長老が描いた肖像画
「犬王様、つまり八房と伏姫の事を知りたいと申されるのか?
犬王の血筋でもある姫様が、この私に?」
佐助の里の長老はしきりに私の顔と手元の紙の間を行ったり来たりさせていた視線と、筆を握る手を止めて、私に言った。
さっきまでの会話では、全くそんな事をしなかった長老が一瞬、真剣になったと言う事だと思うと、私が犬王の事を知らないと言うことが、それほど意外な事だったに違いない。
「かつて存亡の危機に陥った里見義実様は敵の安西景連の首をとって来れば、娘伏姫を与えると申されてなぁ。その敵の首をとって来たのが義実様の飼い犬だった八房だった。後になって分かった事なんだが、八房は義実様が斬首した山下定包の妻 玉梓の呪詛を受け、最強の妖の力を身につけておった。
義実様は犬に娘を渡す事を渋ったのだが、伏姫自身が君主が自分の言葉を翻してはならないと申し、八房と共に富山に入ったのだ」
長老がそこまで言った時、これによく似た伝奇を子供の頃に読んだ事がある事を思い出した。
「八犬伝か!」
「姫様、思い出されましたか?
左様、この出来事は八犬伝として言い伝えられ、里見家が帝位に就くきっかけとなっておりまする。」
「うーん。八犬伝はただの物語だったんだけどなぁ。
それに里見の家は皇帝なんかじゃないし」
なんて、言葉に出し終えた時、長老は再び紙に何かを書き始めていた。
「長老!」
「なんですかな?」
そう言いながらも、筆がせわしなく動いていて、もう私への興味が消え去ったとしか思えない。
「さっきから、何をなされているのですか?」
「ふむ。もうすぐ出来上がりますので、少々お待ちください」
「もうすぐって、本当にもうすぐなんですよね?
佐助がこの里はすぐそこと言ったのに、すっごく遠かったんです。
同じなんて事はないですよね?」
「ほれ、できた!」
そう言って長老が差し出した紙には、私の顔が描かれていた。
まとめた長い髪に刺している簪。しかもその簪も、髪もおくれ毛など細部まで描かれている。
豊かな頬と通った鼻筋。
大きくも小さくもない口と、ほんの少しだけ垂れてはいる大きな瞳。その瞳も丁寧に描きこまれていて、はっきり言って上手!
「京○ニか!
て言うか、なんで、そんなもの描いてるんですか?
肖像権侵害で訴えますよ」
「姫様、しばらくお世話になるんですから、長老の趣味には目を瞑ってください」
「あれは趣味なの?
それに世話になるって言うけど、私たちに味方する気はないんじゃなかったの?」
「味方はしないとは申したが、姫様に敵対するとも申してはおりませぬが。
しばし、この里に身を潜められても私どもはかまいません。
と言いますか、姫様が滞在しておられる間は、我々が責任を持って姫様たちの身を隠しとおします」
その言葉にちょっと感謝の気持ちを持ち始めた時、長老の続く言葉がその気持ちを霧散させた。
「この里に姫様方が潜んでおられる事がばれますと、我らが王家の争い事に巻き込まれてしまいますからなぁ」
まあ、なにはともあれ、少しの間はこの里にいれそうだった。