音々
八犬士の気配をたどり、俺達がたどり着いたのは葉芝の領国。その中心 永浜。
多くの人々が行き交い、売り買いの声も飛び交い活気に満ち溢れている。
「八犬士の気配、近くなってきております。
おそらく、この人ごみの中のいずれかにおられるのでは」
犬塚が言った。
「そうね。かなり近いはず」
そう姫が言った時だった。
いつもの通り、犬王の剣の鞘に取り付けられている石が輝き始めた。
浮かび上がっている文字は忠。
その玉が鞘から離れ、向かって行った先には浪人姿の男がいた。
「わぉぉぉぉぉぉん!」
これもいつもの事だが、その男は雄たけびを上げた。
そして、多くの人がいると言うのに、その男は一切迷うことなく俺達の下に駆け寄ると、梓や松姫ではなく、姫の前に平伏した。
「姫様。私、犬山道節、姫様のため、身命を賭して忠誠をお誓いいたします」
この姫は元の姫ではないらしい。だが、この大勢の中から迷わずこの男が駆け寄って来た事からも、間違いなく八犬士を束ねる者。俺は改めてそう認識した。
「頭を上げて」
姫はその男の手を取り、立ちあがらせた。
男は姫のあのセーラー服とか言う異様な服装を目の前にしても、何の反応も示さない。
「これから、よろしくね。
ところで、特別な力を持っているんですよね?」
「はい。
私は炎を自由に操る事ができます」
「おお。火拳のエー○かぁ。
それは頼もしいね」
「ありがとうございます。
姫様。ただ、一つだけ、お願いしたき儀がございます」
「なんですか?」
「これより、姫様といかなる場所にもお供させていただきます。
ですが、その前に私を育ててくれた音々《ねね》様にごあいさつをいたしたく」
「寧々《ねね》って、もしかして、葉芝の正妻ですか?」
「音々様をご存じで?」
「名前だけね。
もしよかったら、私にも紹介していただけませんでしょうか?」
「もちろん」
普通、葉芝の正妻と会うなんてのは簡単ではなく、ここは拒否するところだろうが、さすが忠犬である。即答で了承した。
葉芝の正妻は葉芝の城の中にある離れに住んでいた。
部屋の戸は閉じられ、中を覗くことはできない。
犬山は相手が葉芝の正室だと言うのに、遠慮することなく離れの庭の中を進み、大声を張り上げた。
「かか様」
「道節ですか?
どうしました?」
そう言って、中年の女性が部屋の中から、廊下に姿を現わした。
「かか様。
ここまで育てて下さり、ありがとうございました。
しかし、私、新たな使命に目覚め、その全うを果たすべく、旅に出とうございます。
そのお許しを頂きにまいりました」
「その旅の友とは、そちらの方々ですか?」
音々が俺たちに視線を向けて言った。
「はい」
「そうですか。
道節はもう立派な侍に育っています。
そなたが決められた道を歩むのがよろしかろう」
「かか様。
ありがとうございます。
これまでの御恩、忘れは致しませぬ」
「いいえ。それはもうよいのですよ。
共に暮らした日々。そこで私も楽しませていただきました。
新たな仲間にあなたの全てを捧げなさい」
「ははっ」
犬山が音々に頭を下げた。
「寧々さん。
葉芝様の事を少しお聞かせいただくことはできませんでしょうか?」
姫が言った。
「その奇妙な服装、あなたは異国の方ですか?」
「はい」
姫はきっぱりと嘘を言い切った。
「葉芝様の両国は他国に比べ、繁栄しております。
きっと葉芝様の人となり、民への慈しみによるものではと考えております。
今後、お付き合いさせていただくに当たり、葉芝様と言うお方を知っておきたいと考えております」
「そうですか。
では、何からお話をさせていただきましょうか」
そう言って、音々は姫に葉芝の事を語り始めた。
その内容をまとめるとこんな感じだった。
葉芝秀吉。出生地はよく分かっておらず、おちょぶと言う女と流れて来た。
里見家の下士官に位置する家系の一人娘である音々は、秀吉の熱心な口説きに負けて、秀吉との婚儀を承諾した。
下士官の地位を手にした秀吉は仕事への熱心さ、武功、策謀と多岐にわたる才を発揮し、今の地位まで上り詰めた。
自身が貧しい家の出身だったためか、民への配慮には事欠くことなく、その領国は繁栄し、民からも慕われている。
音々と秀吉の間には子ができず、今は以前に別れたはずのおちょぶを伴い戦場を転戦している。
「なるほど。
で、失礼な事をお聞きしますが、やはりサルに風貌が似ておられるのですか?」
「ほほほ。
亡き上様より、サルと呼ばれていた事は承知しておりますが、理由は分かりませぬ。
風貌はサルと言うより、仁王の方が似合っていそうなお方ですから」
「そうでしたか。
ありがとうございました。
道節殿。確かにお預かりいたしました」
姫はそう言うと音々に深々と頭を下げた。