ホタルイカ漁のイカ釣り漁船
排気音を短く刻みながら、バイクがぞくぞくと土手の上に集まってきた。
闇のなかに、クリスマスツリーのような電飾の群れが、浮かびあがる。
(来た)
テツはそれらしく座禅を組んでいた。
自分の居場所を誇示するように、四方にはLEDランタンを置いている。
(ほんとにバカだった。よかったー)
内心、伏し拝みたくなるほど有難かった。逮捕の危険はまず免れた。
バイクが土手を下り、テツを中心に半円に囲んだ。排気音が原始の太鼓のように闇に轟いている。ライトが左耳から鋭く照らしていた。
――四、五十? 百はねえな。
五十でも一声で集まったのなら、それなりに統制がとれているのだろう。テツはボスがどこにいるのか、と暗闇に耳をひらいていた。
エンジン音の間から、人声がした。
「こいつか?」
「あれ、もうひとりいるはず」
少年たちは下の者にお市を探させ、何ごとか話し合っていた。
やがて、
「はじめよか」
明るい声が指令した。数人が砂利を踏んで近づいてくる。
「和尚さん、おばんでーす」
いきなり硬い靴先がテツのわき腹を蹴りつけた。それを号令に、いくつもの靴が雨あられと降ってくる。
口をとがらせて威嚇する声。笑い声。奇声とともに飛んでくる蹴り。
ガツンガツンと上腕に硬いものがあたっている。
(ちょ、安全靴?)
テツは頭と内臓は守ったが、ほとんど抵抗はしなかった。打たれた肘が痺れ、背に刺さる靴先に肉が充血する。
どこかが切れているらしく、血のにおいがしていた。
――ミシュ。おれ、ついにあれクリアしたぜ。
誰かが、退屈そうにゲームの話をしている。 別の細い声が警戒するように、
――なあ。これ変じゃね。ほんとにこいつか?
号令した明るい声が、ほかの少年たちに指示している。
――おまえらもやれよ。そこいても、つまんねえだろ。
ロープ用意したか、と、太った腹から出る声がした。
テツの背中に重い打撃が続いていた。それが効いたように、テツは河原に伏せた。
あの明るい声が近寄ってきた。
「どうした」
靴先が軽く小突いている。
「まだ全然平気だべ? 余裕余裕。なー?」
次の瞬間、鋭い蹴りがわき腹に入った。さすがに、テツも息を詰めた。
「はい生きてた」
ロープ、と誰かに命じた。
お市と新垣は川中に浮きでた砂州にいた。
「珍走団てほんと、イカ釣り漁船みてえなんだな」
お市は柿の種の袋を抱え、花火見物でもするように河原のリンチを見ていた。
テツのそばに明りがあるため、こちらはほぼ闇となって見えない。柿の種をかじりながら、新垣に生徒の名などをたずねていた。
「お市さん、もう警察に――」
新垣は携帯を握り締め、お市に頼んだ。
「もう電話しますよ」
「絶対ダメ。あ、何あのロープ」
「!」
新垣はにわかに後ろを向いた。と思うと、水に嘔吐した。
お市が片手でその背をさすってやる。
「引きずるんです……」
泣くような声が言った。
「西部劇みたいに、バイクで。――あれで、体育の先生が体中骨折して、あごもボロボロになって、まだ通院してます」
お市の手のひらに、背中の震えが伝わってきた。震えのあまり浮き上がりそうになっていた。
新垣だけではない。教員たちの無気力の元は、この陰惨なリンチの恐怖にあるらしい。
「大丈夫大丈夫」
お市は笑い、河原の光景に目を細めた。
テツの手にロープがくくりつけられている。その端がバイクの荷台に結ばれていた。
排気音が威圧するように唸っている。
まわりの少年たちが場所をあけた。ひとりの少年がフラッグのように棒を振りあげる。
バイクが進み出し、ピンとロープが張った。
お市は立ち上がり、叫んだ。
「行け。ピカチュウ、百万ボルトだ!」
同時に何かを鋭く投げつけた。バイクの群れに白い煙がわっと立ち上った。
お市の声を聞いて、テツは飛び上がった。ロープをぐいと握る。
バイクが跳ね上がり、宙に舞う。馬が両脚で蹴ったように、乗っていた少年が転げ落ちた。
「うお!」
集まっていた少年たちはのけぞりかけた。
そこにバイクが落ちてくる。
「!」
ロープがぐいと引かれた。バイクが叩きつけられ、部品が跳ね飛ぶ。悲鳴をあがる。
落ちたのは少年たちのバイクの上だった。
「おれの単車があああーー!!」
ひしゃげた三段シートの上から、ふたたびバイクが浮き上がる。
「やめろおおー!!」
少年たちはテツにつかみかかった。
「行けー。力持ちー!」
お市は砂州からはやしている。
新垣は異変に目をしばたいていた。バイクのライトと白煙で見えにくい。だが、その中で、テツの白い袖が閃くのはわかった。
(バイクを振り回してる?)
