バッカ城の虜
利休はひとつのサイトにアクセスするよう指示した。
サイトには『バッカ城の虜』というゲームが貼られていた。
画面をひらくと、暗い建物のグラフィックが出てくる。
「え、これうちの学校?」
廃病院のような陰気な建物には、六花高と同じ中央昇校口へ続く大階段があった。
生徒たちはおどろき、興味をそそられた。
昇校口に入ると、下駄箱の列がある。下駄箱に『世界史A』『地理A』など、いくつかの教科のボタンがあり、押すと『機械棟・二階へ進め』と出てくる。
プレイヤーがちょうど校舎の廊下を歩くように、グラフィックが動く。
機械科の実習棟へ行くと、実習室の前に『唐』と書かれた大きなピンクの豚が居座り、中に入れない。画面の下に手と唐辛子がうつり、『食べさせろ』と指示が出る。
利休が言った。
「豚に唐辛子食わして進んで」
唐辛子を与えると、豚は破裂するように口から火を吐いて悲鳴をあげた。
「唐辛子からーっ、唐滅亡―ッ、九〇七年ーッ」
豚の口から、機械音声とともに、炎に包まれた文字が飛び出してくる。生徒たちは、おお、とどよめいた。
中に入ると、黒板の前で、キョンシーたちがてんでに跳ねている。
機械音声が、「唐が滅亡して五十年の混乱」
片端から御札を貼り付けると、
「五代十国―! 五代十国―!」
キョンシーが叫び、その五指が傘の骨のように伸びる。お札に文字が現れる。
それらを退治すると、窓ガラスから『宋』のモンスターが出てくるという具合に、校舎のあちこちにモンスターが貼り付けてあった。プレイヤーがクリックするたびに、世界史のキーワードとヒントのアニメが出てくるという仕組みになっている。
生徒たちは、目を丸くして利休を見た。
「これ、利休さん作ったんすか」
「そうだよ」
利休は苦笑して、
「おまえら、ひとりひとり面倒見てらんねえから、ゲーム作ったんだよ。しょぼいけど、すこしは頭の隅にひっかかんだろ」
生徒たちは驚嘆した。
新垣は息を忘れて、スマホに見入っていた。つい、大声で叫んだ。
「すごい! これすごいよ! ちょっと! なにがスゴイってこれ、『記憶の宮殿』だろ?」
お、と利休もうれしそうな顔をした。
記憶の宮殿という記憶法がある。自宅の間取りを思い浮かべ、玄関や居間、台所などに、覚えたいキーワードを配置して、連想するというものである。
このゲームは、それを校舎に移し変えていた。教室の黒板や窓を思い出して、そこにいたモンスターとともにキーワードを引き出すという発想だった。
利休は茶でのどを湿して、
「社会とか暗記系のテストはこれでいけるんじゃねえかなと思って。専門科目もおぼえるやつはできるとおもうよ」
ただ、全学年までは手がまわらなくて、と言った。
田所も感慨ぶかげに目を細め、
「すさまじいですね。これ、わたしもやりたい。木下くん、作り方教えてください」
「っつかさ」
ブンブンが言った。
「これ、情報科のやつ、手伝えや。おまえら、こういうの作るの専門だろ」
情報技術科の生徒は、無理っすよー、と笑ったが、
「でも、すげえ。なんか面白え。ちょっとやりてえ」
ひとりが言った。
「『相棒』に手伝ってもらえねえかな?」
相棒というのは、いつもベストを着ている小柄な情報技術科の教師だった。
「新垣サン、話してみてよ」
新垣はついその気になったが、
「いや。ぼくが入るとかえってまずい。これ、きみらが先生に交渉してごらん。そのほうがスムーズに行きそうだ」
生徒たちはわくわくとゲームに見入った。教わる立場が、教材を作る、与える立場に変わり、にわかに視界がひらけた気がした。
テツは手を打った。
「ハイ。続きは学校で。ひとり十個、ゴミ拾え。帰るぞ!」
その晩、お市は十時近くに河原に戻ってきた。
テツは火を焚いて待っていた。
「ごくろうさまです。お市先生、飯は?」
「喰ってきた」
お市は火のそばに座り、大義そうにあぐらを組んだ。
「楽しかった? 山」
「充電した。全員。怪我もなく――お市に揚げゆばまんじゅう買ってきた。疲れたろう」
「残業代までしっかり稼いだからね。フラフラじゃよ」
お市は未明から起きて握り飯を作り、昼は定食屋でアルバイトをしていた。パペットマンの代打で、シフトに入ったのである。
男体山に遠足に行こうと誘った時、パペットマンだけは行けない、と頑なに断った。
――シフトの問題じゃねえ。金がいるんだよ。
