52時間経過、カチッ <C109>
某放送協会の番組じゃあるまいし、72時間で話は終わりませんよ。
このタイトルネタはNGでしたか。
一日2食で夕食は午後3時頃に頂くのが、この時代の流儀。
昨日同様に元の世界に比べると箱膳の上は質素で寂しい。
俺は、味覚からの情報を遮断しているので、今日の食事の味をどうこう言えないが、元いた世界と比べると、沢庵を除いて、おおよそ比較にはならない代物だと思った。
主食の雑穀米ご飯は、今日は沢山用意されていて、女中のトメさんがお櫃からお代わりを何杯でもよそってくれる。
でも、体の持ち主である八兵衛さんは、この待遇をとても喜んでいる。
食事の間中、俺は伊賀七さんの時間・空間の隔たりについて考えた。
『何もかも200年ぴったりということは、宇宙における座標がほとんど同じ場所だった、ということになりはしないか。
地理としては、神奈川と茨城というように隔たっているが、ある時刻のずれ、例えば憑依に要した時間がこの距離の差になっているとかは考えられないだろうか。
せめて、事故のあった地点とこの場所の正確な緯度だけでも判れば、緯度の差から時間的にどの程度かかって憑依したのかが割り出せるかも知れない。
そうすると、俺の魂=意識が離脱するかどうか、念じる時間の基準ができるのではないか』
そんなことを思いついた。
食事が終わって、白湯を頂いているときに、伊賀七さんに尋ねてみた。
「伊能忠敬さんという方か、間宮林蔵さんという方を知らないですか」
どちらも、地図の測量で名を馳せた日本の名士だ、日本の誉れだ。
そして、伊能忠敬1800年蝦夷測量、間宮林蔵1808年樺太探検だけは覚えている。
またまた元号換算かと思いきや、俺が知りたいのは2地点間の経度差か距離だけなのだ。
ここで、俺がもう覚えてない知識を、アンチョコから補充し披露。
伊能忠敬:1745年~1818年
1745年、上総国山辺郡小関村・千葉県山武郡九十九里町小関にて誕生
1762年、婿入りし下総国香取郡佐原村・千葉県香取市佐原に移住
1795年、隠居し江戸深川黒江町に移住
1800年~1816年、全国を測量し、大日本沿海輿地全図を作成
間宮林蔵:1780年~1844年
1780年、常陸国筑波郡上平柳村・茨城県つくばみらい市にて誕生
1799年、蝦夷地、国後に派遣され測量
伊能忠敬とも測量
1808年、樺太を探検
1811年、松前奉行支配調役下役格、蝦夷へ派遣
1822年、普請役=土木工事のまとめ側を担当
1828年、勘定奉行配下の隠密として全国を調査
「健一様が、そのご両名のお名前をご存知とは驚きです」
一応、この物語の進行上、上の一行で終わらせることもできたが、あえて補足する。
いや、させてください。
日本史の上では「伊能忠敬、間宮林蔵」という名前で記憶されているが、この両名は俺が憑依した時点ではまだ存命しており、名前を出しただけでは「それは、だれかのぉ」という反応だったのだ。
このため、俺は両名に関して知っている限りの知識を絞り出し、人物・功績を説明するハメになった。
ただ、この功績も曲者で、この時代の真っ只中では見えていない価値を説明するに到っては、もう未来情報の隠匿なんて言うのは土台無理な話であり、もしこの説明した中身が記録されて、しかるべき筋に全部流れたら、俺だけじゃなく、ここの在所の住人全員が連帯責任という名目でお縄になるに違いない。
そして俺は、時代劇よろしく即、市中引き回しの上、獄門、さらし首なら上出来で、その前に拷問され、歴史知識をあらいざらい白状させられた上こっそり始末されてしまうのは確実なのだ。
例えば、元号一つにしても、まだ登場していない「天保」「安政」「万延」「文久」「慶応」なんていうものが、思わず出てきてしまうのだ。
言いたい放題の平成の世であっても、「次の元号がこれ!」なんて、知っていても口に出せないだろうし、もし当ててしまうとなると、世間的にバッシングを受けるだろう。
ましてや、言論統制の世界で、ある意味軍事政権なのだ。
まずいものに蓋は、お家芸に違いない。
いずれにせよ「伊能忠敬」については、結構年寄になってから隠居した後、幕府の天文方に入り測量技術を身につけ、日本国中を測量して回ったという話をすると、江戸深川の三郎右衛門というキーワードが出てきた。
伊賀七さんが三郎右衛門の概略を説明してくれ、俺の知識と照合してどうやら同一人物と判定できた。
60の手習いという多少特異なエピソードがある伊能忠敬であればこそ、どうにかなったが、間宮林蔵ともなると困難を極めると思っていた。
しかし、樺太探検という話が出たとたん、間宮林蔵は確定ができた。
それだけではなく、間宮林蔵の生家が半日もかからずに行けるほどの近さにあり、伊賀七さんとも面識があり、書簡の往復もあるとのとこだった。
今年39歳になる間宮林蔵は、幕府という組織の中で、かなり上の役職まで来ており、蝦夷地・松前にある幕府奉行所へ派遣されている、とのことだ。
さらに、話しを聞くと、新規考案した測量器具の試作の関係で、間宮林蔵を介して伊能忠敬ともやりとりできる関係であることが判明した。
こういった具合で伊賀七さんと、間宮林蔵・伊能忠敬との関係が聞き出せたところで、夕闇迫る刻限となり、続きは翌日ということで開放された。
こうした俺と伊賀七さんとの一連の会話は、新しい技術用語と地元言葉の影響で、実際にはかなり面倒な状態になっている。
だが、この面倒な状況を仕切っているのは、実は八兵衛さんであり、この結果八兵衛さんには俺の知識が、平成時代の科学に関する知識・基本的な物事の捉え方なんかが流れ込み、そして取り込まれているのに気づいた。
例えば、スムーズにいった場合でも概ね以下のやりとりになる。
伊賀七「三郎右衛門様に何をお尋ねなさるおつもりじゃ」
俺 「八兵衛さん、声が低くて訛がきついので、聞き取れなかった」
八兵衛『伊能忠敬先生には、何を聞くつもりなのか教えてくれ、という問いでございます』
俺 「事故にあった場所とここの地域時差を知りたいのだ」
八兵衛『地域時差とはなんでございましょう。とりあえず伝えて、この言葉へのご質問があってから答えてもよろしゅうございますが、できれば避けて頂いたほうが無難かと存じます』
俺 「事故にあった場所とここがどれ位距離があるのかを知りたい、でいいか」
八兵衛『とりあえず、そのように伝えますが、距離が判ると時差が判るのですね』
八兵衛「健一様は、元いた場所と今の場所がどの程度離れているかをお尋ねしたい、とのことでございます」
伊賀七「あいわかった」
八兵衛「さて、健一様、地域時差とはどんなものですか」
俺 「経度の差、太陽がその場所で南中する時刻の差だよ。地球は一日一回転しているから、南中時刻が地域によって違うのだ。地球の大きさは解っているので、緯度と2点の東西間の距離がわかると南中の時刻差がどれくらい違うのかが計算できるのだよ」
このように、正味たった丸2日の付き合いだが、伊賀七さんとの話しの中継をする間にどうしても俺から漏れてしまう、いや漏らしてしまう情報があるのだ。
ともかく夜になり開放されたが、運命の72時間まであと12時間位だろか。
俺の思惑とは別に、八兵衛さんは昨夜同様納戸の布団へ潜り込んだ。