自分の手につながれたバイクを盾にし、また投げつけていた。
「あはは。ロープ、取れないんだ」
お市は柿の種を手に笑っている。
「バカだなあ。素手でやろうなんて、カッコつけるから」
「お市さん」
新垣はようやく我に返り、
「あの煙、どうしたんです?」
「煙幕。どうせ、手をあげるとあの子たち撮影すんでしょ。ホームセンターで道具買ってきて作った」
「――」
お市は彼の肩をたたき、
「きたきた!」
「?」
それまでふんぞり返っていた幹部連中が参戦しているらしい。
乱闘しつつ、テツがランタンを蹴倒しているため、よく見えない。
「てっちゃん、今頃、歌うたってるよ。たぶん、厨二っぽいアニメの歌」
「……強いんですね」
「去年まで日本で一番強いチームにいたからね。ひよこが何百羽来ようと、ぜんぜん痛くない」
お市は教えた。
「陸自の自衛官だったんだよ。第1空挺隊。こないだもぼったくりバーで暴れて、店ぶち壊した。自分で壊して、自分で御見舞金さしあげてさー。なんなんだよっていう」
「……」
新垣が聞く前に、お市は言った。
「おれはちがうよ。おれは民間人。おれは人間」
新垣は今度は少し落ち着いて対岸の煙の塊りを見つめた。
何台かのバイクが逃げ去って行くのが見える。怒号がきこえ、誰かがわめいている。煙がだいぶ薄くなっていた。
テツがこちらを見て叫んでいる。
「お市ィーッ、ハサミー!」
負傷者がそこここに転がり、呻いていた。
テツの前に四人、別に座らされ、憮然と押し黙っている。
お市はからかった。
「お、これが六花高の『四天王』か。で、どれが四天王のうち最弱でツラ汚しなの?」
「……」
テツが新垣に聞く。
「ボスは?」
「いませんね。羽鳥という生徒ですが」
四天王の上にボスがいるらしい。この場にはいなかった。
お市は笑い、
「子分おいて逃げちゃったのかよ。しょうがねえなあ」
「最初から来てねえよ」と鼻血を垂らした下級生らしき少年がわめく。ボスたちを崇拝しているらしい。
お市はわざとあざけった。
「へえ。部下に汚れ仕事させて、なんかあったら、自分に泥がかぶらないよう隠れてんだ。子どもの世界って汚いなあ」
「んだとお?」
すると、四天王のうち、なすびのような下膨れの少年が、やめろ、と睨んだ。
だが、当人は気づかず、
「ホロさんは、忙しいんだよ。いい気になってんじゃねえぞコノヤロ。これで終わりじゃねえからな! おれらのバックには」
「砂川! やめろ」
なすびの少年が鋭く叱った。
お市がじっと見た。
「バックには何?」
「……」
「ヤクザがケツもちしてくれんの?」
その時、四天王のうち、耳をピアスでキラキラ光らせた少年が、モブ男、と鋭く呼んだ。新垣を睨んでいた。
「おめえ、おれらとやんのか? いいんだな?」
耳が大きくピアスだらけで、長い髪をひっつめているせいでよく目出つ。仲間に指示を出していた明るい声の主だった。
「脅しはもうきかないぞ」
新垣は声をはげまして言った。
「もう甘い顔はしない。クビになっても、きみらをまともにする」
お市はあらためて、
「で、誰がきみらのドジをカバーしてくれんの?」
「――」
「こんな暴対法で締め付けられているご時世、どんな奇特なアニキが、ドジ小僧を助けてくれんのさ。――それとも、勝手に組の名前使っているだけだったりして?」
四人はむすっと押し黙っている。
「さっきの三下くーん」
おまえだ、とお市は鼻血の少年に聞いた。
「本当に、組の構成員のお友だちなの」
「――」
「ヤクザは名前騙ると制裁きびしいよ? それこそ半殺しにされて、経済奴隷にされるよ? ――で、どこの組?」
お市は大きな目でのぞきこんだ。
少年ももはや先の勢いはなくなっている。ちらちらと四人を見るが、四人はうんざりと目をそむけて、彼を見ない。
「もういいや。知ってるやつに聞こう」
お市は、四天王のうち、髪を白っぽくブリーチした少年から携帯を取り上げた。アドレスを調べ、
「ホロ、ね――」
電話しようとすると、四人がわずかにたじろぐ。大柄で肥満した少年が、眉のない顔をゆがめ、
「あいつ関係ねえだろ」
「ところがどっこい、部下の不始末は上司の責任。でも、ヤクザの手下なら大丈夫でしょ」
「ホロは呼ぶな」
ピアスが言った。
「おれら、べつに組とのつきあいはねえよ。卒業したやつが親類で、たまに挨拶しただけだ」
なすびが舌打ちするが、
「ホロは巻き込めねえべ。あとがねんだから」
ピアスは細いあごをつきあげ、言った。
「おれらを警察に突き出したきゃ、好きにすりゃいいよ。ホロは呼ぶな。やつは関係ねえ」
「なるほど」
お市はうなずいた。
「だが、断る。もしもし、ホロおー?」
少年たちは目を剥いた。が、お市は見知らぬ相手に陽気に言った。
「おれ、お市。いまさ、おまえの友だち、仲良し四人組がさ。カチコミ来て、ボロ負けして、土下座してるとこ。おまえにもちょっと筋目通してもらたいんで、こっち来いよ」
お市は河原の位置を教え、電話を切った。