空を翔る構想 <C126>
指導するご隠居様がいないと、若い二人は......
■ 文化十四年、水無月18日(1817年7月31日)。
伊賀七さんは、天灯の特性を把握する実験について吉之助と相談して進めるように、と八兵衛さんに指示してから藩庁へ出かけた。
想像するに、天灯・天篭を里の金穀に化かすための算段ではないのか。
昨日までの俺であれば、そういった技術を商売にすることに躊躇いを覚えるところなのだが、飯塚家が里の人々の幸せをより確実にするために醜聞を辞せず、倫理に反さない限りどんなことでもしようとする固い決意の下、行動していることは理解できる。
俺は元いた世界でビジネスモデルという言葉を何度も聞いている。
単に製品を作って、これをただただ売るという商売は、毎日の消耗品であれば、それだけで充分成り立つ。
しかし、毎日消費する生活必需品でない場合は、製品だけでなくそれに伴う何かしらのサービスや消費する仕組みを事前に組み込んでおくことが、長く収入を得るためには必須なのだ。
実は昨日、八兵衛さんには「お盆の送り火の風習とのコラボ」「ブランドの確立」というヒントを出してはいたのだが、当然とは言え理解されていないようだった。
この話しは、伊賀七さんに直接伝えるべきだったのかも知れない。
さて、八兵衛さんが一人別宅の座敷に図面を広げているところに、工房から吉之助が来た。
吉之助は飯塚家の小作人の所で8年前に伊賀七さんに見出されて工房で奉仕している。
2歳年下だが、腕は良くどんなつまらないことでも最後まで丁寧に取り組む粘り強さがある。
俺は、熱気球に関係する実験・開発には吉之助を中心に進めるべし、という意見を持っている。
この際、少しでも基本を教えておいても損はないだろうと考えた。
座敷の一番の上座に、三方に乗せた妙見菩薩を置き、その左側に八兵衛さんは座る。
今回の状況について、まずは吉之助に理解しておいてもらうことは重要と考え、八兵衛さんから設定を説明していく。
「おととい夕方の天灯・天篭は素晴らしかったと思うが、あれを作る知恵は、実はこの妙見菩薩様から授かったものなのだ。
そして、この妙見菩薩様を拠代にしたのは、健一様とおっしゃるのだ。
この妙見菩薩様がワシの守仏であったことが関係するのか、ワシには妙見菩薩様に降りた健一様のおっしゃることが突然聞こえることがある。
そしてワシ以外には健一様の声がどうやら聞こえないようだ。
今回、天灯・天篭にかかわる実験や開発は、吉之助に任せたらどうか、と妙見菩薩さまがおっしゃっている。
そして、ご隠居様は、この件は吉之助と相談して進めるように、と伝言された訳だ」
「どのような実験を進めればよいのでございますか」
「まあ、そんなに焦るな。
ご隠居様の願いは、この機械で空を飛びたいということなのだ。
先日の天灯・天篭を飛ばす実験や本番は、偶然上手くいっただけで、これだけだと応用が何も効かない。
そこで、天灯・天篭の特性をきちんと把握しておく必要があるのだ。
具体的には、天灯・天篭がどれくらいの時間、どれだけの重りを引っ張ることができるのかを調べてまとめておく必要がある。
もちろん、同時に使用する蝋燭の数を変えて、その効果も測ってく必要がある」
「まず、おとといの天灯では何が起きていたかを順に説明していく」
俺は先のことを考え、説明の大筋と中身は八兵衛さんに任せることとし、詰まったときか困ったときに救援するという方針で臨んでいた。
「蝋燭によって暖められ、軽くなった空気が紙袋を満たしていく。
紙袋の中の空気全体でみると、全体が軽くなった分だけ紙袋は上へ引っ張られる。
これが、天灯の重さと釣り合うと地表を漂える状態になり、さらに軽くなると紙袋全体が上にどんどん上がってしまう」
「蝋燭の火の勢いが弱くなったり、消えたりすると、紙袋の中の空気全体が冷えてきて縮み、重くなる。
すると、紙袋や竹の枠の重さを上に引っ張りあげることができなくなり、紙袋は下へ落ちることになる」
「こうした一連の動作で、浮かんで・昇って・下がって、になっていると考えるが、ご隠居様が知りたいのは『どれくらいの時間、どれくらいの重さのものを引っ張りあげることができる』のか、だと考えている。
恐らく、その引っ張り上げる力が20貫を越える位になるのであれば、その上に人を乗せることも検討できるようになる、と考えている」
俺は基本的な情報を提供することにした。
八兵衛さんは、話の途中で不意を突かれたのか、顔をしかめた。
「今、妙見菩薩様から知恵が授けられた。
『この世の中を構成している物質には、熱を加えると膨張するという性質がある。
そして、この膨張する割合は物質によって違いがある。
これを膨張率という。
膨張率の差を利用して、目盛りを刻み、温度を測ることができる』
とのことだ」
二人は一生懸命頭を捻っている。
温度、熱で膨張という概念をわかって貰えないと、この後にしようとしている説明が難しい。
まあ、実感して腑に落ちるのを待つしかないだろう。
「また、知恵が授けられた。
吉之助、ワシの言うことをそこの半紙に書き付けろ。
『小基の中の空気が蝋燭で熱せられ、約2倍の容積に増えている場合、約170匁(630グラム)の力で上に引っ張られている。
小基自体の重さが何匁かを調べておくと良い。
大基の中の空気が蝋燭で熱せられ、約2倍の容積に増えている場合、約340匁(1.2キロ)の力で上に引っ張られていると推定される。
20貫(75キログラム)を支えるには、大基1基の本体が約220匁なので、160基の大基でやっと支えられる程度』
とのことだ」
『紙袋を大きくすると、1基辺りの浮力は増えるが、熱の供給が追いつかなくなる。
従い、使える適切な熱源に対して最も効率よく浮力が稼げる大きさを割り出す必要があるのだよ。
そのための実験なのだが、なにを目指して実験するのかをどう気づかせればいいのだろうか』
俺が今直ぐにこの言葉を降ろすと混乱すると思い、しばらく二人だけで検討し始めるのを見守った。
しかし、二人は160基の大基を13基13列にくくり付けた構造を考案し始めている。
13メートル四方の枠に169基もビッチリと大基を連結した構造を、どうだと言わんばかりに書き上げる吉之助に唖然としてしまった。
確かに複数のランタンをつなぐと、バランスはともかく安全性は増すに違いない。
「大基160基は完全に推定の数値で、浮力が120匁/基と決した訳ではない。
これを実験できちんと確かめるのが先だよ。
後、飛行時間の確認も必要だ」
俺の意見を聞いて正気に戻ったのか、真面目に何をどう実験していくのかを検討し始めた二人を見ていた。
ある程度計画がまとまると、二人は伊賀七さんが藩庁から戻ってくるのを、遅しと思いながらも楽しそうに待っている。
そう、藩庁で騒動になっていることも気がつきもせず。
まあ、次の展開はご想像通り、になるのでしょうか。
期待はずれにならないように留意はしますが、足りなかったら御免なさいです。