保護観察中のラスボス
六花高のボス、ホロ――羽鳥小十郎(はとりこじゅうろう)はすぐに現れた。
乗っていたのはなんの電飾もない原付だった。
パーカーのポケットに手を入れ、寒そうに肩をすくめ、足早に土手をおりてくる。
――へえ。
テツは少し感心した。
仲間がやられたことは知っているはずだが、その足取りには気負ったところがない。風呂屋にでも駆け込むようなのんきさだった。
バイクのライトの中に入ると、
「お」
と仲間を見て笑った。
「おまえらかよ。オットセイ打ち上げられてんのかと思った」
可愛い顔をしていた。少し垂れ目で、涙袋が膨らんでいる。髪はやや長かったが、服装は派手ではない。
彼はテツたちの前に立った。
「で、ぼんさんたち、何?」
小首をかしげ、あいかわらずポケットに手を突っ込んでいる。背は高いほうだが、細身。肩幅も狭い。
だが、鉄火場には慣れているらしい。ボス、の顔をしていた。
お市が話そうとしたが、テツが前に出た。
「おまえとおれで勝負。勝ったほうが親分。負けたら下。絶対服従。今から」
「えええ」
ホロは少し面食らったようだった。
だが、すぐに、
「いいよ」
彼は笑って言った。
「そんかわし、おれ保護観察中なんで、負けても勝っても警察には言いっこなしで」
ホロが軽く跳ねた。
軸足が地に刺さった途端、電光のように蹴りが跳んだ。
防いだテツの腕に重い衝撃が走る。正確にあごを狙っていた。
(あ、空手)
テツはいなしつつ、正統な稽古の跡を感じた。
ほかの少年たちに比べ、体さばきのセンスがいい。身を回転させつつ、自在に上段まわし蹴りを繰り出して崩れない。拳も鋭い。
(この蹴りはなめないほうがいい)
ホロの空気から、すでに笑いは消えている。真剣に急所を狙っていた。
テツは軽く突き返し、すぐに落とすことはしなかった。そのほうが簡単だったが、ホロとともにこれを見ている少年たちの心も叩いておきたかった。
多少できる相手と遊ぶのが楽しくもある。
打たせつつ、ローキックで相手の大腿筋を蹴り潰し、力を削いでいく。
ホロのからだがねじれる。足がよたつく。
次第にその息が乱れたが、少年は果敢に鞭のような拳を繰り出し、肘すら斬り込ませて、攻め続けた。川の水に投げ込まれても、息荒く這い上がり、向かってくる。
仲間たちが見かねて、
「もういいよ」
と訴えた。
「あとでなんとかすっからさ。ここは退こう」
「その坊主、おかしいんだよ。相手にすんな」
だが、ホロはべっと血を吐き、怒鳴った。
「黙ってろバカ。いま片付けてんだろうが!」
ホロは敵が油断するのを待っていた。
ふわりと沈み、僧の懐に入る。僧の重心がずれる刹那、その虚を見た。
(!)
