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怪現象……

 男は、新垣祐介(あらがきゆうすけ)といった。

 県立の工業高校、六花(ろっか)工業高等学校で教師をしていた。


「がっきー、教頭先生だったんだねー」


 お市は朝から機嫌がいい。

 ふたりは新垣から受けた三万円の布施で、昨夜は店に走って大量の肉と豆腐を買いこんだ。腹いっぱい肉豆腐をほおばり、飽き足らず名物の黒チャーハンを食べにゆき、腹くちるとスーパー銭湯に行って垢を流した。今朝もおじやの朝食のあと、菓子パンを買い食いして、ゆたかな気分でいる。


 お市は携帯の料金も払ってえびす顔だった。テツは領収書を見て、眉をしかめ、


「なんで携帯。米買ったほうがいいのに」

「携帯はおれの命綱。いいじゃん。これ経費としてがっきーに回そう」

「ナヤミ相談になんの経費だ」


 新垣の頼みで、ふたりは一応、職場である学校を見に行く約束はした。ただし、修行中の身であり、修法はできないということは伝えてある。


 ――お話を聞くだけ。


 ふたりは出家して半年の新米僧だった。

 得度はしたものの、行といえば、下座行――掃除しかしていない。当然、護摩供養法などは伝法されていなかった。


 万が一、勝手にやれば、越法(おっぽう)という罪となり、神仏の加護をうしなう。この道中は簡単な真言と般若心経しか誦むことができず、実質、身の上相談ぐらいしかできないのである。

