ぞうきんがけのセクシーガイ
その日の河原の夕餉は水餃子だった。
テツは新垣を連れてきた。
「ま、喰って」
新垣は口もきけずにいた。一日、抗議電話の応対と教師のスト宣言にげっそりしていた。
お市はタレの入った碗に水餃子をいくつもよそってやり、
「今日は疲れたね。ごくろうちゃん、ごくろうちゃん」
新垣は熱い水餃子を咥え、みるみる目を赤くした。お市はその肩を叩いてやった。
テツはやさしく言った。
「だいじ(だいじょうぶ)?」
新垣はうなずいた。
「飯喰って」
新垣はうなずいた。餃子を噛み締め、眉をしかめた。
「……」
その顔が赤くゆがむ。洟をすすりつつ、がむしゃらに箸で食べものをかきこんだ。
お市とテツはかまわず、水餃子を食っていた。
新垣は腹がくちくなると、照れたように微笑った。
「寒くないですか。ここ。古い家ですけど、ぼくのとこでよければ泊ってくださいよ」
テツは鍛錬したいから、と断った。お市も、
「がっきーは、ゆっくり寝たほうがいいよ。熱い風呂入って、学校のことはなんも考えないでぐっすり。明日は真新しい一日さ」
新垣を帰すと、土の上に寝袋をひろげ、中におさまった。
テツは目を開いていた。天上には清涼な星が散らばり、無言でまたたいていた。
「お市」
「ん?」
「この学校、うまくいくかな」
「いいんだよ。うまくいかなくて」
「――」
「滅ぶさだめなら、滅べばよい」
「いろいろきびしいよな」
「きちんと死なせてやればよい」
「……」
「すべてはうつろいゆくものさ」
「でも、わたしはリンゴの木を植える」
「さすが」
「おやすみ」
朝六時、ふたりは学校の門を飛び越えると、警備員室に挨拶に行った。
老警備員をせかして、校門を開ける。校門の前を掃き掃除しながら、打ち合わせしていると、新垣が来る。
新垣を励まし、中に入れる。六時半、ちらほらと生徒のバイクが乗り付けてくる。
「おう、佐藤。おはよう」
テツはメモを見ながら、
「おまえはB2班だから、着替えたら電気棟廊下の掃除。さきに掃けよ」
「……」
「おはよう。石井はF班――だからプール。金沢に指示聞いて」
来た生徒たちに持ち場を指示して行った。
お市は放送室に入り、なつかしのアメリカン・ポップスをかけながら、踊っている。
七時になると、彼はマイクをとってしゃべった。
「六花高のブサ紳士諸君、おっはよーございまーす! ボーズDJお市です。今日十月二日は――うん。なんでもない日だ。なんでもない日がはっじまっるよー♪ さて、昨日は各クラスに掃除用具が配られたね。文明の利器を使って、ワンランク上の掃除を目指してくれ。まず、床の上のものをとっぱらう。ほうきで掃く。その後、ぞうきんがけ。わかったかい? THZ、とっぱらう――ホウキ――ぞうきん! じゃあ、がんばって、ヒアウイーーゴウ!」
アップテンポの曲がかかる。
一方、テツはプールに行き、しゃがみこんでしゃべっている生徒たちの頭に拳固を落としていた。
「だって、これどうすんスか」
生徒たちはふくれつらして、プールにあごをしゃくる。
プールの中は廃材や赤錆びた自転車、壊れたパソコンなどが埋まっている。
「だから、いったん出すんだよ。武田、加藤、飯島、来い」
自分もプール中に降り、
「中野、石井が受け取って、プールサイドに並べる。金沢以下四人はそれを外に運び出せ」
錆びた自転車を担ぎ上げ、プールサイドに出す。
生徒たちもしぶしぶ従う。作業はしたが、汚いだの、ネズミの死骸があっただのとギャアギャアやかましい。
放送の音楽が小さくなり、お市の声が入る。
『ピンポンピンポン。業務連絡。建築棟二階廊下で、ケンカ発生。小僧ふたりがモップでジェダイのマネして暴れてる。てっちゃん、すぐいってください』
七時半には教職員が登校しはじめる。
お市は一応、職員室に顔を出した。
「おはようございます!」
「――」
みな、さりげなくデスクの片付けをするふりをして、答えない。
「こりゃ生徒に挨拶しろって言えないね」
お市は声を大きくして聞いた。
「今日ホントにスト決行ですか? 授業する人―?」
「――」
「ナッシーング。じゃ、生活指導に全部時間いただきますねー」
去り際、お市は、
「これも晒されないといいねー。『六花高校、先生ストでも月給四十万』」
ケケケと笑って職員室を出た。
その数分後、あらたに放送が入った。
『六花高、ブサメンのみなさん。グッドニュース! 本日、先生がたは授業を自粛! みなさんが文化祭のしたくをするため、授業をとりやめにしてくださいました。というわけで、オールデイ・クリーニーング! ひゃっふー♪』
合の手に高く口笛も入る。
『ベルサイユ宮殿みたいな麗しい廊下、甘い教室に磨き上げてくれ! ここで耳より情報。女性雑誌のセクシーな男ランキングに、きれいずき、まめはいつも上位ランクインしているぞ。腕まくりして雑巾をしぼる姿がステキ。そんなセクシーガイに送るのは、りかりんのこの曲『さらさら』――』
テツはその間、あちこちを移動していた。作業時間が延びたために、あらたな指示が必要である。
「木島、伊藤、来い」
「――」
「トイレ掃除」
えええ、とふたりが顔をゆがめる。
「クラス全員に指示してやれ。女子のほうもな」
「あっち今、ゴミ入ってますけど」
「出すんだよ。女子のお客さんも来るんだろ。――あと、おまえらふたりクラスの連絡係な。今から」
班を作り、係りを置く。その間にも生徒に作業の仕方を教えたり、態度の悪いものに拳固を見舞ったり、自らも荷物を運び出す。
四日目ともなると、床は目に見えてさっぱりしてきた。
(しかし、これがなあ)
テツは窓枠の前で唸った。
爆撃にでもあったかのように窓枠の中にガラスがない。これでは授業中不便なはずだが、なぜか修理されていなかった。
(入れてもすぐ割っちまうからか。でも、入れないわけにもいかねえだろ)
テツは事務室をたずねた。
学校事務員はふたりいた。彼らも、仕事をしているふりをして、テツと目を合わせない。
彼らは苦情電話の応対をさせられ、坊主ふたりに腹をたてていた。
ロイド眼鏡をかけた首の細い小男が、
「こっちだって毎年、窓ガラスの修理費用は多めに申し入れているんですよ。でも、県にだって予算があるんです」
「いやでも、窓あきっぱなしで、冬じっと座ってろったって……」
「学校はうちだけじゃないんですよ!」
テツは思い出した。
「……ガキの頃、学校のガラス割って、うちの親が弁償したんですが、親に請求しちゃダメなんですか」
ハ、と小男は笑った。
「どの親に請求するんですか?」
テツも黙った。
――そりゃそうだ。
「……ベルマーク」
「窓なんかくれません!」
しかたなく、もう一度申請を出してくれ、と頼んだが、小男はそっぽを向いた。
「あなたに言われることじゃありませんよ。あなたはここの人じゃないんだ」