禁忌の封印を解く
――学校が生徒の小遣いから、学校の備品を買わせる件。
ネットの人気掲示板に、教員に脅され、掃除用具を寄付させられる、というぼやきが載った。
それを受けて、訳知りが、『おかしい。学校の設備は、自治体が補償するものですよ』と教える。
『でも、払わされた。ほうきとモップで四万消えた』
『四万?』
『四万五九〇〇円』
おどろいた人々が次々と怒りの声をあげる。教師のモラルや学校のずさんな経理をあげつらい、怒りが怒りを呼ぶ。
『学校どこ』
『うちの近くかも。名前言って』
『栃木県、とだけ』
これが、まとめられて別サイトに掲載された。なぜか、学校名が知られており、朝から職員室に電話が鳴り響くという事態になったのである。
「平さん!」
朝、テツが生徒を叱っていると、また教師が呼びに来た。
職員室には、教員たちが般若のような顔で待っていた。うしろでは事務職員と新垣が、市民からの非難の電話を受け、おどおどと応対している。
テツは言った。
「掃除用具の件は本当です。ひとのものだと思うから、簡単に壊す。自分の懐が痛めば、大事にしますから」
三日月のようにあごのしゃくれた、カオー秦前寺は甲高い声をあげ、
「そんなこと、あんたの勝手に決められないんだよー! 素人がなんでも思いつきでやっていいもんじゃないんだ」
昨日の遺恨もあって、彼の声は大きかった。
「学校の備品、消耗品はそれ用の予算があって、そこから出すと決まってんの。勝手に徴収したらダメなの。学ぶ権利なの。法律読んでくださいよ!」
ツルに似た首の長い、禿げた教師も――お市は『歌丸師匠』と呼んでいる――彼の隣に立った。
「たしかに、生徒が備品を壊した場合、校長が弁償を求める規則はありますよ。しかし、これはあてはまらないでしょう。ただの寄付になります。生徒への寄付の強要です」
別の教師が、
「これ教委も指導してきますよ。あんたがた、この学校をメチャクチャにする気ですか?」
教員たちは、さかんに鳴る電話にうろたえ、はげしくテツをなじった。
闇のボス、じいやナイフ芳賀は、長い眉の下からぎょろりと目を上げ、
「もう出て行ったほうがいいよ、あんたがた。大きな事故を起こす前に」
「……」
テツは首をかしげ、考えた。
「じゃ、部費ってことで」
「?」
「わたし、剣道部だった時、遠征費自弁だったんですよ。道具も面と胴以外は私費でしたし。部活動費としてなら徴収できますね。全校生徒、みな美化部員てことにします」
教員たちがわめきだしたが、テツは切り上げ、職員室を出た。
利休は茶を飲みながら、スマホの画面を繰っている。
「……特定はやっ。うちのガッコ、名前も住所も全部出てるし」
ミシュランも掲示板サイトを見て、ニヤニヤしている。
「マジこれ、けっこう問題になんじゃね? ヘタすっとモブ男、首飛ぶだろ」
「さあなあ。また庇いあって、いいとこ停職。でも、坊主はいなくなるな」
「ざま」
ミシュランは肉づきのいい頬にうれしそうな笑いを浮かべ、
「死ねやクソ坊主、あいつらの寺もさらしてやりゃいいんだよ」
ぬあ、とトロピカルが意味不明な声をたてた。
ミシュランの肩越しにゴツゴツした坊主頭がのぞきこんでいた。
「おまえら、買ったホウキどうした」
ブンブンが言った。
「昇校口んとこ。置いといた」
「――」
僧の針のような細目がブンブンをじっと見た。
「それを、各クラスに配れ」
ブンブンはあざ笑い、
「なんか苛立ってんすか? べつに、書き込みはおれらじゃないですけど。――なんか困るんスか」
「ホウキを、各クラスに配れ」
「なんで全部おれらがやんだよ。ってか、あんたさ。礼ぐらい言ったら? おれら買い物してきたんだし」
「――」
いきなり重い手がブンブンの頬を張った。白い光が散り、ブンブンはとっさに動けずにいた。
「聞こえたか?」
ふたたび、手が頬を打った。叩き方は軽いが、肉の厚い手だった。
「てめッ――」
ブンブンは歯を剥き、僧の顔に殴りかかった。が、そのひじが鋭く弾かれた。からだがぐるりと回ったと思うと、ブンブンはしたたか廊下に叩きつけられていた。
背中の衝撃で一瞬、息がつまる。
ちょっと、と脇の教室から、ホロが出て来た。
「なんスか。なんか気にさわったんすか」
さりげなくブンブンの前に立つ。
僧は無表情に、
「おれはおまえらのご機嫌をとるために来たんじゃねえぞ」
「……」
「おまえの学校の備品を、おまえが買って、なんでおれが礼を言うんだ。おれになんの得があるんだ?」
テツは言った。
「何度も言ってんだろ。納得いかねえなら、もう一回本気で来い。わかるまで教えてやる。べつに訴えねえし。――今やるか?」
