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菩薩という名のイケメン

 校長室のドアは、開ける前から殺気だった男女の声が洩れ聞こえていた。


「失礼します」


 テツが顔をのぞかせた時だった。


「このやろう――」


 いきなり小さい拳がテツの頬を打った。

 テツが目をしばたいて見返す。背の低い初老の男が、下の歯を剥き、震えていた。


「大輔の痛みがわかったか!」


 いけませんソネさん、と新垣がその腕を抱え、


「話し合いましょう。暴力はダメです」

「暴力をふるったのはこの坊主じゃねえか! おれの孫はこいつに大事にしてたバイクをぼっ()されて、サッカーボールみたいにあおなじみ(青あざ)だらけになって帰ってきたんだぞ」


 少年たちの保護者は激怒していた。

 彼らの息子は昨夜遅く、傷だらけになって帰ってきた。バイクはボロボロである。

 相手は学校職員だという。突然現れた怪僧が、ひとのバイクを叩き壊し、子どもたちを殴りつけているという。

 ソネ氏は浴びせた。


「おまえら、ひとの孫に何やってくれてんだ。あいつにふた親がいないと思ってバカにしてんのか。親いなくたって、あいつにはおれがいるんだ。一所懸命やってんだよ。あんた、このおれをバカにしてんのか」


 安っぽいスーツを着た母親は、金髪のロングヘアだった。


「うちの子泣いて帰ってきたし。シャツ、血まみれだし。バイク、カウル割れちゃってるし。これ犯罪だと思うんですけど」 


 となりのジャージを着た母親も金髪だった。


「なめてんじゃねの? あたしら、なんもわかんないと思ってなめてんじゃね? すっげ高いんだよ。CBXって。もらいもんだけど」


 となりの若い父親も金髪だった。秋口だというのにTシャツ一枚で、腕にはタトゥを消した痕がある。


「これ慰謝料もんだよね。訴えれるよね? そういう案件だべ? 一億くらい慰謝料ふんだくれんでねの?」

「一億? 二億ぐらい、いけんでない?」


 テツはそっとお市の隣に並んだ。お市は高僧のような温容をつくってすましている。小声でテツに言った。


「金髪率たっか。スウェーデンかな」


 教頭先生、と勤め人風の男が険しい声を出した。この男は髪を染めていなかった。


「なぜ、お坊さんが学校にいるのか、説明してくださいよ」


 新垣はなかばのぼせたようになっていたが、へどもどと言った。


「この方々は、学校の風紀指導のために、わたしがお願いして」


 ちゃんとした先生じゃないんでしょ、とまた別の声が飛ぶ。


「あの」


 新垣は咳払いして、


「水戸の白馬山明王寺のお坊様です。教員ではなく、スクールカウンセラーとしてお迎えしています」


 勤め人が、


「それ県通ってんですか」

「県に申請していますが、学校支援ボランティアなので」

「県の教委は承認してんのかって聞いてんですよ」


 まだです、と新垣の声が小さくなった。


「つまり無資格」


 男は目を剥き、獅子舞のように首を上下して、


「資格のない人間が、学校内で生徒に暴力をふるってるって――アナタ、とんでもないことですよ? 刑事責任に問われますよ」


 金髪勢もなげかわしげに新垣を見て、口々に(そし)った。

 新垣は何も言えなくなってしまった。

 お市は退屈したように、口を切った。


「刑事責任を問いたいですか」


「――」


 人々は一瞬詰まった。が、すぐにソネ氏が怒鳴るように言った。


「まず謝ってもらいたい。裁判だなんだは、おれはどうでもいいよ。とにかくちゃんと手をついて、謝ってくれ」


 そうだ、と父兄らは鼻息を荒くした。


「土下座しろ」


 その前に聞きたいんですがね、とお市が言った。安スーツの母親に向き、


「お子さん、なんて名前?」

「はあれい」

「?」

「砂川覇礼(ハーレー)


