船虫
町中を外れると人気がめっきり減った。
左手には山が、右手には谷があるだけだったが、道の先に明地の関所が見えて来た。
この関所にはそれなりの兵を揃えているらしく、多くの人の姿が見て取れる。
「姫様、万が一と言う事も」
警戒した方がいい。そんなつもりで言った。
姫は梓たちから離れ、俺のところまでやって来ると、横に並んだ。
「緋村。ありがとう。
横にいていいかな?」
もしかして、元の姫が?
なんて、期待したものの、どうやら外れらしい。
俺に興味も示さず、ただ横を歩いているだけだ。
そんな時だった。
ヒュン!
矢の音だ。
どこだ?
柄に手をかけ、諸刃の剣を抜き去った時には、姫が矢を犬王の剣で叩き落としていた。
森の中に敵が潜んでいる。
「姫様」
「姫様」
忠犬たちが姫を取り囲み、人間の盾となった。
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
最初の矢が失敗した事で、一斉に矢を放ってきた。
「犬村さん!」
姫が犬村の名呼んだ。
犬村が右手で振り払うような仕草をした。
突如、強風が巻き起こり、向かって来ていた矢全てはどこか彼方に吹き飛ばされた。
「かかれぇ」
その言葉に合わせて、山中から大勢の男が現れた。
身に纏っているのは、こぎたいな服、熊の皮。
「山賊?」
騒ぎを知った関所の兵たちも駆けつけて来た。
「こいつらは山賊か?」
「おうよ。俺たちは山賊よ」
自ら山賊と名乗った男たちに、兵たちは一斉に抜刀した。
山を背にした山賊たちに対峙するのは、俺達とその側面で戦闘態勢に入った兵たち。
戦うまでもなく、結果は見えている。
「山賊さんにしては体きれいね」
姫が言った。確かに垢まみれと言う風ではない。
その言葉に山賊たちは答えず、襲い掛かって来た。
戦いが始まった。
「犬飼さん」
姫は戦いから引き下がると、犬飼を呼んだ。
「梓、松姫、緋村、八犬士のみなさん。こっち」
姫が戦いの輪を抜けた場所で手招きしている。
そして、俺達を襲っているはずの山賊たちは姫の所に向かう俺達にはかまわず、何もない空を斬ったりしている。
どうやら、幻術にかかっているらしい。
「今はどういう状態で?」
「緋村。まあまあ落ち着いて。
本番はこれからよ。
犬飼さん」
姫の言葉に犬飼が頷いた。
「やったぞ」
「おう。全員討ち取った」
男たちは歓声を上げている。
しかも、山賊だったはずの男たちと兵たちが共に、喜びあっている。
「あ、これは船虫様」
男たちが何やら動揺し、頭を下げている。
「船虫って?」
「緋村。山賊も明地の兵士。
駆け寄って来た兵たちは、山賊たちと戦うように見せかけ、私達を横から襲うつもりだったんだよ。
今、奴らは松姫を襲った女の姿を見て、跪いている。
その女の名は船虫と言うみたいだね。
しかも、奴らが跪くくらいだから、それなりの地位。
佐助!
見た事はないって話だったけど、ここまで分かったんだから、女の素性は答えられるよね?
船虫って、何者?」
「いやあ。姫様、剣の腕には驚いてましたが、頭も切れるんですね。
胸が無いのが玉にきずってやつですか」
「余計な事言ってないで、答えなさい」
「明地ご宿老、溝小茂朝の正妻 船虫様」
「溝小と言えば、猿飼の城を占拠していた奴だね。
明地の家も一枚岩じゃないのかもね。
さあ、今の内にこの関所、抜けるよ」
「しかし、姫様。
その船虫と言うのが、妙椿かも知れないじゃないですか?
このまま見過ごされるのですか?」
「うーん。船虫が妙椿ねぇ。
ま、いいんじゃない。
行きますか、○さん、格さん」
また、いつもの意味不明なセリフを言ったが、忠犬たちは当然のように付き従い、姫と一緒に関所を通り抜けて行った。