日本史の勉強は、こうなると残念だ <C103>
日頃感じている歴史の授業内容が、こういった場面で果たして活かせるのか、ということを考えながら執筆しました。
ちょっとクドイかも知れませんが、お読み頂ければ幸いです。
朝、夢うつつの世界にいる八兵衛さんに話しかけ、ここがどこでいつなのかを聞き出そうとしたが、得られた情報は、場所が谷田部藩・時代は文化十四年ということだけだった。
そして、八兵衛さんには、聞いている相手が「七賢人の末裔」と、いかにも神様という風に誤解されやすい名乗りをしてしまった。
とんでもない事態になったと感じた八兵衛さんは、ことの判断が出来そうな人物として、この時代では奉公先なのだが俺の感覚では勤めている工房の創設者であるご隠居様、伊賀七さんに報告すべく、家を飛び出したのだ。
そして、ご隠居様の住む別宅へ走りながら、八兵衛さんは状況整理をしている。
俺の知る時代で八兵衛と言えば、「うっかり八兵衛」なんて揶揄されてしまう名前だが、この状況から、俺が憑依した八兵衛さんは随分頭が切れる存在だと認識した。
まず的確な状況整理もさることながら、自分に判断できること・できないことの限界をきちんと把握しており、自分で対処できそうにない事柄については、知る範囲で最も上位の人物へ直接持ち込むことで時間の節約・事態の拡大防止を図っている。
素晴らしい。
非日常の状況や緊急を要する事態になった時にこそ、日頃の教育・訓練の成果は現れる。
この点、工房創設者の飯塚伊賀七さんは非常に優れた人物であることを予感させる。
八兵衛さんも、自分の立場や、仕事はどういう順番で回していくのかを充分理解しているようで、多分工房でも抜きん出た実力の持ち主だろうことは想像に難くない。
そして、この八兵衛さんの師匠と言ってもよい伊賀七さんになら、多分俺の今の状況を説明して判って貰えそうな感じだ。
しかし、ここで俺は大きな決断をする必要に迫られていることに思いあたった。
そして、軽いパニックに襲われる。
日頃の精進が足りないせいではあるが、ともかくここでの事態をそれなりに考え始めた。
『このまま知っていること全部を話してしまうことは問題かも知れない。
歴史の改変とバタフライ効果をちゃんと考えないといけない。
もし、俺が説明することで少しでも歴史が変わると、俺の本体がいる平成が違う世界になってしまう可能性がある。
そうなると、俺の意識が戻るべき体と、俺の意識が切り離されてしまう。
その時点で、この時代の意識が消滅すれば、元の体に戻れることができるかも知れない。
しかしもし、意識が消滅しなければ、俺は戻れる可能性を捨てたことになる』
俺は人より観念的なものの考え方を日頃からしており、こういった非常事態には同級生の中の誰よりも耐性・柔軟性があると内心自負してはいたものの、いざ限られた時間の中で状況を整理し、結論を導き出すという状況に追い込まれると、なかなか上手くいかないものだ。
その意味では八兵衛さんには劣っているかも知れない。
『俺は意識だけ未来からやってきていて、八兵衛さんに入り込んでしまった』
これをまず説明し、納得してもらう必要がある。
そのためには、未来だからこそ判ることの証拠を示さなければならないが、この証拠を説明したことで歴史が変わってしまうと、戻れる可能性を潰すことになる。
ちょっと混乱してしまったが、まとめ直すと、こういったことを心配してパニクったのだ。
それよりも何も、ご隠居様のことを思い浮かべた時に和時計というキーワードが八兵衛さんの頭の中をよぎったのに気づいた。
すると、和時計という言葉がある江戸時代であることに間違いはない。
ならば、俺が知っている江戸時代の知識を駆使すれば、いつが特定できる可能性が高い。
学校の日本史で習った、そして覚えている江戸時代の主な出来事を思い出してみよう。
年代を一番覚えているのが、関が原の戦いで西暦1600年。
家康の将軍任命が西暦1603年。
武家諸法度、禁中並公家諸法度が西暦1615年。
『おやっ、俺は西暦で覚えているけど、こっちで「いつ」を説明するのに西暦なんて意味がないぞ。
これは意外に難しいぞ。
そうか、干支を使っているはずだ。
干支で得られた情報を元に、まずは換算しないといけない』
干支の中で俺が覚えているのは、甲子園が1924年の甲子の年に作られたところから付けられたという経緯くらいか。
あとは、2017年の年賀葉書で目にした丁酉。
歴史的な出来事で覚えているのは明治維新の戊辰戦争が1868年。
ちなみに、十干は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸。
十二支は、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。
干支のトップは幸い甲子なので、甲子園の1924年を基準にして60年周期だから、江戸時代に関係する甲子の年は1864年、1804年、1744年、1684年、1624年、1564年になる。
また、木火土金水という陰陽五行説から、実際には、例えば甲子は「きのえ・ね」と言うので、この点は要注意だな。
ただ、こういった基本的な知識は、日本史じゃなくて、古文や漢文の授業で習うんだよな。
古文、漢文の授業で仕入れた知識が、こういった場面で役に立つとは思わなかったよ。
覚えていた俺は偉い。
もっとも、全部すらすらと漢字で書ける訳はないのだがな。
と、年号換算している時に、月日についても平成の世との差に思いあたった。
それは太陽暦と太陰暦なのだ。
2つの暦の間では、同じ1月1日でも、全然違う。
『旧正月というのは、確か太陰暦で2月初旬にあったよなぁ。
太陰暦では、地球の公転周期と合わせるため、時々、閏月を入れていたはずだ。
こちらの換算は、秋分の日が太陽暦では、ほぼ9月23日になっていたことを基準に、こちらの彼岸の中日から逆算するしかないだろう。
まあ、ここまで厳密な換算はいらないのかも知れないけど、重要だよなぁ』
いずれにせよ、学校で習う日本史をこういった実世界で使うためには、まずは換算しなければどうにも役に立たないという、残念な結果になっている。
日本史は、まったく大学受験のための無駄知識になっている。
あと、出来事にしても、起きた当時の呼び方とは違うかも知れない。
こういったことにも注意して話しを聞かなければならない。
ここまで考えた時に、依代の八兵衛さんはご隠居様の暮らす別宅の玄関をくぐった。
『未来から来たということを示すための方策は、まだ判らない。
しかし、過去の主な出来事から順に照合する分には、歴史改変にはならないだろう。
和時計が元禄文化の残滓と考えれば、享保の改革、寛政の改革、天保の改革という三大改革を照合すると時代が特定できるかも知れない。
もっとも、改革の名前は後から付けた名前だから、実際はそれぞれの改革の中の政令の中身で該当するものを見つけ出すしかないのか。
まあ、相手にそれだけの情報があるのかも判らないし、あたって砕けろ、かな』
一番下までお読み頂き、ありがとうございます。
別な意味で、もっとクドクドした回もありますので、ご期待(?)ください。




