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伊能忠敬様への文 <C123>

この回は、かなり短いです。

今後かかわるであろう人物が登場します。

■ 文化十四年、水無月16日(1817年7月29日) 江戸


 今年で拙は数えで74歳となる。

 50歳半ばからは、日本各地を測量して回る旅の連続であった。

 その間に気管支をやられたのか、ゴホゴホと喉の奥からくぐもった咳が出てくることが最近増えた。

 江戸深川に居をかまえたものの殆どそこに居ることもなかった。

 最後に九州の諸島部の長期測量から戻ったのは3年前だったか。

 それ以降は、永井甚左衛門様の測量した伊豆諸島のデータ、間宮林蔵様が測量した蝦夷地北西部のデータを付き合わせ、地図を作成する作業に入っていた。

 拙の名は「伊能忠敬」で通称「深川の三郎右衛門、勘解由」、字は「子斉」、号は「東河」。


 その何でもない日、水無月16日の夕刻に、谷田部藩藩士が拙宅を訪れ一通の文を置いていった。

 文の差出人は、間宮林蔵様の知人で、測量機器の考案・改修にも協力頂いた「飯塚伊賀七」さんであった。

 そして、その文の内容は、そこに付けられた資料の半紙は、拙・この老人を驚愕・興奮させる代物であった。


 その文は、簡単な時候の後にこういった内容が書かれていた。

『奉公人の一人に何かが、憑依した。

 憑依した何かが、とてつもない知識を持っている可能性がある。

 その何かは、谷田部ととある場所の距離を知りたいとの要望を述べた』

 ここまでであれば、特になにという話しではなかった。

『要望する理由を聞くと、2点間の南中時刻差を知りたいとのことであったため、距離と時刻差の関係を質したところ、驚くべき内容を半紙数枚に記した。

 この半紙に、その時聞いた内容・理解したところを朱で脚注したが、それを何枚か同封するので内容を吟味して貰いたい。

 文では限りがあるので、全容を伝えられないが、同封した半紙から事の次第を察してもらいたい。

 自らご詮議されたい向きがあれば、奉公人を同伴して深川まで訪問したい』

 どうやら、同封されていた半紙を読み解く必要がある。


 拙は折りたたまれた半紙を開き、殴り書きされた図や文字を読み取った。

・四万キロメートル、一万百八十五里

 朱書き:これは地球の周也

 この値は拙が計測によって求めようとした子午線1度の長さに関わる件だ。

・緯度35度、COS(35/360)?√3代用で少し大きめ1.74で五千八百五十三里

 朱書き:緯度という言葉不明だが、江戸は35度近辺との説明。

     地球の周の一万百八十五里を、大雑把に30度と見なし、1.74で除す。

     五千八百五十三里を求む

 地球を江戸の緯度で切ったときの周を算出するのが目的のようだ。

 正三角形に三平方の定理・開平方概算値を援用しているようだ。

・二点間百里で丁度南西の斜め方向、東西方向1/√2で1/1.4で約七十里

 朱書き:直角二等辺三角形と見なし二辺の値を求む

 これは単純に四十五度傾いた方位からの是正で、三平方の定理を使うようだ。

・48×70÷5853

 朱書き:一日を四十八刻と見なし、距離の比から南中時刻差を求む。

 1日1周から、江戸の緯度で東西に70里程度離れている場所の南中時刻の差がこの式で示しているようだ。


 ざっと見たが、大変な代物を目にしていることは伝わってきた。

 特に、子午線の長さがあっさりと記されているあたりはただ事ではない。

 算術にしても、結局は数をどう作法通りに処遇するかの見極めということであるので、ここに書かれている作法の妥当性は確かめたほうが良いようだ。

 関派の大家の知り合いといえば、麻布の貞八郎さん=「日下誠」にも声をかける必要がありそうだ。

 幕府天文方の高橋景保にも連絡してこれを見てもらった方が良い。


 飯塚伊賀七さんの奉公人がどういった人物なのかは何も判らないが、これは是非会って事情を聞く必要がある。

「奉公人に憑依」とあっさり書いてあるが、あっさりと書いてあるだけに省かれたところに何か事情があるに違いない。

「とてつもない知識を持っている可能性」も充分危ない気配がある。

 谷田部藩の江戸の藩庁に泊まって通って頂くより、こちらに滞留して頂くほうが都合はよろしかろう。


 早速にも江戸に出てくるように返信することにしよう。

 ゴホゴホと咳をしながら文机に向かい、何通も文を書き始めた。

 文のお礼と、内容を詮議したいので至急江戸へ来られたいこと、江戸での滞在には拙宅をご利用頂きたいこと、天文方の高橋景保さんや算術家の日下誠さん・間宮林蔵さんにも詮議には同席してもらいたく打診していること、事情がはっきりするまで極めて限定された範囲での話しとした方が良いことなど、夜を徹して書き上げた。


 翌水無月17日の朝、一刻も早く文が届くように、と、まだ暗い内から文を持った弟子が谷田部藩の藩庁へ向ったのであった。


「拙」も一人称です。

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