ちょっかい全開
校長の司紀夫(つかさのりお)は細長い、線対称の顔をしていた。
目が切れ長で、鼻筋がとおり、挙措動作も品がよい。一部生徒には『歌舞伎』と名づけられていた。
大の仕事ぎらい、であった。
器量よしで、知的に見え、ひとと問題を起こさないため、年齢にしたがって出世し、校長の地位を得た。
しかし、教育に興味はない。若い時は、瞬間的によき教育者たらんとしたこともあったが、基本的に子どもに関心がなかった。子どもは何十年も前から、彼の手に余った。
――工場に勤めればよかった。生徒がある日、シーチキンの缶詰に変わってくれたらいいのに。
などと思ったりした。
給料のために仕事はしたが、学校は好きではない。
今回のカナダ視察も、とくに必要ではなかった。修学旅行をする予定もなかったが、他校の教師が視察に行くというから、混じってナイアガラを観光してきたのである。
帰って、写真の整理をしていたら、無能な教員たちにガミガミわめかれてうんざりした。
なぜか、坊主を追い出せという。
追い出した。いつ坊主など入り込んでいたのだろう。
なにをとち狂ったか、教頭の新垣が、家の戸口までやってきた。だが、あの男はいつもへらへらして、言っていることが要領を得ないのだ。
今また目の前で、しつこく言い募っている。しかも、仲間がふたり増えていた。
新垣はつきつめた目をして訴えた。
「あれだけ荒れていた生徒たちが、ちょっとだけ前を向きはじめているんです。今、あのお坊さんたちを手放すわけにはいかないんです。学校が立ち直るか。元の木阿弥か。今が瀬戸際なんですよ」
「ふむ――」
司校長は、新垣のとなりにいる長身の若手教師を見ていた。
――おれがこれだけ背があったら、学校なんか来ないで、バスケやってるね。
背が高いと吸ってる空気が薄すぎて、そういうの思いつかないのかな、などと考えた。
司校長は聞いた。
「おふたりは、同じ意見ですか? 妹尾(せのお)先生はたしか――」
「意見が変わったんです」
妹尾――八頭身はぶっきらぼうに言った。
「やはりうちには、頑丈な生活指導の先生が必要です。毒をもって毒を制すんです」
「なるほど」
――何言ってんだこいつ。
司校長は、ご隠居のようにすましている田所のほうを向いた。
「田所先生は、お若い頃、生活指導をなされていましたよね。そのお坊さんがいなくても」
「無理ですね」
田所――歌丸はそっけなく言った。
「わたしには、三日で全校生徒の名前と顔を覚える能力もありませんし、逃げる生徒を、三階から飛び降りてとっつかまえる体力はありません」
「はあ――」
――なにそれ人間?
司校長はうなずきつつ、三人を退室させるタイミングを探しはじめていた。
面倒ごとは嫌いである。
あと一年半で退任なのだ。あと一年、できれば公費か企業団体の金でまたどこか海外視察に行って、それでおさらばだ。
「わかりました。もう一度よく考えてみましょう。一応、反対の先生もいますのでね」
新垣がすかさず言った。
「校長先生がご決断くだされば、ほかの先生も納得していただけると思います」
「いや、みんなで働いている職場ですからね。無理やりは」
新垣はいつになく語気を強めた。
「校長先生にはその権限がおありです。責任も。生徒のために、いまご決断なさってください!」
司は愛想よく微笑んだ。
「あせらないあせらない。あとのことは、わたしに任せておいてください」
三人の顔がどんよりと暗く曇った。
「あれはダメです」
新垣はうなだれて言った。
校長の無為無策にはこれまでイヤというほど泣かされてきた。耳障りのいいことはいくらでも言ったが、岩に貼りついた貝のように動かない。
「逃げる時は、はぐれメタルみたいに逃げるんですけどね」
《八頭身》妹尾もにがわらいした。
「あと一年ですからね。とにかく何もしたくないんでしょ」
《歌丸》田所も腕組みして、
「別の方面から動かさないとダメですね。教頭先生、お坊さんたちを臨時スクールカウンセラーにする件は無理そうですか」
「審査中とは言っているんですけど、役所は特例にはきびしくて。校長の推薦があれば、とっとこ進むんだけどなあ」
妹尾が言った。
「校長がまた海外に出張に出れば、新垣先生に権限が戻ってくるんじゃないですかね」
「――いま、帰ってきたばかりですよ」
三人は腕組みして唸った。
その時だった。
テステス、とスピーカーから割れた人声がした。
『こちら生徒会。臨時文化祭執行部。こちら生徒会。臨時文化祭執行部』
ごそごそとマイクの後ろで声がする。ホロ達らしかった。
ホロが言った。
『これより、文化祭に呼ぶタレントの決選投票を行う。イチ、長嶺ミカナ。ニ、三浦りか。なお、おれのイチオシはミカナだ』
ずりいよ、とミシュランの声がする。
ブンブンの明るい声が代わった。
『いまの脅しは聞き流していい。長嶺ミカナか三浦りか、紙にどっちかの名前を書いて、ええと――掃除の時の連絡係に渡せ。連絡係は生徒会に持って来い。昼休みまでだ。全員参加だからな。数が合わなかったら、犯人探し出して、あとでシメる。以上』
生徒たちがざわめきはじめた。
――タレント呼ぶの?
――やっぱやんのか、文化祭。
――え、二択? レナレナとかはダメなんかい?
話す声にホッとしたものが混じる。だが、少し心配でもあった。
あのパワフルな坊主たちがいなくなって、本当に文化祭など実現できるのだろうか。
ブンブンはホロに聞いた。
「ほんとに、やんのか」
「おう」
「面倒くせえぞ」
「どうせヒマだし」
ホロはタバコを出し、火をつけた。
「ミカナ来たらおもしれえだろ」
「相当たいへんよ? 学校がいいって言うかわかんねえし、文化祭なんかやり方わかんねえ。タレントだって、ホイホイ来るもんじゃねえべ」
「ブンブンにはできるよ」
「おれかよ!」
ホロは煙に目を細め、
「工事のおっちゃんが言ってたろ。おめーらの学校、ゲゲゲの学校みてえだなって。部活動もねえ。修学旅行もねえ。なんにもねえ。文化祭ぐらいやったっていいんじゃねの? せっかくミカナも来んだし」
「未定だ! まだ投票結果すら出てねー」
――ウソ、下手くそ。
ブンブンは思った。
ホロは不愉快なのだろう。
ホロはおおらかで、人のしくじりには寛容な男だったが、彼なりの美意識のようなものがあった。そこに醜いと映ると、わざわざ行ってちょっかいを出す。
ちょっかいを出す時は、なんの得がなくても徹底的だった。