 お市は思い出した。


「砂川って、あの三下くん!」


 母親が細い眉を逆立てたが、お市はクイズを出すように言った。


「お聞きします。ハーレーくんはナゼ、あの場にいたのでしょうか」

「?」

「河原になぜ、行ったんでしょうか」

「……」

「なぜか、ハーレーくんは河原にいた。ここにいた皆さんのご子息もなぜか河原にいた。すると、このお坊さんが、わけもなく、いきなり、子どもさんたちのバイクを破壊しはじめたんですか?」


 勤め人風の父親が、お市の意図に気づいた。


「何か言い合いがあったのかもしれませんよ。それにしても、暴力ふるっていいことにはなりませんよ。犯罪ですよ」


 ソネも憤然と言った。


「男の子だ。多少はケンカもするさ。でも、そっちは大人だ」

「ケンカもする? 集まったのは七人じゃないんですよ?」


 お市は笑った。


「壊れたバイクは何台? 調べてごらんなさい。五十台はありますよ。五十人以上が、ひとりを相手にケンカしたらどうなります? 大人だからって、あんた、死にますよ?」

「!」


 お市は眉をハの字に釣り上げ、下目に見た。


「あんたがた、得意がってヤイヤイ言ってるけど、刑事罰にひっかかりそうなのは、そっちなんだよ。仕掛けて来たのはそっち。この坊さん、たまたま頑丈だったから生きてるだけで、そうじゃなきゃ今頃、集中治療室か霊安室だよ。本来なら、あんたがたの子ども、集団暴行、殺人でしょっぴかれてるとこだよ」


 殺人、という語は父兄は強く響いた。戸惑い、目を見交わす。遅まきながら、状況に思いいたり、自分たちの軽率に気づきはじめた。


「ご、ごじゃっぺ言うんでねーよ」


 若い父親が大声を出した。


「この人、大げさに言っているだけ。ちょっとした小競り合いだべ。殺人なんて、なーんの証拠もありません」

「あら、証拠がないわけじゃないんですねー」


 お市は懐から写真を出した。


「これ防犯カメラ画像の紙焼きです。証拠能力もあります。――これ、三下くんじゃない?」


 父兄が写真に顔を寄せる。

 そこには少年たちがテツの手にロープをつなぎ、まさにバイクで引っ張ろうとしている光景があった。


 昨夜、お市は川に深く錫杖をつきたて、そこにスマホを縛りつけていた。襲撃はすべて録音、録画している。

 一枚の写真を見て、ソネ氏はガクリと首を垂れた。彼は顔をあげると、テツの前に立った。


「うちのバカがとんでもないことを」


 いきなりひざをつき、床に伏した。


「申し訳ございませんでした――」


 あ、とテツが困って、お市を見る。

 お市はほかの父兄を冷かに見た。

 ほかの父兄もあわてて、ちぢむように頭を下げた。





 その時、ドアが開き、制服警官がふたり入ってきた。


「なにか、昨日、生徒さんたちにトラブルがあったということで」


 警官は土下座しているソネ氏に目を丸くして、足を止めた。すぐうしろにいたカオー秦前寺がつんのめりそうになった。


「これは――?」


 新垣に説明を求めるが、代わりに安スーツの母親が急いで言った。


「あ、ちがうんですう。昨日、うちの子がお坊さんに、教えてもらってえ。仏の道とか。お礼言ってたんですう」


 ほかの父兄もカクカクとうなずいた。

 お市も神妙な顔をつくろい、


「教頭先生にお招きいただきまして、昨日は事前の視察に参りましたが、生徒さんがはしゃいで、たんこぶを作ったのを、秦前寺先生は誤解なさったようですね」


 警官たちは多少違和感は感じたろうものの、深く追求はしなかった。

 ふたりの身元だけ確かめて、「また何かありましたら」と帰っていった。


 父兄たちは、おかしな空気の部屋に残された。


「お父さん、お母さん、おじいさん」

「!」


 お市は顔色をあらため、言った。


「今日のところは無事でしたが、お子さんが危機にあることには変わりない。この学校には今、生徒を正す力がないのです。この次、あの警官たちは、確実にあなたのお子さんを連れ去っていくのです。刑務所に!」

