谷田部・江戸 道中 <C129>
どうにか執筆できました。
■ 文化十四年、6月19日(1817年8月1日)
谷田部から江戸へ向かうには、陣屋のある谷田部から船で谷田川と水戸街道と交差する藤代宿まで南下し、そこから徒歩で江戸の入り口となる千住宿まで向かうのが一番確実な道のりである。
谷田部の藩庁と江戸藩邸を毎日行き来している飛脚担当もこのルートを使っている。
伊賀七さんと八兵衛さん(=俺)は、早朝に陣屋裏の岸から出る藩の連絡船に便乗させてもらい、2里を稼ぐ。
藩の飛脚担当は、ここから日中のうちに江戸藩邸に到着すべく、その健脚を生かして取手宿方面・昼前に我孫子宿を目指し速歩で飛び出していく。
我々二人組みは、藩邸に届けるカラクリ人形二体を持っているため、ある程度慎重に歩いていくしかない。
今日中に江戸川越え前の松戸宿・矢切り渡しの直前の宿に到着できるように歩み始めた。
道中は、歴史・政治の談話を避け、土地柄や技術的な話しをすることになる。
「健一様、以前ソロバンが電卓という計算機に駆逐されたというお話をされましたが、そのあたりをお聞かせ願えませんでしょうか」
この手の話しであれば、特に誰に聞かれても問題ないだろう。
「電卓とは、小型の計算機です。
数字ボタンと計算ボタンが並んでいます。
計算機は2つの数字を演算するため、まず最初の数字を数字ボタンで設定します。
次にどの計算をするのかを決めるため、計算種類のボタンを押します。
それから2番目の数字を数字ボタンで設定してから、計算開始のボタンを押します。
すると、計算結果が表示されます」
俺は極一般的な電卓の操作を説明する。
「計算開始ボタンを押して計算結果が出るまでの間、操作が要らないところが差です。
操作が要らないということは、結果を出すのに個人の技量は関係ない、ということです。
個人の技量に依存せずに計算結果を出すことができる影響は大きいです」
「私には、ソロバンの優秀さのほうが勝っているように思えます。
確かに、人の技量に依るというのはその通りですが、秀でた人が計算すればよいのでは」
「例え話ですが、弓矢と鉄砲の関係と同じです。
どちらも遠距離から矢弾を送り込んで敵を倒す武具です。
しかし、戦国のおり鉄砲が決定的に重視されたと思っています。
個人競技で見た場合、弓矢は確かに優秀です。
が、これを扱うには技量にばらつきが大きく集団戦闘では使いにくいと思います。
一方、鉄砲の場合、飛距離や有効殺傷距離はおそらく弓矢より短いですが、個人毎の技量の差が弓矢ほどではないため、集団戦闘では敵を押さえ込む線として有効に使えたのではないかと推測します」
「弓矢と鉄砲の例え話はよく判りますが、計算を集団でする場面というのはちょっと想像できませんね。
ただ、結果のばらつき、という所はわかります。
ソロバンは演算を人の操作に頼っているので、誤算=間違いというのが入り込むことがあります。
演算部分が人の操作に依らないとなると、人の介入は数字の設定と結果の読み取りに限定されるので、誤算は減るでしょう」
計算機に関する話は、お互いあまり納得できないまま一応の終わりとなった。
「このカラクリ人形は、どれくらいの御代でお求めの商家に引き渡されるのでしょう」
俺は、カラクリ人形が単に道楽ではなく、飯塚の里の貴重な収入という話しを聞いてから気になっていた点を尋ねた。
「商家から100両頂くことになっています。
このうち、藩の取り分が60両で、ここには仲介頂く御用商家の取り分も含んでいると聞いています。
江戸藩邸で20両、谷田部藩庁に40両と振り分けられます。
残りの40両が私の取り分となりますが、私はこのうち10両前後を藩庁でお手数をかけた方々・便宜を図って頂いた方にお礼として包んでいます。
従い、今回は一体につき30両、あわせて60両が手元に残ります。
とは言っても、まあ年末に60両が藩庁から本宅に届けられるのですけどね。
そして、その折にまた1~2割にあたるお金、今年は多分10両を御礼と称して御奉行様に収めるのでしょう」
なるほど、販売価格の20~30%が飯塚家の収入なのか。
原材料と加工賃金が一体あたり25両以内でないと赤字なのか。
奉公人4人に女中2人の工房と、伊賀七さんに女中1人の別宅8人を支える年20両程を加工費込みの固定費用とするなら、毎年一体は売らねばならない。
二体売れている今年はあたり年で、多少の我侭も言えたので江戸行きも言いやすかったのだそうな。
「毎年人形を売るためには、見た目の改善が欠かせません。次に購入して頂いた方が、前の方とは違うところを認めて良いと思われないと、広がっていきません。
今回の工夫は湯飲みを置いたところで、クルッと回るところでの脚捌きです。
これを見た方が購入をしたいと思った時、どんな工夫をつければ良いかを考えるのが、楽しみでもあり苦痛でもあります」
茶運び人形が購入できる大名や商家はある程度限られてるだろうから、もの珍しい内ならともかく、うっかり増産体勢を取ると無駄な投資になりかねない。
先細りの商売なのかも知れない。
もう少し身近なものでカラクリが活かせる実用品はないのだろうか。
「伊賀七さん、里を富ませるのに、天灯を上手く使う方法は考えられましたか」
「里を富ませるには、藩にも半分位運上を差し上げる形にして巻き込んではどうかと思い、藩の勘定方の知恵者に上手い手はないか相談しようとしていたのですが、この江戸行きにかかわる詮議で出来ず仕舞いでした。
天灯・天篭はとても簡単な仕組みなので、カラクリ人形のように飯塚の工房でなければ作れないということはないと思っています。
なので、どうすれば里や藩に富をもたらすことができるのかの見当がついていないのです」
やはり自分のところだけが儲かればいい、という考えはないようだ。
「藩をも富ませるというのは、何か理由がおありなのですか」
「天明の飢饉を経て、囲米の制が整えられましたが、貧乏な藩はこれを準備できず方々から米を借りました。
こういった藩の借金は、結局領民に負担となって重くのしかかってきます。
この負担として、私のところでも藩に1000両ほどお貸ししています。
多分、これは戻ってこないと思っていますが、藩が貧乏なままだと結局里の富は年貢として吸い上げられてしまいます。
ならば、藩にも何がしかの利益があるように考えるしかない、と考えました」
「伊賀七さん。この際、天灯・天篭を祖先供養の新しい形として、藩庁のお許しと筑波山の小原木神社のお墨付きを頂くということをされてはどうですか。
飯塚の里で作られた天灯・天篭には、筑波山と谷田部藩から頂いた御朱印と飯塚の印を押印して御利益があるとします。
この印を押す毎に、藩と筑波山に幾らかの費用が入るようにします。
その代わりに、飯塚の里以外で作られた天灯には印を押さないようにしてもらいます。
また、神社には放生会になぞらえ、天上供養会をお盆時期に行ってもらい、押印のある公認の天灯・天篭だけ、神社の手で大空へ放つ儀式を行う、など消費する仕組みと抱き合わせるのが良いと考えます」
「私も同じように、言い方は悪いですが筑波山信仰を利用することを考えていました」
こういった会話をしながら歩き続け、日暮れの頃には予定していた松戸宿へ着いた。
ちょっとペースダウンしますが、投稿は続けます。