よたよた動き出す
テツはミシュランの太い首を抱えこみ、その額に拳をぐりぐりめり込ませた。
ブンブンが言った。
「どうやって呼ぶのか皆目わかんないんすよ。一応、ネットの質問箱で聞いてみたんすけど、ひやかししか来なくて」
しつもんばこ、とお市は貴婦人がよろめくように倒れた。
「じゃ、明日」
田所と新垣はよろしく、と辞去した。妹尾もついて行こうとするのを、
「マテ顧問!」
テツは妹尾の肩をつかみ、中心に据えた。
妹尾は座りなおし、
「長嶺ミカナ、ブログやツイッターはやってないのか」
利休が言った。
「公式ブログがあるんすけど、イベントの情報ばっかりで。こっちからコメントも送れなくて」
「誰かファンクラブに入っている者は」
おれ、とホロが手をあげた。
しかし、ファンクラブもファン同士の交流サイトはあっても、ファンがタレントに働きかける窓口はないようだった。
むくりとお市が起き上がった、
「長嶺ミカナは三流芸人じゃないんだよ。事務所は大手の神楽プロだし、やや旬を過ぎたとはいえ、まだ第一線で活躍してる稼ぎ頭。それをクリスマス付近に、しかもこんな近々に呼ぶなんて、アメリカの大統領でもやれんわ」
「……」
お市は言った。
「でも、栃木の出だったよな」
「宇都宮っす」と、トロピカルが答えた。
お市はあごを突き出し、少し考えた。
「――とっかん祭にしよう」
「?」
「おまえたちの祭り、六花高祭じゃなくなったんだろ。栃木の栃、漢字の漢、祭りだよ。とっかん祭」
はあ、と五人は意味がわからない。ブンブンが聞いた。
「それでミカナが来るんすか」
「はてさて」
「――」
お市は言った。
「ミカナちゃんがいくらおまえらの要請に応えたくても、彼女の仕事は事務所が判断する。ビジネスは利益で動く。正直、片田舎のDQN高校に、事務所が欲しい利益はない」
「……」
「でも、おまえらに話題性があれば、もしかしたら、何か反応するかもしれない」
五人は考え込んだ。
ミシュランは先から目がうつろになっている。トロピカルにいたっては、カレー鍋の汁を勝手におたまですくって飲んでいた。
テツはその頭をはたき、説明した。
「日本中の人が興味を持つような文化祭にしてみろってことだ。――五人で考えてもわかんねえよ。せっかく、おまえら一七七人も仲間がいるんだから、全員で知恵をしぼれ」
全員で、と言われ、五人はホッとしたような顔になった。
利休が言った。
「それで向こうから連絡来るんですか」
いや連絡しろよ、とお市が言った。
「両輪でやんの。ちゃんと事務所にオファーを入れる。誠実にお願いする。はっきりいってまともに金は出せないんだから、むこうの宣伝になるような、スゴイ話題の学校になれ」
できんのかそれ、とブンブンが鼻にしわをよせた。
テツが教えた。
「超カンタンだ、と十回唱えろ。動きやすくなる」
五人は言われるがままにブツブツ唱えた。
ブンブンはフットワークがいい。
すぐにカッとなり、下級生にも恐れられていたが、五人のなかでは一番、実務能力があった。
彼は放送で全校に向け、クラスで集会をやるよう指示した。
日本中が来たくなるような文化祭のアイディア、について話せという。
しかし、これはまったく進まなかった。連絡員を呼びつけたが、
『なんか関係ない話になって、ケンカになっちって』
『日本中とか、よくわかんないっす』
話し合いになっていなかった。そもそもクラスでひとつの話題を議論するという習慣がない。
利休がいう。
「おれらってさ。烏合の衆なんだよな」
ブンブンは頭を抱えた。
ホロが彼の背を叩き、
「カンタンだ。超カンタン」
ミシュランとトロピカルも超カンタンと励ます。
ブンブンは彼らを殴りつけると、言った。
「全校集会だ」
その夕方、全校の生徒を体育館に召集した。
ブンブンは最初、文化祭のアイディアについて自由に意見するよう言った。だが、誰も挙手しない。
「怒らないから、ちょっとくだらなくてもいいから」
ブンブンはやさしく言い、待った。沈黙が長くなり、ブンブンの顔に険悪な影が落ち始めた時、ひとりの生徒が立ち上がった。
「おれ、ミカナ、めっちゃ好きなんすけど」
「うん」
「好きすぎて、この学校には呼べない」
「……」
ホロが代わりに聞いた。
「なんで呼べない?」
「ここきたないっすよ。だいぶきれいになったけど、坊主いなくなって、掃除止まってるじゃないすか。ここの窓とかもさ。アレっすよ? ――こんなとこ呼んだら、ミカナかわいそっすよ」
ほん、とホロはうなずいた。
「いいよ。こんな感じでいいたいことあったら言って。ブンブンも怒んないよな」
ブンブンもうなずいた。
同じ考えの者はほかにもいるようだった。
「だいたい、ミカナ来んのか? 呼べば来んのか? 来ねえよな? 来ねえのにこんなこと言ってても、意味ねえっていうか」