「……」

「しかし、さいわい仏様はわれらを使わした。われら仏道を志す者、菩薩。菩薩という名のイケメン。慈悲の手をさしのべ、お子さんの襟髪をつかんで、正道にひき戻す。曲がったことがあれば、これを矯める。必要なら拳で語り合う。裁判がおそろしいからと、生徒を正す責任から逃げません」

「――」

 

 ハーレーくんのおかあさん、と呼ぶ。


「!」

「高い服を買いたいのをガマンして、懸命にハーレーくんを育ててきた」


 母親がハッと目を瞠いた。

 お父さん、と金髪の父親に向き直る。右ひじが日に焼けていた。


「トラックで重い荷物を運ぶのは、家族の笑顔のため」


 父親がおどろき、目をしばたく。

 ソネ氏には、


「毎朝早く起きて、和菓子をつくり、両親のいない大輔くんに不自由させまいとがんばってきた」


 ソネ氏は打たれたように口を開いた。

 お市はしかつめらしく言った。


「みなさまは毎日せっせと働き、ご苦労なされ、お子さんを一所懸命に育ててらっしゃる。こうして今日ここに集まったのも、お子さんへの大きな愛情ゆえ。立派な方々です」

「……」

「だからこそ、彼らを外道にしちゃいけない。お父さん、お母さん、おじいさん。子どもの将来を見据え、時には鬼になることに耐えていただきたい。彼らを正道に戻し、顔はブサでも世の人々に愛されるイケメンになるよう、律していただきたい。彼らひとりひとりを、世の憎まれ者ではなく、愛されるヒーローにしてやろうではありませんか」


 父兄は、もはや自分たちが何しにきたか忘れた。

 顔を紅潮させ、うちのバカ息子をよろしくおねがいします、とふかぶか頭を下げ、帰って行った。

 カオーはそれをぽかんと見ていた。


 その夕、校門を出て、テツは思いだした。


「あれ? 和菓子職人さん、なんでわかった?」

「見たもん、店で」

「なんだ」


 それでも、テツは相棒の説教に感心していた。若干ずるくはあったが、お市はかならず聴衆の耳をつかんで話をする。その胸に言葉を届ける。

 そして、


「ヒーローにするっていいな」

「ほめたまえ」


 お市は簡単に、テツの心にもがいている欲求を座りのよい言葉にする。

 六花高には百七十七人の生徒がいる。百七十七人のくすんだ不良少年が、百七十七人のヒーローに変わったら、世の一隅(いちぐう)が確実に明るくなるだろう。

 その絵は小気味よくテツの心に映えた。 


「お市先輩、凄いっス」

「ほめたまえ。じゃんじゃんほめたまえ」


 お市は両ひじを開き、伸びをした。


「あとは校長だね。彼が帰ってくる前に、目に見える成果をあげておかないと」

「……」


 校長を味方に引き入れる必要があった。新垣がどうがんばっても、校長が言えば、ふたりは出て行かざるを得ない。

 テツは聞いた。


「いつ帰ってくるんだ?」

「さ来週の月曜日」

「――休みすぎじゃねえか?」

「そういう校長なんだよ。だから、この間に次のステージに乗せておく。ぐうの音も出ないほどの成果をあげて、がっきーが交渉しやすくする」

「了解」


 ふたりは飯を喰いに、宇都宮まで長駆した。


 ところが、ふたりが大喜びで餃子をほおばっている間に、また騒動が持ち上がった。

 テツが買いに行かせた掃除用具の件が、ネットのニュースに乗ったのである。


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