細山村、金程村、そして消失 <C151>
投稿が遅れてしまいました。
■ 文化十四年、7月1日(1817年8月13日)
俺が事故にあった場所、新百合丘駅から金程に向う下平尾のバス停留所付近を尋ねる小旅行の日である。
前日に浅草の天文台に泊まり、早朝に迎えにきた旗本小普請組世話役の椿井喜太郎さんにつき従い、高橋さんと椿井さんの所領へ向かう。
俺は頭の中に平成の世の地図を思い浮かべつつ、これがあの大都会になる前の郊外かと観察しながら歩む。
この田んぼを、畑を、小山をちょっとでも所有しておけば、200年後の価値たるや凄いものになるに違いないという邪な思いで見るので、平和な農村が生臭く見えてしまう。
こうなると俺は反省モードに入り、照れ隠しに八兵衛さん相手に脳内会話を繰り返す。
俺の持つ知識や考え方が段々八兵衛さんに吸収されていくのも止むを得ない。
思いついたことをどんどん話ししてしまうので、未来知識がダダ漏れになっている。
もっとも知らないことは、幾ら聞かれても答えはないので、それ以上の知識移転はない。
さて、一行は大山街道(現246国道)を通り、三軒茶屋まで進み、そこから津久井往道に分かれていく。
平成の世でいう世田谷通りを進んでいく。
やがて、昼過ぎに駒井宿河原という多摩川の渡しにたどり着いた。
そこは平成の世でいう狛江市だが、世田谷通りと多摩川の交わる所より少し下流側になる。
多摩川は毎年洪水により河川筋を変えるため、渡し場はきちんと決まっていない。
河原に船頭が居住する小屋があり、そこを辿って船に案内を請う。
この津久井往道という街道は、炭や絹布を江戸へ運び込むルートで人や物の流れは多いものの、川や丘があるとすぐそれに沿って道を曲げてしまい、直線部分はとても短い。
しかも、道幅は狭く荷車が通る時には人がすれ違うのもやっとという感じなのだ。
多摩川では、人以外にも荷車を渡すための3人漕ぎという大きな船も用意されている。
相乗りをして多摩川を渡った先が宿河原村になる。
ここから、五反田川という多摩川の支流?に沿って街道が山方に分け入っていく。
どうも、椿井さんの所領は多摩川と鶴見川の分水嶺から多摩川寄りにあるという理解で良いようだ。
登戸村から方向を南西に変え、津久井往道を進むこと約一里で往道は五反田川を離れていく。
そして、椿井さんは津久井往道を離れ五反田川に沿ったグネグネと曲がる細い道を進むこと一里で、細山村の屋敷に到着した。
椿井屋敷とは言うものの、全くの農家なのだ。
谷田部にある伊賀七さんの本宅よりはるかに質素だ。
今は椿井さんの甥一家がこの細山村の家を維持しているということだ。
どうやら、江戸の家と細山の家を兄弟でそれぞれ差配しており、長男が江戸に出て本家を名乗り、次男以降の傍流は全て細山に居るという形になっている。
そして、細山の椿井家は名主の白井家と両立し互いに遠戚関係を結んで村を治めていた。
田舎ということで、総領の帰郷に村総出で宴会が行われた。
俺は主賓でもないので、かえって好都合だ。
高橋さんの影に隠れて、名主さんや椿井一門の挨拶などを回避する。
俺はこういった場面が苦手なのだ。
なので、とっとと意識を落して明日に備えた。
■ 文化十四年、7月2日(1817年8月14日)
目指す金程村は細山村から、さらに沢沿いに山を登っていった所にある。
俺のいた時代は戸建ての住宅街になってしまっていて、地形に全く覚えがない。
『そうだ、川だ。川沿いだ。
多摩川と鶴見川の分水嶺で、鶴見川側の支流で西側が東京都、東側が神奈川なんて逆転していた場所』
八兵衛さんに昨夜会った地元の人から川の名前を聞くように頼んだ。
すると、鶴見川を遡り谷本川になり、麻生川となり、片平川と別れてその上流が金程村の西側にあたるとの情報が得られた。
麻生川の源流に沿って辺りを探索することを相談すると、このあたりの田は地面から染み出す水を使っているため、泥濘がとても多いとのことで、泥田に対応した軽い服装を進められた。
