伊能忠敬邸 離れの間 明治維新~韓国併合 <C133>
どうにか1日遅れでの投稿です。
俺は伊能忠敬さんが作成した日本地図で、是非補足しておきたい事項を思い出した。
「現在作成中の日本地図ですが、この存在が海外で高く評価されたことをお伝えします。
1860年頃、イギリスの測量船が日本を訪れ、沿岸地形の測量をしようとしたのですが、これに同行した幕府のお役人が持っていた日本地図を見てその精度に驚き、測量の必要性が無いと判断して取りやめたということが発生します。
その後、この日本地図の写しが幕府からイギリスに贈られることになりましたが、イギリス海軍はこの地図を基に海図を完成させ、その冒頭に『日本政府から提供された地図による』と書き記すことになります。
西洋では日本を未開の文明後進国だと決め付けている風潮がありましたが、世界水準の正確な地図を持っていることに驚き、日本を見下すことを改める一助となりました。
おそらく、西洋世界を除き、国家レベルでこの水準の地図を持っていたのは我が国だけです。
地図の必要性・重要さは200年後も一層意識されています。
伊能さんの成された偉業は、それ自体が後世にとても高く評価されていて、皆このことを教わります」
「元は拙の興味から始めたことじゃが、国にも少しはお役に立てることを嬉しく思いますぞ。
ならば、今書き起こしている地図をもっと根性入れて取り組まねばなりませぬな」
伊能さんは、顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。
この話は補足してよかった。
さて、明治維新以降の歴史は、比較的簡単に済ませてしまおう。
「では、ここから残り150年について簡単に説明しますが、俺はできれば幕末に問題があった失政をどうにかしたいと思っています。
なので、最初に1868年頃の世界情勢と新政府のことと、その政府が行った対外戦争。
その最後におこなわれた1945年に負けて終わった戦争。
1945年以降の政府と日本の発展に分けて、俺の知る所を説明します」
「まず、今の世界情勢について説明をします。
世界には大きく3種類の人種が存在します。
我々アジア系は黄色人種です。
ついでアフリカ系の黒色人種=黒人。
そして、ヨーロッパ系の白色人種=白人です。
もちろん、白人にも紅毛系・南蛮系など細かく分類されますが、とりあえずはまとめて白人とします。
今の時点で科学技術に抜きん出ている白人種は、黄色人種や黒色人種を劣等人種と見なす傾向が顕著です。
人権とか、人は神の前では平等などというご立派な御託を並べますが、白人以外は人と見なさないという態度を平気で獲る人も多い状態です。
そして、この地球上のアジア、アフリアをどんどん侵略し植民地として、原住民族を搾取し、奴隷としてこき使うことを平気で行っています。
日本はヨーロッパから一番遠い距離にあるため、干渉されにくい状況にあったということと、鎖国政策を曲がりなりにも武士という軍事政権がしっかり維持していたため、なかなか侵略されなかったという感じです」
俺は、この人種差別という点について、あえて強調した。
思えば、第二次世界大戦で日本がかかげた大義がこの人種差別の撤廃だったのだ。
「白人=西洋諸国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシアという現時点で最先端の大国と、オランダ・スペイン・ポルトガルといった少し前の大国、ドイツ・イタリアという新興国というグループに分かれます。
この最先端の大国がそれぞれ競いあっている状況です。
これら大国がある国を侵略する手口の一つが、ある国の中の対立を利用してその国の中を混乱に落しいれ、内部抗争を通して国全体を弱体化させた上でその支配層に銃を突きつけるという感じでしょうか。
従って、目前の利益に目がくらんで、親切そうに振舞う外国勢力を取り込むと、最終的に分断されてしまうことになります。
海外からの脅威を前に、日本国内の藩が反目しあい海外勢力を引き込む愚だけは決してしてはなりません」
「幕府はフランス側の軍事支援を、新政府主体の薩摩・長州はイギリス側の軍事支援をそれぞれ得ていましたが、新政府が天皇を担ぎ出すことに成功したこと、幕府側が代理戦争になる愚を避けたことなどが大きく、ほとんど犠牲者を出さずに新しい政権に移行しました。
新しい政府は、天皇を頂点とした形で四民平等、門閥無しを建前に動き始めます。
とは言え、実際には戊申戦争の勝利側雄藩の人材が重用されています。
まず行ったのが、『版籍奉還』という形で、各藩が納めていた領地・領民を中央政府が一気に掌握することです。
それまでの藩主は、家禄が与えられ、一応元の領地・領民を納めることを中央政府から任命されますが、後に『廃藩置県』として政府が各県知事・県令を派遣し、年貢を管理することとなります。
また、義務教育や徴兵令が整えられます。
その上で、藩が解体された以降、旧藩主や士族への家禄支払いを全廃します。
士族は個々ばらばらに反乱を起こしましたが、政府の兵がこれを抑えこんでしまいます。
こうして、政府は日本の中央政府として機能し始めます。
『海外の植民地にだけはなるまい』という決死の覚悟で、多くの人が歯を食いしばって『富国強兵』を目指しました。
また、政府も国を富ますための投資をどんどん行いました」
ここまでが、明治維新の内政の概要ということで済ませる。
「この政権の入れ替わりが、もともと攘夷=つまり外国からの脅威を跳ね返す、ということを実現させるための苦肉の策ともいう面を持っていましたので、対外的な摩擦の結果武力行使に至るというのは内蔵されていた運命だったのかも知れません。
対外戦争について年代の順番に説明していきます」
「1874年に琉球の漂流民が台湾で殺害されたことをきっかけに、台湾へ出兵します。
これにより、琉球は日本に所属することを清に認めさせました。
実際には、1879年に琉球へ武力侵攻を行い、日本の中央集権体制に組み込みました」
「1894年に朝鮮を巡って清との戦争になりこれに勝利した結果、朝鮮の独立・台湾の割譲、賠償金獲得という成果を得ました」
「日清戦争の10年後の1904年、中国東北部へ浸透し勢力を南下させているロシアと朝鮮権益を守ろうとする日本の間に戦争が始まります。
これを日露戦争といい、1905年にアメリカの仲介でロシアと講和を結びました。
日露戦争は、日本全体が総力を挙げて取り組んだ戦争でしたが、講和条約では、樺太の南半分の割譲・朝鮮への利権承認などの成果はありましたが、賠償金は獲得できませんでした」
「得た成果は少ないものの、こうして日本の安全保障にとって重要な朝鮮の独立や日本の利権は守られました。
1905年に保護国となった朝鮮=韓国の総監となった伊藤博文が、1909年に中国東北部で朝鮮人活動家のテロにあって殺害されると、日本は韓国への圧力を高めて1911年『韓国併合条約』を調印させます。
この結果、朝鮮半島は日本に併合され日本の一部となります。
日本は本土からの投資で朝鮮半島のインフラ整備と教育を行います」
ごくあっさりと説明するつもりが、結構細かいところまで踏み込んでしまった。
夢中で話す内に、もう夕闇が迫ってきていた。
微妙なところで切ります。
第一次世界大戦前に夕食の運びとなります。
また投稿が1日飛びになる見込みです。




