天文方測量台/頒暦所御用屋敷 <C148>
どうにか執筆できました。できたてホヤホヤです。
高橋さんに連れられて、天文方の屋敷を訪問します。
■ 文化十四年、6月26日(1817年8月8日)夜、深川黒江町
思うに、参加している俺=八兵衛さん以外の面々は、当代随一の頭脳と根性の持ち主なのだ。
きちんとした材料さえあれば、中長期的視野でどうすべきか、という話しはすぐにでもまとまる。
そこで、俺は新しい提案をしてみた。
「ここにいる皆さんで交渉の模擬演習をしてみませんか」
いわゆるシミュレーションである。
アメリカ、ロシア、イギリス、幕府、公家、雄藩と進行係り、記録係りに担当を振り分け、それぞれの立場で目指すところを設定し、実際の立場で自我を通すための策謀を巡らすのだ。
この手の模擬演習は、実施した結果の評価が重要なのだが、それはさておき、どう進行するのかというシナリオを含めて、やりかたの説明を行った。
アメリカは不平等な通商条約締結、ロシアはそれに加えて樺太・千島全島の領土獲得、イギリスは日本国土の一部割譲と銀の重量交換=金の流出、幕府は鎖国政策の継続/ただし開国の根回しをして海外との条件闘争、公家は勤皇と攘夷、雄藩は倒幕と大雑把に目標を設定し、各々の目標達成に向けた条件闘争を行い、サイコロの出目によって条件を取捨選択させ、何年=何ターンか後の達成状況を競わせる。
俺を進行係りとして、一通り型に従って実施すると皆興が乗ってきた。
しかし、時間が時間だけに、明日以降皆が揃うときに続きを行うということで、この日は終了したのだった。
そして、それまでの間に、各自それぞれの役割になった時に、どういった手札が準備できるのかを検討しておくよう言い渡したのだ。
■ 文化十四年、6月27日(1817年8月9日)浅草・天文方
この日、俺は朝から隅田川を越え浅草にある天文方の測量台まで来た。
正式には「頒暦所御用屋敷」とも呼ぶようだが、天文方の測量台のほうが遠方より見えて、いかにもであり、天文方の測量台と呼び慣わしている。
今日の午後、この屋敷へ旗本の椿井喜太郎と金程村への小旅行の話し合いをすべく、高橋さんが呼び出しをかけていたのだ。
それに先立ち、高橋さんは浅草の測量台を説明するため、俺=八兵衛さんを朝から引っ張り廻しているのだ。
深川・門前仲町から浅草・天文方測量台まで、約1里の距離で、両国橋で隅田川を渡る。
1時間よりちょっと短い散歩コースだと思えばどうということもない。
天文方の測量台は、屋敷の庭?に10メートルくらいの盛られた山があり、その頂上に5メートル四方の平らな場所を設けて、小屋や器具を設置している。
石段を登っていくと、天体位置を測定する「渾天儀」を納めた小屋、ただし「渾天儀」自体は一段高い場所で露天にさらされている、がある。
脇には、その他の測量を行うための機材を入れた小屋があり、そこから観測機器を出しては天体観測を行っている、とのことだ。
こういった器具と観測方法を細かく説明してもらった。
ただ、俺にはこういった天体観測の知識・経験もないため、何の助言もできない。
せいぜい、太陽系の惑星には「水金地火木土天海冥」とあり、火星と木星の間には小惑星帯=アステロイドベルトがあること、火星には2個の衛星があること、木星には4個の比較的大きい衛星があること、土星にはリングがあること、「天王星」は多分発見されたばかりで、「海冥」の2惑星はこれから発見されるであろうことなどを説明したに留まった。
あとは、太陽の黒点の観測方法位だ。
レンズを通して太陽の像を白い紙に映し、黒い点が見えることを示す。
黒点が11年周期で変動すること、黒点の変動が地球の気温の変動と関係がありそう、位の話までしかできない。
また、地球より内側を回る金星が太陽の正面を横切ることで、小さな食が見えること、ただし、とても珍しいことの説明もした。
こういった太陽観測の話しは、多少役に立ったような感じでしきりと記録をしていた。
午後になると、旗本の椿井喜太郎さんが訪問してきた。
天文方お屋敷内の座敷で、高橋さんと椿井さんが向い会う。
俺は、座敷の横の部屋に居り、襖越しにどのような話になるのか耳をそばだてている。
雰囲気からして、椿井さんがとても緊張した面持ちで相対しているのがわかる。
まずは挨拶の交換と形式ばったやりとりがあったが、椿井さんがあまり格式にこだわらない感覚の持ち主と判ってから、高橋さんは一気にくだけた調子で話しかけるようになった。
「椿井殿をここへお呼びしたのは、実は公儀の詮議ではない。
幕府への届出などは一切しておらぬが、ある事情があって、貴方の所領である『金程村』で測量調査をしたく、ご案内をお願いするためじゃ。
そのための助力を得られるかを確認したく呼んだのじゃ。
お願いをするのに、呼び出しを掛けて申し訳ない」
「事情とは、何でござりましょうか」
ここで俺が襖を開けて平伏する。
「こちらは飯塚八兵衛と言って、谷田部藩のものじゃが、仔細があり伊能忠敬殿が預かっている。
このものより、金程村で天文観測をしたいとの申し出があり、観測する場所の測量を行いたいのじゃ。
土地のものにご迷惑をおかけすることにはなるが、金程村の近くにあるであろう椿井殿の屋敷に泊めて頂くか、在住の名主を紹介頂きたいと思うておる」
とりあえず、伊賀七さんの名前を借りて苗字帯刀が許された家のものという形にはした。
しかし、また者=旗本とは同格でない者という立場は解消されていないため、この場では、伊能忠敬さんの預かりという立場にして貰った。
だが、難色を示す感じではあるので、次の一手をかます。
「なに、測量自身は飯塚八兵衛が行うのじゃが、私が直接連れていく予定なので、ご懸念には及びませんぞ」
こうすると、同格以上の高橋さんが主客となり、椿井さんがもてなす格好ができる。
「ははあ、ご承知つかまつりました」
これで、一応の了解を得た形となるので、あとは仔細となる旅程を詰めることになる。
椿井さんも測量に同行願う形で、天文方から小普請組に申し入れすることとなった。
旅程は2泊3日で、旅費は高橋さんが負担、俺は槍持ち相当、測量下調べということで測量器具の持参は無し、ということになった。
日程は、7月1日(8月13日)出立、3日(15日)帰着予定である。
とりあえず、ここまで決まれば未来の事故現場を探す目算がついた。
話しがどんどん計算機から離れていってしまい、収拾に苦心しています。