細山村を出発して山道を進むこと30分程度で金程村に到着。
そこから西側の麻生川源流地域へ向う。
金程村で案内を乞うたおじいさんに聞くと、この源流の最も奥には平尾村の杉山神社があるということだが、そこまでは行く必要がなさそうだ。
『平尾村?そいえばバス停の名前が下平尾だ。
これも繋がった』
多少興奮気味に風景を思い出す。
むしろ南東に下っていく流れが新百合ヶ丘近辺で南西に変わっていたことを思いだし、川筋の変化、山のせり出し具合に注意を払う。
『そういえば、バス停の辺りは暗渠になっていた。
ここが暗渠になる前の川沿いの道なのか』
事故の場所と思しき丘の出っ張りのところへ向う途中で、あと十数歩のところで突然頭にズキンと来る痛みを覚えた。
7月24日から丁度3週間目の8月14日、時刻は今8時。
俺は、場所と時間の符合にハッとなった。
『ひょっとしたらこの時代からの帰還・俺のこのでの意識の消滅が始まるのかも知れない。
なぜ今なのだ。
俺はここで歴史を日本にとってよりよい方向に動かす決意をしたのに。
それとも、この3週間でもう充分変わるということなのか』
俺はまだ伝えていない技術の数々を思った。
『電気!発電機と電動機、電池、電信・電話。
社会インフラとしての道路・鉄道、高速道路と高速鉄道。
インフラを構築する機械力。
軍事技術、戦艦とやがて来る航空機時代、戦車』
まずは、この状況を高橋さんに伝えねばならない。
「八兵衛さん、足を止めて!
これ以上近づくと、危ない。
このままだと、俺はここで元の時代に戻ってしまうかもしれない。
このことを高橋さんに伝えて!
早く!」
「高橋様!妙見菩薩様から至急のお話です。直ぐこちらに来て頂けますか」
高橋さんが泥沼のような畦道をこちらに駆けて来る。
その間も、俺はあの危ない場所に近づきたいという強い欲求を覚えている。
八兵衛さんが必死で体をその場に留めようと頑張っているのが伝わってくる。
「高橋さん、俺はどうやらあと少しで、意識がこの世界から消える感じです。
あの場所まで、あと2間ほど先のところへ進んだら、消えてしまう予感がします。
もしくは、あの場所から少しずつ拡大している何かに囚われてしまう感じです。
そして、俺はあそこに行きたい衝動を止められない。
まだ、伝えきれていない技術は沢山ありますが、今まで伝えた知識を使って日本を強くしていってください。
面々にはお伝えできていない話しを八兵衛さんにはしています。
全部は無理でも、思いだすことがあるかも知れません」
「日本が西洋諸国と本格的に対応するための時間は、まだ30年あります。
20年後に老中や若年寄り、奉行になる方々に、西洋諸国の貪欲ぶりとそれを支える軍事力を意識して頂けるように少しずつ刷り込んでください。
公家・朝廷への対策も重要です。
攘夷をするためには近代化が必須であることを今から理解させていってください。
公家対策としては岩倉家に注目してください。
天才的な人が世に出ますので、この人を絶対取り込んでください。
そして、高橋さんは絶対にシーボルト事件に巻き込まれないように注意してください」
高橋さんは、八兵衛さんの腕をつかむと、畦道の先にある丘の出っ張りから遠ざかる方向へ引っ張りだそうとしてくれているが、もう間に合いそうにない。
「高橋さん、どうやらこれが運命のようです。
仔細は八兵衛さんに聞いてください。
でも、八兵衛さんにも話しできていないこともあるので、ご容赦ください。
皆さんによろしくお伝えください」
ここまでの伝言を八兵衛さんが言ったところで、俺は消えたようだ。
語るべき言葉を放つ内部の声を失った八兵衛さんは茫然としている。
俺の最後の意識は『これはもう俺が生み出した違う世界だ。上手くやっていってくれ……』
どうやら俺は、この時代を面倒臭い状況に先追いして、退場する役目だったようだ。
この後「俺」が消えた世界がどのようになったのかを簡単に説明してこの話を終える予定です。