彼の家は問題家庭だった。母はすでに亡く、父はアルコール依存でわずかな稼ぎをすべて飲んでしまう。小学生の弟がひとりいて、パペットマンが食わせてやらねばならなかった。
パペットマンは、来春、就職して、弟を連れて家を出るつもりでいた。
テツはお市をねぎらい、鉄鍋の熱い白湯を椀に注いで渡した。
「あいつ今日、行きも帰りもずっとしゃべりまくりだったぞ。電車で、やっと静かになった。寝ながら、入山のお守り握ってた」
「よかったねえ」
お市はけだるく笑い、
「もっといいことあるよ。お店のご主人にパペットマンの事情しゃべっちゃった」
「おー」
「マジ知らなかったのな。ちょっとショック受けてた。『未成年だから住み込みはむずかしいが、春まで弟も、まかない食わせる』って言ってくれたよ」
テツは友の仕事ぶりに微笑んだ。灰からホイル包みを掘り出す。包みを開いて、あげまんじゅうを出すと、塩を振った。
「塩振るといいって」
お市は無造作にまんじゅうにかぶりつき、甘味に満足そうな息をついた。
「がっきーは?」
「しっかりした」
テツは簡単に言った。
新垣は帰り、急坂の下山で力を使い果たし、老人のように杖をわななかせて電車に乗った。それでも、その頬は松明のように輝いていた。
『テツさん。ぼく忘れてましたよ』
彼は目をうるませて言った。
『いつのまにか、仕事を使命みたいに思ってました。ちがうんですよ。よろこびなんですよ。こいつらが可愛いから、働くんですよ』
山頂で、生徒たちが、可愛く思えてしかたなかったという。
『みんな弟みたいなもんですよ。いや、仲間かな。とにかく可愛い、大事な連中です。いっしょにいられること自体、幸せなんですよ』
テツはお市に、
「なんか、感激してた」
と言った。
「利休も面白いもの持ってきたし」
「そう」
お市は聞かず、大きくあくびした。
「元気出たなら、あとはたのむぜ。ちゃんと自分でやるんだぜ。お市菩薩はこれ以上のおせっかいはしない。次、なんか言ってきたら、もうおれは学校中ローラーでまったいらにする!」
遠足は、大きな変化をもたらした。
教室の空気が軽くなった。生徒たちはみな、ほがらかでのんきになっていた。留年の危機にあるはずだったが、深刻さが思い出せない。
――なるようになるわ。
と明るくおもっていた。
『利休のゲーム』という、希望が出来たこともある。
情報技術科の生徒たちは、利休のゲームを教科主任《相棒》に見せ、自分たちも作りたいから教えてくれ、と頼んだ。
《相棒》はゲームを見て、声をたてて笑った。生徒たちにプログラミングの教えを乞われるという事態にもおどろき、笑ってしまった。
「きみたち、これやりたいの?」
「はい」
「ふーん」
三年生は『学習支援ゲーム制作』を課題研究にすることになった。
さらに、
「せっかくだから、展示もしたら? とっかん祭、やるんでしょ」
ひとりの教師が味方になっていた。
よいことは続く。
行方不明だったストリート・アーティストが見つかった。彼はオファーをはじめて知り、
『え、学校の壁に描いていい? ホントに?』
バンにラッカースプレーを山と積み、はりきってやってきた。
朝、登校した生徒と教師たちは、大きく口をあいた。校舎の全棟に巨大なドラゴンが浮き上がり、丸い目を輝かせ、鉤爪を開いて躍っていた。
彼らは思い出した。
――とっかん祭やるんだ。
試験もとっかん祭もやれる、とも思った。そんな気分に変わっていた。
にぎり飯を分け合って喰った、この仲間がいれば、なんでもできるのではないか。
朝の掃除が復活した。半数はトロピカルについて町に出向き、商店の前などの道路を清掃する。世話になりたい店の前はとくに念入りに掃いた。
「おはようございまーす!」
掃除しながら、トロピカルは店主たちに挨拶した。
はじめ、うさんくさそうに見ていた商店主たちも、しだいに次第にあきらめ、ゆるした。生徒たちの挨拶に、挨拶を返すようになった。
「まあ、あの連中がグレたまんま社会に出て困るのは、わたしたちだからね」
と、にがわらいした。
商店主らは模擬店のために材料を安く卸してやるといい、包材を寄付してやった。店に入れ、調理のコツを教えたり、チラシに広告を入れることで広告費を出してくれる店もあった。
店主らは刷り上ったチラシを見て、おどろいた。
「ミカナちゃん呼ぶのか。ミカナちゃんにも食べてもらうのか?」
しかし、ミカナ・プロジェクトは行き詰ったままだった。