五人は緊張した。
ブンブンは怒りで火の玉のようになっていた。ミシュランは釣りあがるように肩をふくらませ、トロピカルは目を見開き、かかとを浮かせた。
だが、結局、だれも動かなかった。
作務衣を着て、両手をさげ、無防備に立っている僧の前に、なぜか出ることができなかった。
テツが暗く目を据え、つぶやくように低い声を出した。
「じゃ従え。負けたくせに、なめた態度とってんじゃねえ」
「……」
「おまえら、ここ仕切ってたんなら、それぐらいの作法はわかってんだろ」
わかりました、とホロが言った。
「わかりました。すいませんでした」
仲間に、で? と聞く。利休が、ホウキ配れって、と教えた。
「おっしゃ。ブンブン、たのむわ」
ホロはブンブンに命じ、ほかの連中にもうながした。ブンブンはのろのろと腰をあげ、階段へ向かった。
テツが追い討ちをかけるように言った。
「すげえ、みっともないんだよ。実力ねえのに、ズばっかり高いって」
「――」
「負けてネットで陰口とか、無様のかぎりだ」
「!」
「プライドあんなら、正面から来い。次は」
ブンブンは睨んだが、なにも言わず去った。トロピカルと利休が追って行く。ミシュランは少しためらい、後を追った。
ホロは言った。
「お手柔らかにたのみますよ。おれらも人間なんすから」
「――」
テツの眉間に不快げな雲がたまっている。
「……おまえ」
「え」
テツはにがく息をつき、言った。
「スキーで止まれなかったら、転ぶしかねえんだよ。みっともないからって、転ぶのが遅れれば遅れるほどあさってまで流れちまうんだ」
「――」
「それが我の怖いところなんだよ。おとなでも迷ったまま戻ってこれないのが多い。徒党を組んで、屁理屈つけて。でも、おまえらはまだガキだから、手っ取り早く教える」
あいつを庇うのは筋ちがいだぞ、と言い捨て、立ち去った。
ホロの頭上のスピーカーから、ア、ア、と声がした。
『ガルマ・ザビはなぜ死んだ? ――おはようございます。ボーズDJお市です』
『みなさん、お掃除をしながら聞いてください。みなさんは、なんで掃除なんかしなきゃなんねんだよ、とお思いのことでしょう。狂える大僧正てっちゃんがこわいから、しかたなくやってんだよね? でも、考えてみたことはあるだろうか』
掃除中の生徒たちは顔をあげ、互いに苦笑した。
「また、こいつら――。ホントやること自由だな」
お市の声は言った。
『もし、この学校にだよ? レナレナみたいな可愛い女の子が遊びにくるとしたら? かわいくて、やさしくて、彼氏募集中の女子がわんさか遊びにくるとしたら、――ゴミ屑だらけの廊下にしておきたいだろうか。その子たちと運よく話せそうな時、きみの足元に黄色い牛乳のカラ箱やガラスの破片、吐いたツバにあって欲しいと思うだろうか? 彼女のスカートが汚れないような、靴痕のない椅子があって欲しいと思わないか?』
「――」
『この学校、本当は男女共学なのに、不幸にもヒャッハー工業を選ぶ女子は無く、きみらのほとんどは、女子に無縁の風雪、男クリスマス、男体おろしバレンタインを送っている』
「……」
『しかーし、こんな逆境にも、女子がたくさんくるイベントが学校にはある! それが文化祭だ!』
生徒たちは知らず、聞き入っていた。
『ふつうの学校にはな。文化祭というカップルがたくさんできるボーナスイベントがあるんだよ。これは男子校にも大きなチャンスなのだ。来た女子に、いっしょに写メ撮ってくださーい、なんて言われちゃったりしてな。しかも! 文化祭実行委員が有能だと、アイドルが学校に来てくれたりもするんだよおー。この学校は五年前から、なぜか文化祭が開催されていない。しかし、わたしはいま、この忌まわしき封印を解き、伝説の六花高祭を復活させる!』
「!」
『第四十一回、六花高祭。カミングスーン! というわけで、女子が大挙して来れるよう、この夢のお城をきれいにしたまえ。以上!』
この演説を聴いた生徒たちは、失笑した。
くだらねえ、と仲間内で面倒くさそうに嗤い、
――アイドルとか、興味ねえし。
――マジ勘弁。文化祭とか。だるいだけ。
しきりと坊主たちの浅知恵をけなした。
職員室もまた混乱した。
――なにを勝手に――!
――あの坊主たちは、自分を何だと思っているんだ?
スクールカウンセラーが学校行事の開催を決めるなど、度が過ぎている。しかも、抗議電話が鳴り響いている真っ最中だった。
教師たちはたまりかねた。スクラムを組み、教頭、新垣に迫った。
「あのふたりを追い出さなければ、われわれは授業に出ない!」