噛みつくように、拳を突き出し、あごの付け根を突いた。
僧はそこにいなかった。
「!」
ひやりとした瞬間、顔の横に黒いものが殺到した。激しい打撃がこめかみを襲った。ホロは視界をうしなって倒れた。
何度か立ち上がろうともがいたが、やがて枯れ草の上に沈んで動けなくなった。
翌日、六花工業高校の生徒は朝七時から、学校の床掃除をしていた。
携帯で連絡網が回っていた。
――六時半集合。ひとり一枚雑巾かタオルを持ってくるように。
生徒たちは聞かないわけにはいかなかった。差出人はホロだったからである。
「おまえ、今日から生徒会長な」
テツはホロに命じた。
「委員は適当に決めろ。今回は選挙ナシ」
「……」
ホロの顔は片目がつぶれ、顔半分が青黒く腫れあがっている。歩く時に肩がかしぎ、やや足をひきずっていた。
言われたとおりに、連絡網をまわし、テツの言葉を諾々と聞いた。睨み返しもしなかった。
彼は四人の仲間に、委員のことを告げた。
「おまえらでいいべ」
「……」
仲間たちはしかめ面で腕を組んでいた。彼らはまだボス交代に納得していなかった。
なすびのように顔の下膨れた『利休』が言った。
「あいつら追い出す手はいくらでもある」
彼は仲間内では頭脳派だった。いつも緑茶ばかり飲んでいるので、利休と呼ばれている。
「モブ男だよ、モブ男|(新垣)」
ピアスの少年が、苛立った声を出す。
「あのやろう、調子くれやがって。ちょいと言い聞かせてやらねえとダメだろ」
これは『ブンブン』。車好きからきている。目端のきく男で、ホロの腹心的な存在だった。
その隣には百キロの巨漢が毛の無い眉をしかめている。
「今夜、もう一回だ。次は殺す」
大柄でいかつく、腹回りがタイヤ男に似ていた。ゆえに呼び名は『ミシュラン』。
「なにが掃除だ。てめえでやってろっての」
「いや、おれはわりと、アリだと思う」
髪を白っぽくブリーチした少年が言う。
「最近、金ねーし。友達がさ、掃除したら金運よくなるってかーちゃんに言われてさ。部屋掃除してみたら、ホントに昔のお年玉一万出てきたって」
「……」
三人がせつない目で友を見た。
これは『トロピカル』と呼ばれている。ケンカは強かったが、言動が時々ズレているので、脳みそトロピカル、トロピカル男爵とあだ名されていた。
四人はてんでに悪態をついた。
きまりが悪いのだった。相手がたったひとりと聞き、なめきっていた。襲撃のこと自体、ホロに知らせるつもりもなかった。
だが、結局、ホロも引きずり出すことになり、自分らの尻拭いをさせた。
情けなかった。
ホロは腫れた目で笑い、
「あのぼんさん、どうせたいして長くはいねえよ」
「……」
「いま、校長いねえし。あれ、モブ男が一存で連れてきたみてえだな。さっき、まゆじいが言ってた。上通ってねえって」
「上?」
「県」
「!」
「だから、ただの部外者なんだよ。なんの資格もねえ。校長が帰って来たら、すぐ」
指で払った。
仲間たちの顔が少し、やわらいだ。
でもよう、とミシュランは苦笑し、
「五人でもう一回ぶちかませば――」
「んん――」
ホロたちが唸り、彼を黙らせる。
いつのまにか、青い手ぬぐいを巻いた坊主頭がそばにいた。
テツが言った。
「五人で?」
「――」
ホロが言った。
「委員になってくれって頼んでたんスよ。五人でがんばろう」
「――」
テツは言った。
「じゃ、授業終わったら掃除用具買って来い。各教室にほうき五本、チリトリひとつ。モップ二本。バケツ一個」
「金は」
「おまえらが寄付」
はあ? とブンブンが目を剥いたが、テツは冷かに見返し、
「自分らが壊した掃除用具だろ。税金で買いなおしたりしない」
「おれらが壊したんじゃねえよ。ってか、ここに来た時から、掃除用具なんか見たことないんだけど?」
「――」
テツは眉をしかめ、
「わかった。とりあえず立て替えろ。あとで頭割りにして全校生徒から徴収する。領収書とっとけ。それと――」
テツはミシュランの胸倉をつかむと、ひょいと十センチほど釣り上げた。
「納得いってねえのか。チャーシュー」
「……」
「五人で来たかったら、まとめて相手してやる。今やるか――」
その時、背後から声がかかった。
「ちょっと。お坊さん! ――平さん。すぐ校長室に来てください」
痩せて首の長い、ツルに似た初老の教師が、階段へとうながす。テツはミシュランを降ろし、教師についていった。
その小声が聞こえていた。
「父兄たちが集まっています。昨日何があったんですか。みなさん、カンカンですよ」
ブンブンが見送り、笑った。
「これは案外早いログアウトか」