憑依後48時間を経過 <C108>
今回、自分でもクドイと感じた仕上がりになっていますが、ご容赦ください。
文化十四年、丁丑水無月13日(1817年7月26日)。
俺がこの世界の八兵衛さんに憑依してから丸2日間、48時間経過した朝がきた。
相変わらず、元の世界に戻っていない。
明日朝で事故から3日目、もし俺が生死の境をさまよっているのなら、運命の72時間が近い。
このまま意識がこの世界に留まるのなら、俺の体はどうなっているのだろうか。
生ける屍となって、両親・妹に迷惑を、負担をかけているのだろうか。
友人や部の後輩なんか、心配してくれているのだろうか。
そんなことを考えているうちに、体の物理的な主は覚醒を始める。
朝日が出て周りが明るくなり始めると、八兵衛さんは布団から起きあがる。
そして、別宅の土間の裏口から出たところにある井戸傍に行き、上半身裸となる。
釣瓶で水を汲み頭から被り、顔を洗い、手ぬぐいで体を拭く。
こういった一連のルーチンは、俺は何も手出ししないし、助言もしない。
『やはり、意識だけの憑依でよかった。
ほっておけば、体の持ち主が本人の常識の範囲で自律して動いてくれる。
これは、ありがたい設定だ』
吹く風に体をあて、服も半乾きになったところで、ご隠居様付きの女中「トメ」さんが呼びに来る。
「八兵衛さん、ご隠居様がお呼びじゃ。
そんなところでボサっとしとらんと、早ようおあがり」
女中のトメさんは、八兵衛さんの中に俺が同居していることを知らないので、結構ぞんざいな感じで声をかけてくる。
俺はそのほうが嬉しいのだけどな。
さて、昨日と同じく囲炉裏のある座敷で質素な朝食が終わると、人払いを済ませ、奥の書斎へと移る。
ここからが、本当の勝負が始まる。
今朝、八兵衛さんが起きる前に考えたことを、真剣に考えて結論を出すべきだ。
恐縮したように縮こまって畳みの上で正座してる八兵衛さんを前に、文机を挟んで向き合って座った伊賀七さんが話しかけてくる。
「健一様、あなた様が八兵衛に憑依していることは、昨日の問答の内容から間違いないと確信しています。
そして、その憑依ですが、自分の意志でどうにかなるものなのでしょうか」
相変わらす、伊賀七さんは鋭い。
「昨晩、健一様の憑依のことを考えてみたのですよ。
おそらく、健一様は知らぬ間に意識だけ転移させられていて、元に戻ろうと、きっと何かされたのだろう、と。
しかし、それは叶わなかった。
その理由は、時間・空間が大きく違っているからじゃないのか、と」
俺はそこまで考えていなかった。
「何らかの事故で体から飛び出した健一様の魂は、まずきっちり200年の時を越えた。
そして、依代としてやはりきっちり200年の差がある八兵衛が好ましく吸い込まれた」
「私には、健一様が無理やり元の体、直接200年を超えようとして無理をしたのではないかと思ったのです。
それならば、まずは近くの体に憑依し直すことができないか、試してみるのも手なのかな、と考えました」
「例えば、八兵衛の中から出て、私に憑依し直すことができませんかね」
俺は伊賀七さんの推理を聞いて、その柔軟な発想に驚いた。
一般に日本史や世界史といった歴史を勉強していると、俺には昔の人間が間抜けに見えてしかたなかったのだ。
しかし、たかだか2世紀の差しかない人間で、能力に差が起きるほど進化する訳はない。
違いがあるとすれば、思考のベースとなる知識・情報量と、その知識・情報を処理する方法論の多寡、言い換えれば知識・情報の処理速度なのだ。
より少ない情報から、真理・解を導き出すのに現代人も古代人も何ら差はない。
昔の人間が間抜けに見えるのは、俺の歴史の学び方に何か欠点があるからに違いない。
「伊賀七さん。
あなたの話しに、俺は大変驚きました。
確かに、八兵衛さんに憑依した直後に、自分の体に戻れるかを何度も念じましたが、一向に変化がなかったのです。
この時代の別な人に憑依できるか、なんて思いもしませんでした。
ちょっと試してみますね」
俺は、まず八兵衛さんに言った。
「ご隠居さんにうんと近づいてください。
そして、お互いの額がうんと近づくように寄せてください」
それから精神統一をし、八兵衛さんから伊賀七さんへ意識が移る姿、移った姿を念じた。
そのイメージを強く思い描いた。
しばらくその静寂な状態は続いた。
だが、俺の意識は、八兵衛さんの上からピクリとも動かなかった。
「どうも駄目なようですね。
もしくは、生年月日が同じという条件が何か関係するのかなぁ」
俺は伊賀七さんに実験した結果を告げた。
「でも、この憑依し直すということについて、自分で意識して憑依した訳ではないので、離脱する方法や取り付く方法を知らないのですよ。
何かこの時代で憑依体験や離脱する方法について、書いたものや口伝を受けておられる方はいないのですかね」
「私もそれを考えていました。
で、狐付き・狸付きなんてものを落すという話を聞きはしますが、煙で燻したりお経を唱えたりと、私にはとても効果がある方法とは思えないのですよ」
しばし沈黙が続いた。
俺は今かかえている懸念を、伊賀七さんに正直に話そうと思った。
「俺のいた時代には運命の72時間と言って、事故が起きてから3日目が生死の分かれ目という経験則があります。
この3日以内に困った状態から助けられる環境に移ることができれば、命が助かる可能性は高いのですが、3日を越えると命が助からない可能性が高くなる、ということです」
「今日はまだ2日目ですが、明日までに元の体に戻れなければ、俺の体は死んだも同然の状態となると考えています。
もし、体が生きたまま精神がそこにいないまま治療されているとすると、俺は家族にとても迷惑をかけ続けることになります。
ならば、一層のことこの時代を大きく改変して、俺がいない未来にしてしまうことを考えるべきなのでしょうか」
「後、考えられるのは、俺の本体が死んだ時点で、憑依されている意識が消えてしまう可能性です。
未来にある俺の体からある種の力が供給されていることで、今の意識が保たれているのであれば、そうなります」
「図解するとわかり易いのですが、伊賀七さんのおっしゃる魂=俺の意識と、未来にある俺の体という2つの関係について、連絡がなく切り離されている状態とまだ何らかの連携がある状態の2つの場合があるということです。
また、魂と体の状態には、各々生きている・死んでいる、の2つの状態があることです。
連携がある場合、ここが先で未来が後・つまり魂が優先、未来にある体の状態が先でここが後・つまり体が優先の2通りが考えられます」
「この中で、俺の意識がある場合だけ抜き出してみると、俺が元いた世界に戻っていける場合がどんなに稀なのかが自分でも解っています。
でも、明日の朝までは、色々試したり、待っていてもいいのかな、って考えます」
「健一様、具体的な方法が解らないまま、試行錯誤を繰り返し、イタズラに精神力を消耗させるのは得策ではないと考えます。
その意味では、先ほどの実験を強いて大変申し訳ありませんでした。
何か憑依する方法をご存知かと思ってしまっていましたので、失礼の段、お許しください」
まあ、伊賀七さんが純粋に俺の意志を尊重していること、事態に真摯に向き合ってくださることは、素直に感謝しなければいけないと思った。
八兵衛さんを間に挟んで、なにやら哲学めいた話しをしていると、あっという間に時間が過ぎ、夕食時になってしまった。
このややこしく、まどろっこしい感覚が、過去の人に憑依した感覚なのではないか、なんて思ったりします。
ご指摘、ご意見を頂ければ幸いです。