づいて来た。
明らかな敵意や殺意は纏ってはいない。
が、油断はならない。
いつでも、抜刀できるよう、全神経を少年の動きと柄を掴む右手に集中させる。
「待たれよ!」
そんな俺の気配を察したのか、隣に立っていた犬田が俺に向けて言った。
「あの者、八犬士では?」
そう犬田が言い、振り返って姫に目を向けた。
犬田の言葉は正しかった。
いつもの事だが、犬王の剣の鞘に飾られた玉が輝き始め、仁と言う文字が浮かび上がっている。そして、その玉は鞘から放れ、少年に向かって飛んで行った。
今までの八犬士たちは額にこの玉の直撃を受け、雄たけびを上げ、姫の忠犬となった。
この少年もそうなるものと思っていたが、少し様子が違った。
額に向かって、かなりの速さで飛んで行ったその玉を、紙一重でかわしたかと思うと、再び向かってこようとする玉に向けて、刀を向けた。
「おい。お前、待て」
「それはお前を襲っているのではない」
「それを受け入れるのがおぬしの務め」
八犬士たちが少年に向かって大声を張り上げているが、刀を納める素振りはない。
そして、自分に向かって来た玉に向けて、少年は刀を振り下ろした。
キン!
甲高い音を立てて、玉は真っ二つに割れて、地面に落下した。
「あちゃあ。
こんな場合、どうなるの?」
姫が言ったかと思うと、姫の口調が変わった。
「緋村。私の手を引いて、ここから逃げるのよ」
「はい?」
「ご、護衛として働かせて上げるって言ってるの。
さあ、早く、私の手を取りなさい」
「は、はぁ。
ともかく、皆さん、逃げろと姫様が」
忠犬たちは姫の名が出た事で、少年に刀を向けたまま、後ずさりを始めた。
「あんたたち。
俺を殺そうとしたよね?」
少年は完全に誤解している。しかも、八犬士である以上、殺す訳にも行かない。
「梓、逃げるぞ!」
「はい!」
梓が空いている俺の左手を掴んだ。
「梓ちゃん。ずるい!」
「松姫、今は逃げましょう」
そう言って、俺は右手に姫、左手に梓。そして、着物の背中を松姫につままれた状態で、逃げ出し始めた。
「敵に背を向けるとは、武士にあるまじき行為。
全員、誅殺してくれる!」
少年の声がした。
姫たちを守るには、あの少年の動きを知らなければならない。
そんな思いで、ふり返った俺は見た。
地面に落ちた玉から、犬の妖が舞い上がるのを。
そして、そいつは大きな口を開け、少年に襲い掛かった。
「妖か!」
犬の妖に気づいた少年が刀を空に向けた。
「てぇぇぇい!」
自分に襲い掛かって来る直前に、その犬の妖に刀を振り下ろした。
が、妖は実体がないらしく、少年の刀は虚しく空を斬っただけだった。
そして、大きく開いた口に少年は飲み込まれた。
「あ、あ、ありがとう。
別に手をつないで欲しかった訳じゃないんだからね」
姫はそう言うと犬の妖の前に進んで行った。
犬の妖は地面に突っ伏したままで、じっと姫を見つめている。
「あなた。八房の子供だよね」
「いかにも」
「私は伏姫の力を継ぐ者。
私に忠誠を誓いなさい!」
そう言うと、犬王の剣を抜き放ち、犬の妖に斬りかかった。
この姫は俺が知っている元の姫だ。
刀に勢いも無ければ、刀の軌道も目標の妖からずれている。
「おぬしがわが父を従える者だと言うのなら、我を力でねじ伏せてみよ。
そのような刀で我を抑えられるものか」
犬の妖が鼻をひくひくさせて笑っている。
「今度はこちらから、行くぞ!」
犬の妖は一旦退いた後、加速をつけ姫に襲い掛かった。
「たわけ!」
姫は素早く犬の妖が振り上げた前足をかわしたかと思うと、そのまま後ろ足を剣で振り払った。
少年の刀では斬れなかった妖だったが、犬王の剣では斬る事ができるらしく、妖は後ろ足から血を流している。
この太刀捌きは元の姫ではなく最近の姫の動きだが、さらに力を付けている。以前、俺は姫に練習試合で勝ったが、今の姫なら油断すれば負けるやも知れない。
そんな思いがこみ上げ、生唾を飲み込んだ。
「おのれぇ。
我の力を思いしれ!」
そう犬の妖が叫んだ時、真っ黒な雷雲が空一面を埋め尽くし、雷鳴がとどろき始めた。
「ちっ、こいつ雷撃を使うんかい!」
姫らしからぬ舌打ちをしたかと思うと、犬の妖に突撃をかけた。
「その度胸、買ってやろう」
犬の妖も姫に襲い掛かった。
姫目がけて再び前足を振り下ろす。
と、見せかけて、着地した前足を支えに体を横向きに変えた。
さっきと同様、前足をかわしながら、後ろ足に狙いを定めていた姫の攻撃を完全にかわし、姫の側面を突く作戦だ!
が、姫はそれを読んでいたのかも知れない。
前足をかわした姫は、そのまま後ろ足を狙わず、反転して剣を構えていた。
体勢を横向きにした犬の妖の顔の前面に姫の剣が襲い掛かる。
「わぉぉぉぉぉぉん!」
顔面に犬王の剣を突き立てられた犬の妖が絶叫とも雄たけびとも分からない声を上げると、妖の周辺に白い煙が立ち込めた。
そして、その煙が消え去った所に、姫とあの少年が立っていた。