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郷愁を誘う果実

ソファーでの束の間の休憩の後、ホテルの支払いを済ませたケンタは新宿のビジネス街を歩いていた。

トリスキ教の神父として理想の食事は鳥肉、そして卵である。

一日の初めから散財をしたケンタはファミリーレストランで手軽に、そして安い食事を摂る事にした。

朝とも昼とも言えない時間だが店内はそれなり賑わっている、残念ながら禁煙席が埋まっていたので喫煙席に案内してもらい、鶏肉のオーブン焼きに半熟卵を添えたもの、それにライスセットを注文する。

長居するつもりはなく、そもそもこの店のドリンクの安っぽい味が好みでは無いからドリンクバーは頼まない。


トリスキ教の神父がファミリーレストランで食事を摂る姿はどうやら目立つのか、通り掛かる利用客がチラチラとケンタを眺めていく、ケンタにとってこれは特に珍しい事では無いので気にせずにムシャムシャと鶏肉を平らげていると、ケンタに声を掛ける者が居た。


「あっ、ケンタさんじゃないですか、ここに座ってもいいですか?」


明るい調子で声を掛けて来たのは誰が見てもホストと解る青年だった。

年のせいか若干くたびれた印象の………それでもケンタよりはだいぶ若いが………どことなく愛嬌のあるホストと、パッと見ではいかにも切れ者と言った印象の若い美形のホストの二人組である。

ケンタに親し気に声を掛けて対面の席に座ったのは愛嬌のあるホストの方で、もう一方の若いホストは職業的な作り笑顔を浮かべている、こちらは席に座るのにケンタの許可を待っているようだ。


「構いませんよ………と言ってもミハシさんはもう座っていますね、そちらの君もどうぞ腰を掛けてください、久々にお会いしましたが、ミハシさんはまだ水商売を続けているんですか?」


「水商売!」


何が面白いのかミハシと呼ばれたホストが笑い声をあげる。


「あは、ケンタさんの言い方硬過ぎますけど、僕たちまだまだ水商売で喰ってきますよ、なっ、イヅキ」


俺が喰えるくらい稼いでくれよと言葉を続けて、ミハシはイヅキと呼ばれた若いホストの肩をバシバシと強く叩く。

イヅキには何かミハシに対して後ろめたい事があるようで、気まずそうにこくこくと頷いている。

ケンタが知る限りでは、ミハシはホストとしては一線を退いて経営者として新宿で幾つかの店を経営していた。

二人の関係を見るに、ミハシが連れ回すからにはイヅキはどこかの店舗で看板を張るようなナンバーワンホストなのだろう、しかし、恐らくはミハシが満足するような売り上げを稼げてはいないのだ、ミハシは表面的な愛嬌の良さとは裏腹に、傍から見て冷徹さを感じるほどに金銭に強欲な男だった。


「二人とも、なにか食べますか?」


ケンタが言外に奢りますよとニュアンスを込めると、ミハシは「いいんですか」と返事をして楽しそうにメニューを眺め始める。

仕事上の付き合いでは決して見る事が無い、心底楽しそうなミハシの様子に不可思議なものを見てしまったような気持ちになり、内心の気持ちが表情に出ていないかどうか不安になったイヅキは傍らのデザートメニューになんとなく視線を動かすと、イヅキがデザートを食べたがっていると勘違いしたケンタに声を掛けられる。


「甘いものがお好きですか、このリンゴを使ったシブーストは美味しいですよ」


イヅキにとってリンゴは郷愁を誘う果実である、そしてケンタの年を経た男性特有の優しい声色からは、ミハシの経営するホストクラブで働く日々では決して聞く事の出来ない温かみのある響きが感じられる、イヅキは自分を心配しながら病苦の末に亡くなった母を思い出した。

イヅキの母は青森県の出身だった、いわゆる高齢出産であり、自分が産まれた頃には母は40代に差し掛かろうとしていた。

リンゴ農家を営む母方の祖父母が持って来るリンゴは味は良かったが、幼少期から母の死を挟み、東京に出てくるまでの間に延々と食卓に登ったためか、もう一生食べなくてもいいと思うほどにリンゴは食べ飽きていた。

まして東京のリンゴの味は………などと考えて、イヅキがケンタの言葉に返事をしないでいると不意に寒気がする。

何事かと思って横を見るとミハシが、飼い主が暴漢から攻撃を受け、今まさに必殺の反撃に出ようとしている猛犬のような凶悪な表情でイヅキを睨んでいた。

自分の想像を大きく超えて、目の前の神父はミハシにとって重要な人物だったようだ、リンゴの思い出に気を取られてケンタへの返事が遅れた事でここまでミハシを怒らせるとは思ってもみなかった。

ミハシがトリスキ教徒だとは思えないが、宗教で結びついた人間関係は非常に強固なものだと聞くがそれだろうか。


既にミハシからはイヅキが務める店の売り上げが低調な件で怒りを買っている。

今日は店を閉めてから延々と新宿の各所を歩き続け、暴力を伴う説教を受け続けていた。

イヅキから見てミハシはホストなどと言う生ぬるい職業の男では無い、経済ヤクザとかインテリヤクザとか、あるいは、もしかすると武闘派ヤクザと言われるたぐいの人種だ。

売り上げが低調なくらいではせいぜい腹を優しく………入院したり死んだりはしないと言う意味で………蹴りあげられる程度だが、ミハシに殺されたのではないかと疑わしい行方不明者はミハシとの二年ほどの付き合いでそろそろ片手に余る、もし殺されたのではないとしても奴隷として、漫画に出て来るような地下帝国でその残りの一生を採掘作業のために過ごしているのではないだろうか。


裏家業の人間がホストクラブの元締めであろう事は漫画やテレビから得た薄い人生経験でなんとなく想像は付いていたが、まさかこれほど恐ろしい男と四六時中顔を突き合わせると知っていれば幾ら大金が欲しくてもホストにはならなかっただろう。

ミハシへの強い恐怖から、イヅキは自分がこれほどの大声を出せるのか、と驚くような大声で間の抜けた返事をしてしまった。


「リンゴ!凄い好きです!」


ファミリーレストランのざわめきが一瞬途絶えて、店内の各所からクスクスと笑い声が聞こえた。

その後、テーブルに届いたキャラメルとリンゴのシブーストは、イヅキにとってはいつまでも、このままずっとこの店の中で、目の前の神父に見守られながら食べていたいような味だった………。

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