伊能忠敬邸 離れの間 脚気談議 <C137>
「江戸わずらい」退治はよく出てきそうなテーマです。
「脚気」の大きな被害・加害者といえば「森鴎外」という名前が浮かんできてしまいます。
頑固な軍医のエピソードをいれようかとも思ったのですが、流石にくどいかと。
■ 文化十四年、6月22日(1817年8月4日)夕刻、深川黒江町
伊能さんが体制変更の一環として、固く口止めした特定の給仕女中を出入り自由としたことで、離れの間を片付ける時の不便さは大きく減った。
人の並びはそのままで、次々に箱膳が置かれていく。
箱膳の上には一汁三菜である。
副食は、牛蒡と蓮根の煮付け・大豆の煮豆・漬物である。
主食は、山盛りの白飯で、皆これを猛烈に掻き込んでいる。
俺はふとある雑学を思い出した。
食事中で、給仕の女中さんも聞こえているかも知れないが、口止めのこともあるので、まあ大丈夫かと考えこの場で発言することにした。
「脚気という病気をご存知ですか。
確かこの時代では『江戸わずらい』とか言われていたと思います。
体全体がだるくなって、食欲が無くなり、脚がむくんだり痺れたりします。
これが進むと、歩くのが難しくなったり、失明したりした挙句死んでしまうこともあります。
この脚気になったかどうかを判断するには、簡単な方法があります。
後でお見せします」
膝のお皿の下側をチョップすると反射的に脚が跳ね上がるかどうかで見分けるのだが、さすがに食事中なので、これは後で実演することにした。
「この病気の原因は食事の偏りにあります。
だんだん玄米を精白することが当たり前になってきています。
玄米を精白した白米を皆様食べていますが、白米は確かに美味しい。
美味しいのですが、実は玄米から出た糠に人が生活するのに必要な成分が含まれています。
この微量だが必要となる成分を一切摂らないことが続くことで、病気になります。
他の食べ物から補うこともできますが、一番手っ取り早いのが時々玄米ご飯や麦ご飯を混ぜることです。
白米に慣れてしまうと、なかなか玄米ご飯を食べようなんて気にならないのは確かです。
薬と思って3杯に1杯は麦メシを混ぜるとかしても良いかと思います。
また、小豆を食べるのも効果があります。
もち米と混ぜて、お赤飯を炊くということでも良いと思います」
俺の意見を聞いて、ご飯を食べる手を皆止め茶碗に見入っている。
間宮さんが俺の説明を受けて話し始める。
「この白米だけを腹一杯食べ続ける、ということで病になる?
美味くないとして取り除いた糠に、実は体に必要なものが入っている、とはにわかには信じがたい話だが、どうだろう。
実際に病にかかっている人を探して、麦飯か玄米ご飯を食べさせてみてはどうだろうか。
それで治るのならば、この話しは確かと言ってもいいだろう。
体に不調を訴える人を知らないかな」
「松前奉行に体調不良で休みを届けている人を知っているが、これじゃあなあ」
高橋さんが話しを混ぜ返すうちに、皆夕食を食べ終えた。
食後の余興みたいな格好で俺は脚気の検査の一つを紹介する。
高橋さんに、椅子に腰掛けてもらい、脚を交差させ片足を持ち上げてもらう。
俺=八兵衛さんは、手刀を膝頭の下に叩き込む。
すると、高橋さんの脚がピクンと跳ねた。
よほど滑稽だったのか、これを見ていた女中が声を上げて笑い出した。
「この反応が正常です。
反射検査と言って、この場所に刺激を受けると意識せずに脚があがるのが正常です。
脚が跳ねない場合、腱と脊髄の神経が病気になっていると考えられます」
俺の説明に皆一様に頷いた。
「では、この検査で反応が鈍い人の食事内容を確かめて、精米した白米ばかり食べている場合は麦飯や玄米ご飯を食べるように指導する。
そういうことでよろしいですかな。
今得られた、折角もたらされたこの知識は、できるだけ広く拡散させることが肝要じゃ。
少なくとも、毎日白米しか食べていないような方、まあ御偉い方が多いとは思うのじゃが、を見る医療所に伝わるようにせねばなりませんな」
伊能さんがそう締めくくった。
日下さんが一番上座の菩薩像に向かい深く一礼した。
「妙見菩薩様。
菩薩様は当たり前と思っている知識でも、今は全く知られていない知識が沢山あると思います。
こういった話は折に触れ語って頂けると我々は大変助かります。
今後も是非お力添えをお願い致します」
『日下さん、グッドジョブ。
この場面で実情を知らない女中さんに、妙見菩薩の知恵が降りてきているということを印象付けておくのは、有効ですよ。
俺も日下さんや皆さんの要望にできる限りお応えしていきたいと考えてる、とお伝えください。
それはそうと、今日は思い出すために力を使い果たした感じです。
申し訳ないですが、先に落ちます』
「皆さん、妙見菩薩様からのお返事がありました。
日下さんがおっしゃられるように、皆さんの要望にはできるだけお応えしたいとのことです。
あと、今日はもう疲れたので、お先に失礼しますよ、とのことです。
もう気配が消えたので、お休みになられたと思います」
その後、伊賀七さんからこういった話をされていたことを翌日聞かされた。
「皆様、妙見菩薩=健一様は、恣意的に情報を隠すこともありますが、そういった場合に質問を重ねるのは得策ではありません。
深く知っている知識もあれば、表面的なことしか知らない場合もあったり、自分の知る断片的な情報を統合して出してくることもあるようです。
目一杯頭を回転させると精神的に疲労するのか、その後しばらく連絡が取れなくなることがあります。
最初は憑依が解けてもう戻ってこないかと随分心配したものです。
できるだけ急いで最新の技術を聞き出したほうがいいのは確かです。
ただ、どういったところに反応するかは良く判らないのです。
例えば、先ほどの『脚気』のように、突然思い出したように未来知識が飛び出します。
私の里の『熱気球』も、行灯に火を入れた時に、急に雑談のような形で話し始めたのです。
なので、あまり質問で追い詰めずに、きっかけとなりそうな題材だけ揃えた環境に置いて、雑談のように、ざっくりとした話しをされたほうが良いようです」
一日を午前、午後、夜と3話に分けていたら、1825年は遥か遠方になるので、どこかで「そしてxxヶ月/xx年経って、なんてことをするしかなさそうです。