生徒たちは口々に言い出した。言うほどに語気が荒くなり、怒りを帯びてくる。不安と不満が剥き出されていた。
ひとりが立ち上がって言った。
「無理しなくていいんじゃね? 適当に出店やって、適当に出しものやって、ふつーの文化祭で」
ホロが言った。
「それかいっそナシとかな」
「――」
生徒たちが静まった。
ホロは言った。
「つまんねえよ。適当な文化祭なんて。ミカナがからまないなら、おれやんね」
生徒たちはたじろぎ、口をつぐんだ。
ホロは体育館から出て行った。
その晩、鬼怒川のキャンプには数十人の生徒が集まっていた。
「怒らないって言ったのにさあ」
「自由に意見言えっていうから言ったらこれだよ。ワナか」
生徒たちは口々に訴え、鍋に割り箸を突っ込んだ。
「なんか白菜ばっかりっすね」
「うちから肉持ってきましょうか」
お市がうなずく。
「それはいい心がけだ。コメも持って来い」
生徒たちはバイクを飛ばし、鍋の具材を運んできた。それを鍋に足し、食べながらまた文句を言う。
お市とテツは茶化しつつ、それを聞いていた。
喰い、文句も言い尽くしたとみて、テツは言った。
「お市、ホロを呼べ」
生徒たちがあわてた。
「ちょ、それは」
「不満なんだから、ぶつかるしかねえだろう」
まもなく河原にホロとブンブンが現れた。
ホロは集まっている連中を見て笑った。
「さっきごめんな。おれ、怒らないって言ったよな」
生徒たちがかたい笑いで応じる。
話し合いは紳士的に行われた。「ふつうの文化祭派」の生徒たちも攻撃的にならず、頭越しに話が進んで戸惑っているだけなのだ、できるのかわからないので不安なのだ、と言った。
「ホロさんが指揮とってくれてんのに、生意気言ってすんません」
「いやいや」
ホロも大勢の気持ちに気づいたらしく穏やかに応じた。
「勝手に進められて、腹立つよな。ま、この文化祭は――お市坊がはじめたんだけどね」
おれか、とお市が目を丸くする。
ホロは言った。
「ミカナはね。おれが小学一年の時、手をつないでくれた六年生のお姉さんだったんだよね」
「!」
「おれ小学校まで宇都宮にいたの」
ホロは昔話をした。入学してすぐのオリエンテーションに、六年生がひとりひとりバディを組んでくれた。その相手が、長嶺ミカナで、
「なんで覚えてるかっつーと、彼女が上から読んでも下から読んでも、ながみねみかな、って教えてくれたんだよね」
「……わりと気さくっすね」
ひとりが身を乗り出した。
「手は、やっぱ指とか細いんすか?」
「よく覚えてねんだわ。おれあの時、犬が病気で早く帰りたくてよ。ミカナもまだ芸能人じゃなかったし、ふつーの子だったと思うよ」
それでも彼女がデビューしてからは、あれだ、と思い出し、ファンクラブに入って応援しているという。
「むこうも覚えてないし、立派にやってるけども、でも、やっぱ応援したいってかさ。支えたいっつうか。地元としては思うわけよ」
生徒たちの顔はいつしかくつろいでいた。
対立する空気は消えていた。
「いんじゃないすかあ?」
誰かが言い、周りも承知した。ふんわりと、彼らは心地よいひとつの輪になじんでいった。
この集まりで、話は大きく進んだ。
ミカナを呼ぶ以上、もっと学校の見栄えをよくしたい。壁をなんとかしたい、という話になった。
誰かがいっそ絵を上書きするのはどうか、と言い出した。知り合いに絵のうまいストリート・アーティストがいるから、それに頼もうという。
また誰かが、
「校舎をドラクエの城みたいにしてもらうのは?」
と言い出した。
彼はドラクエみたいな学校なら、全日本人が興味をもつんじゃないか、自分なら行きたい、と言った。一同も目を輝かせ、同意した。
お市は唸った。
「おまえらとドラクエ、工業高校とドラクエ、栃木とドラクエ、全然関係ねーな」
「ダメっすか」
テツが聞いた。
「工業高校って、ロボットとか作るんだろ。動くスライムとか、不思議な踊りをおどる人形とか作れないの?」
彼らは一様に手を振った。
「おれら、バッカ工ですから」
「近くのなんとか工業高校と間違えちゃいけませんよ」
「でも、先生はバカじゃないだろ」
「!」
八頭身に頼もうということになった。
ブンブンが整理した。
「ミカナ・プロジェクト。壁プロジェクト。ロボット・プロジェクト。模擬店関係。あとステージ部門な。この五つにグループ分けして、進めよう。――ロボットは機械科でいいよな」
機械科の少年たちは、えー、と騒いだが、うれしそうだった。ほかの科の少年たちもそれぞれ役割を当てはめられ、芝居の役でももらったように笑い、はしゃいだ。
冒険がはじまりそうだった。うっとうしかった重い空気が動いている。今度こそ、ずっと待っていた、新しい風が吹くのではないか。
しかし、この動きを潰そうと暗躍する者がいた。