伊能忠敬邸 対露政策 <C147>
話しはロシア対策で具体化していきます。
まあ、机上の空論とお笑いください。
■ 文化十四年、6月26日(1817年8月8日)午後、深川黒江町
俺は、対ロシアで活躍したとされる「大黒屋光太夫」さんや「高田屋嘉兵衛」さんの消息を尋ねた。
「寛政4年(1792年)に大黒屋光太夫と磯吉の両名がロシアから戻ってきました。
両名とも、現在は小石川に住んでおり、蘭学者が出入りする状態となっています。
幕府の庇護の下、結構良い生活をしております。
私共も、ロシアの実情を確認したく何度も訪問しています。
ゴローニン事件を無事解決した高田屋嘉兵衛は、現在大阪へ戻っています。
松前奉行から顛末の聞き取りを済ませ、幕府として褒美金を下賜しています」
間宮さんが返答してくれました。
「ロシアの役所から樺太・択捉の襲撃について謝罪の公文書を入手できている点は、非常に高く評価できるところで、これを可能とした高田屋嘉兵衛さんは素晴らしい働きをしています。
この書状は、樺太・択捉にすでに日本政府が足がかりをもっていて、被害を受けたこと=利権を侵害されたことを証するもので、ロシアの官吏がこの事実を認めたという意味があります。
さぞかし多くの褒美金、という訳にはいかないでしょうが、ここ一番の兜首なのでそれなりの褒美が妥当ですよ」
俺は、ゴローニン事件に至るロシアの蛮行についての話を細かく聞き出した。
「結局、このロシアの蛮行の背景には、話し合いによる通商はできないと感じさせた幕府の姿勢が、武力による恫喝もやむを得ないと思わせたところに遠因があります。
ロシア皇帝アレクサンドルの指示で私掠行為は停止しましたが、もし居座ることをなし崩し的に認めてしまっていたら、大変なことになっていたでしょう。
ロシアらしからぬ配慮に感謝です。
俺の目から見ると、ロシア側の失政ですがね。
実際に武力衝突の現場では、択捉のように防衛しきれない状態も起き得ることは、現場に居られた間宮さんも実感されたと思います。
鎖国政策のためには、西洋諸国と同等以上の軍事力を持たないと、この政策を維持できませんが、軍事力を近代化するためには技術を取り入れるための通商が不可欠です。
やはり、鎖国について見直しが必要でしょうし、異国との通商条約では、日本が有利となる条件を最初に提示して交渉の主導権を握ることが重要でしょう」
「まずは目一杯領土を主張するのは判りますが、進展しない場合の対応はありますか」
渡辺さんが鋭く切り込んでくる。
「ロシアも樺太と千島列島の領有を主張するのは見えています。
この状態になった時に、先にどちらが足を付けていたかの証拠比べとなります。
力のある第三国を挟んでの交渉もあると思います。
その証としての地図です。
多分、間宮さんの測量が先行しており、もしロシア側が持っているとしても日本が漏らした地図の写しです。
これを睨んでの、海外へ提供する地図への間違い情報の混入です。
また、高田屋嘉兵衛さんの働きで入手した謝罪の公文書は大きいです。
さらに、ここ一番となれば日本の宝である『金』を積んでもいいと思いますよ。
丁度1850年頃にクリミア戦争で財政難となったロシアがアラスカを13万両でアメリカに売却しています。
交渉如何ですが、今ならば目は充分あると思いますし、今は無理でも将来の売却に向けて予約しておくという手もあります。
もっとも、これからロシアが経済的に疲弊するかどうかはまだ判りませんがね」
俺はちょっと話し過ぎたようで、皆固まってしまった。
『領土交渉に強力な第三国を介入してもらい、有利に運ぶためには第三国によほどのメリットがないといけない。
「理」ではなく「利」で動くのがこの時代なのだ。
フランスのナポレオンを焚きつけるのはどうだろうか。
それともイギリスか。
やはり、アメリカを巻き込むのが正しいのか。
今の世界情勢をある程度把握しているとすれば、出島のオランダ商館に聞くのが一番か。
まあ、オランダは仲介できる力はないよな』
こういった話は、今受け付けられないだろうな、と口には出せなかった。
世界史で、クリミア戦争・オスマン帝国というキーワードは覚えているが、実はオスマン帝国の何たるかは、全く無知なのだ。
せいぜい、トルコの前身=オスマン・トルコ、第一次世界大戦まであった国くらいの認識で、実は西洋諸国を大きく圧迫する要因となっていた国・地域なんていう意識はなかった。
1800~1850年の世界史をもっと判っていれば、もっと説明ができたであろうに、残念なことだ。
アメリカだって、1860年代には南北戦争の真っ只中になっているハズなのだ。
せめて、今の世界の状態を俯瞰できれば、この先の状況でわかっている点々の知識を付け足すだけで、かなり有利な状況を作り出すことが出来る可能性が高いのにと思う。
「ロシアが財政難になるクリミア戦争というのは、どういったことなのでしょうか。
あと、力がある第三国というのは、どういった国を想定されますか」
やはりそこから突いてきますか。
間宮さんは、相変わらず厳しい。
「よくは知らないのですが、オスマン帝国とイギリス・フランスが同盟を組んでロシアと行った戦争で、一応同盟側の勝利とはなっています。
主戦場は、バルカン半島・黒海・クリミア半島です。
この戦争の結果としてロシアは財政難になると同時に、産業革命を成し遂げているイギリス・フランスと、いまだ農奴体制のロシアで国力の差が大きいことをロシアが認識し、急速に改革・近代化の道を歩み始めようとします。
西洋諸国間でもちょくちょく戦争を行っており、そのたび戦争技術が一新されるということがあります。
戦争は『悪』という印象がありますが、歴史は戦争に彩られており、科学技術や産業、社会体制も戦争により大きく進歩してきた側面はあります。
戦争しない社会は、歴史的観点ではある意味で停滞しているのではないかと思われる節さえあります」
「仲介してもらえる第三国としては、アメリカが一番好ましいようにも思いますが、これは時の世界情勢=同盟関係・敵対関係や、国内事情にもよりますので、一概にどこが良いとは言えません。
ただ、仲介する第三国にもメリットがあることが非常に重要です。
この点で、一番誠実と思われるのがイギリスなのですが、ロシアとの利害関係が多すぎて難しいと感じます。
結果として、交渉相手と第三国に国富が搾り取られないように注意していく必要があります。
いずれにしても、便宜的に開国を国是として、国内がまとまるように方向づけすることが重要です。
申し訳ないですが、ちょっと精神的に集中しすぎたので、疲れてしまいました」
これだけの材料を提供してしまったので、間宮さんをまとめ役=司会者として、後は各人からの意見を出してもらう形となった。
ストック・ゼロでこれから明日夜投稿分の執筆です。