斡旋
いざ腰を下ろすと身体中からドッと疲れが溢れ出した。外出自体が久し振りだったので、何時か来た覚えのある店の内装も初めて見た気がしてしまう。
「此処は前にも来た事あったよね」
「ああ、中三の夏だったな。それからも何回か来てた筈だぜ」
隣に座っていた雅美が相変わらず落ち着いた声で、やや楽し気に答えた。良く覚えてるよなあと感心しながら品書きに目を通す。ラーメン、飯類、焼き鳥の順で書かれたそれの感触が懐かしくて、指の腹で幾度か擦ってしまった。
「どうしよっか」
「あたしは無論ラーメン」
「僕はおでん」
「決まりか。すみません、ラーメンとニラ玉一つずつ」
注文を聞いた店のおばさんが返事をして厨房へ引っ込むのを見届けた後、カウンターの隣でコポコポと煮えていたおでんを皿によそいに行く。必要な分だけ中身を取ると厨房の方へ幾つ取ったと伝えてまた椅子に座った。
「折角ラーメン屋に来たのにおでんだけかよ。もしかして嫌だったか?」
隣の席でラーメンを待っている雅美が顔を覗き込んで来た。要は内心ドキリとしたが、表面上は落ち着いて返事をする。
「違う。そういう気分なんだよ。そっちこそ良かったの」
「何がさ」
「何か女子高生ってもっとシャレオツなとこが好きそうなイメージだったから」
彼女は可笑しそうに笑った。
「あたしはそんなの気にしてないよ。ダイイチ人の多い所に神崎連れてったらパンクしちまうだろーが。此処に来たかったしな、またお前と一緒に。それで、話なんだけど…」
おでんも未だ熱いし、一人だけ先に食べ始めるのもどうかと思って待っている間に彼女は彼にずっと話し続けた。
「高校入ってから一年で色々あったよ。自分で言うのもアレだけど背え高いから運動部から凄いアプローチされたりだとか」
「東屋さんバスケとか上手そうだもんね。どっか入ったの?」
「面倒だから全部パスした」
「勿体無いよ…折角学校行ってるのに」
「嫌だと言ったら嫌さ。運動部の上下関係なんかキツいに決まってる」
学校でのちょっとした話を聞いた時は、もしかしたら通れたかも知れない道の事に考えが及んで嫌な気持ちにもなった。
「…それで、今日は三学期の始業式でさ…風見と一緒に帰ろうとしたんだけど、アイツ男作ってやがってどっか行っちゃって。今お前見つけたってRINNEで送ったら『そっちに行くー』ってスゲー慌ててたよ」
「僕からおめでとうって伝えといて」
「ああ。…あと、武崎も一度会って話がしたいって」
しかし、雅美以外の旧友達の近況報告を聞く事も出来た。
ラーメンとニラ玉が運ばれて来る頃にはおでんも丁度良い位に冷めていた。
「ん。美味い。そう言えば、あたしが話してばっかだったな。神崎は今までどうしてたんだ」
勢い良く啜った麺を噛んで飲み込むと、彼女はそれとなく彼に聞いた。暗い表情に更に影を帯びさせた彼は、含んでいた厚揚げを飲み込み口を開く。
「…学校行ってないんだ」
「何処か別の所とか、通信制とか、何処にも?」
驚愕と疑問の色を濃く帯びた声で雅美は再び問うた。
「うん。何処にもね」
「すまん、無遠慮だった。『あの時』から今日まで一度も逢ってなかったから、気になってたんだ」
「ホントの事だから気にしてないよ。ずっと家に居たんだよ。外に出してもらえなかったんで、今日は久し振りのお出掛け」
他人の事を笑う様に話しながら少年はおでんをつつく。彼女はその時彼から滲み出す暗い鈍色の雰囲気が見えた気がした。
「あんなに縮こまってたのにどうして外に出たんだ」
「アルバイトの面接に行ってたんだ。お金が必要で」
無理矢理作った笑顔の消えた顔で汁を啜る。塩気の多い味が妙に染みた。
「でも全滅。東屋さん相手だから大丈夫なんだけどね、今の僕は赤の他人とは話をするのも難しいし、元から無かった体力ももっと落ちたしでまるで相手にしてもらえなかった」
ごめん、不幸自慢は嫌いなんだけど。彼は陰気さを作り笑いで押さえ付けた凄惨な表情のままコンニャクを飲み込んだ。一瞬の沈黙の後、彼女はニラ玉を箸で切り分けて口に運ぶ。
「金、どうしても要るのか」
東屋雅美は昔と同じ、冷たさと言うよりも言葉の底にある感情を感じ取りにくい『硬い』口調に戻っていた。
「必要だね。稼いで来いって言われてる」
「お前にも出来る仕事紹介してやろうか」
「本当」
要が食い付いたのを確認すると、彼女は続ける。
「僕でも出来るか。有り難いけど迷惑じゃ無い?」
「迷惑な訳あるかよ。とびきり信頼の効くツテが有る」
じゃあお願いしますと縋る様に頼む彼を横目で見て、少女は心の内でほくそ笑みながらどんぶりを傾けた。
書き終わった時にはややこれじゃ無い感が有った。でも物語はここから進むんだし、細かい話はこの後から明かすんだからと自身を納得させた次第。