 それでも新垣はすがってきた。


「来てくれればいいんです。お坊さんを見れば、悪霊も鎮まるはずです。助けてください」


 少し精神にヒビが入っているようだった。


「きっと、あれだよ。ガキのいたずらだよ」


 学校へ向かう道すがら、お市はスマホで情報を集めている。


「『大丈夫ですよ』って励ましてやってさ。心経誦んで、お斎にありついて、バイバイで」

「……」


 テツの口がうすく開いていた。

 お市は前方を見て、同じく口を開いた。一瞬、言葉が出なかった。


「――デトロイトに、こういう廃墟あるよね」


 畑の真ん中に、六花工業高等学校らしきまだらの建物があった。





 灰色の校舎には呪文のように、落書きがまとわりついていた。一階壁には火事の跡らしい黒い部分もある。

 校庭にはバイクが乱雑にたまり、生徒たちがレースごっこをして、ギャハギャハ笑っていた。

 お市は素直に感嘆した。


「こういうヒャッハー高校って、昭和とともに滅んだと思ってたわ」

「田舎には、まだあんだよな」

「窓ガラスが、全然ない。なん人尾崎来たらああいう窓になんだよ」


 三階建ての校舎の、窓ガラスはほぼ四角い穴となっている。中から、生徒がうろついているのが見えた。


「ちなみにごらんください」


 お市は言った。


「ただいま授業中です」


 生徒のうろついている教室にも、黒板の前には教師がいた。黒板にひとり板書し、背後の状態はかまわないようだった。


 駐輪場に座り込んでいた生徒たちが、僧形のふたりに気づいた。つなぎを着た、茶髪や金髪のぼさぼさ頭がふりむいて見ている。

 金髪がゆらりと立ち上がり、こちらに向かってきた。

 その時、


「テツさん。お市さん」


 二階昇校口へ続く中央の大階段から、新垣が駆け下りてきた。


「おはようございます。こっちです」


 彼はふたりを隠すように、小さい通用口へせきたてる。


「早足で。生徒と目を合わせないで。あぶないですから」

「……」


 お市が、そっとテツに言った。


「学校かと思ったら、サファリだったでござる」





 廊下にも階段にも落書きはのたうっていた。隅には、牛乳パックやパンの袋が散らばる。何を打ちつけたのか、床に穴があき、コンクリートがむき出している箇所もあった。

 ふたりが歩く傍らを、ローラーの低い音が通りすぎた。スケボーに乗った少年が、


「クリリーン!」


 パチンとお市の後頭部をはたいて行く。

 新垣も、こら、と言うだけで、追わない。

 ふたりの僧は目を見交わした。

 廊下に座り込んだ生徒たちが、面白そうに客を見ている。


「お、なんだ。誰か葬式?」


 ひとりがふらりと近づき、お市の前をふさぐ。


「カッコいい杖。見して」


 ほかの生徒も立ち上がり、近づいてきた。


「こらこら。教室に戻りなさい」


 新垣はそう言いながら、生徒の後ろになってしまっている。

 お市とテツは生徒たちに囲まれていた。


「何しにきたの、ハゲ」

「これいいね。魔法少女みたい。ちょい貸して」

「これから天竺すか」


 ふたりは黙って、生徒たちの顔を眺めている。

 生徒たちのなめきった笑い顔が次第にこわばりだした。


「なに見てんだよ。やんのか? おい」


 ひとりがテツの輪袈裟をつかんだ時だった。黒い袖が動いたと思うと、生徒はくるりと回って廊下に叩きつけられた。

 ほかの生徒たちが、ぎょっとして身をひく。


「え」


 ちょっと、と新垣がはじめて出てきた。


「何したんですか。いま」

「なにも」


 テツは言った。お市も廊下の小さい穴を示し、


「この穴にひっかかったんです。勢いあまって」


 新垣はそれ以上は言わなかった。ふたりを追いたてるようにして、職員室に押し込んだ。





 職員室の窓も無事ではなかった。

 かろうじてガムテープで修復してあったが、半分はガラスのかわりにダンボールが貼ってある。


 教員が数人残っていた。彼らはノートパソコンを開き、土産らしい茶菓子を食べている。黒衣の僧侶を見ても立ち上がらず、冷めた目で会釈するだけだった。

 新垣は、ふたりを校長室に通した。ソファをすすめ、


「ポットが調子悪くて」


 と、ポケットから缶コーヒーをふたつ出した。


「あ、お坊さんには、お茶のほうがよかったかな」


 テツは合掌して缶コーヒーを受け取ったが、何も言わなかった。

 校長のデスクに、厚い書類封筒が山と積まれている。窓から入った日差しが、積もった埃を白く照らしていた。


「お市さん、何かいますか。やっぱり」


 ふたりの無言に気づき、新垣が場をほぐすように笑いかけた。

 あははは、とお市の笑い声も乾いている。あきれて、何も言いたくないようだった。だが、彼は缶コーヒーを一口飲むと、切り出した。


「えーっと、霊現象じゃ、ないですね」

「――ちがいますか」

「んー。百ぱー、人災?」


 新垣はものいいたげだったが、お市はせいいっぱい温顔を保ち、


「これ、坊主に頼む話じゃないです。ふつーに学校崩壊ってやつでしょ。持っていく先は、県教委です」

「でも」

「そして、なんでこんな事態になっているかっていうと、校長先生が――なぜか長期不在。そして、先生がたは職員室に引きこもって、ゲームしてる。授業している先生は、うしろでガキがチンパンジーみたいに騒いでても、ひたすら板書。生徒じゃなくて黒板に授業してあげてる。あなたは生徒に注意できない。だーれも、職務上の責任をとらないから。――これを直せば、解決できますよ」


 新垣はゆがんだ笑いを貼りつかせ、お市を見つめていた。百万の言葉が詰まっていたが、のどから出せない。肩だけが、不自然に上下していた。

 お市もさすがに相手の顔色に気づき、


「校長先生は?」

「カナダです」

「なんで」

「修学旅行の、視察に」


 えええ、とお市はのけぞった。


「修学旅行? これ国外に出しちゃいけないレベルでしょ。その前にさあ――」

「……」


 お市も詰まってしまった。身の上相談ではなく、行政レベルで取り組まなければならない事態である。


 ――いや、これ全校総入れ替えしないと無理だろ。県だってどうにもならんわ。


 さて、とこの場の切り上げ方を考えはじめた時だった。 

 新垣が言った。


「教育委員会も、以前は相談に乗ってくれていましたが、あんまりに多すぎて、もう、行くと逃げるんです」

「……」

「生徒の将来を思えば、警察にも頼れない。みんなから見放されてるんです。だから、お経をあげてもらったら、少しは何かよくなるかと、思ってしまったんです」


 その目元がかすかに笑っていた。


「ぼくが血迷ってました。そうですね。自分たちがどうにかしないと、なんともなりませんよね」


 しかし、その白い顔にはまったく生気がなかった。口で何を言おうと、もう一滴の力も残っていない。

 テツが口を切った。


「先生は、なんで逃げないんですか」

「――」


 新垣はいぶかるように目を細めた。


「校長先生は逃げた。先生はなんで、逃げないで、踏みとどまってじたばたしているんです?」


 新垣は解しかねた。また笑おうとして、


「……わかりません」

「あなたが、菩薩だからです」


 テツの言葉に、新垣の目が大きくなった。テツは言った。


「地獄で戦う地蔵菩薩だから、逃げない。地獄におりていって、生徒を助けるのが悲願だから」

「!」


 新垣の頬に、にわかに血の気がさしのぼった。みるみる目を赤くうるませて、宙を見つめた。


「おれたち手伝うから、あなた、もう一度、踏ん張れよ」


 ナヌ、とお市が顔をこわばらせた。テツは言った。


「ただし、今度はクビを賭けろ。いざという時、責任とって辞める覚悟があるなら、おれもとことんつきあう」

「賭けます」


 新垣の声がかすれていた。うすい顔が真っ赤に変わっていた。


「命も賭けます」


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