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天灯・天篭への誘い <C120>

江戸の伊能忠敬さんから返事が来るまでの幕間劇、その1です。


 夕食後、俺が伊賀七さんに歯車による計算のための構造と動作の説明を熱心にしていると、女中のトメさんが本宅からの伝言を伝えてきた。

 この乱入で、場が和むのがわかった。

 伊賀七さんの中では、俺=八兵衛さんを連れての江戸行きはもう既定事項のようだ。

 藩ご指定のカラクリ人形も持参し、江戸では藩邸に泊めても頂けるようだ。

 元名主だが、苗字帯刀を赦されており、侍分相当の扱いを受けるということは、かなり谷田部藩へ貢献しているのだろう。

 そうでなければ、江戸藩邸を拠点とした動きを、名主とは言えさせてもらえる訳はない。


『いったいどんな貢献を評価されているのだろうか。

 見えている範囲だと、カラクリ人形を矢田部藩の特産品扱いにして、その生産を行うってことで繋がっているようだけど、それだけでこの丁重な扱いはないだろう。

 藩の危機を救ったという意味では、天明年間の飢饉の時に何かしたに違いない。

 天明の飢饉は、確か浅間山の噴火によって冷夏となった影響だったっけ。

 餓死者が多数出て、これをきっかけに、飢饉対策用にお上が備蓄を用意する制度ができた、でよいのかな』


 一息入れた俺は、今計算機のことを熱心に話すより、別なことを話したい気分になってきた。

「伊賀七さん、歯車式計算機の細かな話しは、今日はここまでにしませんか。

 丁度夕暮れで、興味を引きそうな話しがあります。

 ちょっと別な風景を思い出してしまいました。

 空の上からこの地上を見たいと思いませんか、という話しです」

 その時俺の頭の中をよぎった風景は、鎮魂の意味を込め夜空に舞う天灯・天篭のシーンなのだ。

 俺の『空の上』という言葉に伊賀七さんは反応した。


「これから夜になると、伊賀七さんはそこの行灯を灯して書き物をされておりますよね。

 火を灯すと上側が熱くなり、下側から上側に向ってごく小さな風が起きることは知っていましたか」

 俺は、身近な現象からその原因を一つづつ解き明かすという科学的なアプローチを意識的に行っている。

「この大地の上には空気とよばれるものが満ちています。

 一見何もないと思えますが、実は泡の中身と同じものが取り囲んでいるのですよ。

 この空気が動くと風が起きます。

 例えば団扇を動かすと、そこに面した空気がかき混ぜられ、押し出されて風になります。

 逆に沢山の風に押されると、凧のように物のほうを動かすことができます。

 なぜ、火を灯すと風が起きるのかは解りますか」

 ちょっと考える時間を持つ。

 俺の問いに触発されて、八兵衛さんも考え始めたのが判る。


「水の中で重たいものは下に沈み、軽いものは上に向うという道理はご存知ですよね。

 空気の中でも同じことがおき、軽いものは上に向かいます。

 火の回りの空気は熱せられて膨張し、軽くなります。

 そうしてこの空気が上に向うことで風が起きるのです」

『健一様、熱せられて膨張、ってなんですか』

 突然、八兵衛さんが俺に向って話しかけてきた。

「鉄や石のようにはっきり重さがあるように、空気や水にも重さを示すため『濃さ』という概念を持っています。

 空気や水を一定の入れ物に入れたときの重さを『密度』といいます。

 この密度が温度、つまり熱いか冷たいかでほんのわずかですが違うのです。

 熱いと密度が小さい、つまり熱くなる前より軽いのですが、軽くなるということは元あった空気が、軽くなった分量だけ入れ物から取り出されたことになります。

 見方を変えると、同じ重さの空気の分量が温度によって増えたり、減ったりするように見えます。

 この分量が増える結果を挿して、膨張と言っています」


「健一様、湯船で熱い水が上に来て下のほうが温いということと同じで、熱いものが上に行こうと流れることで風が産まれるのですな」

 伊賀七さんは流石に豊富な人生経験があり、該当する事例を的確に言ってくる。

 こういった『なぜ』を繰り返すことも、教えられた訳ではないのに常に行っているようだ。

『やはり発明家、カラクリご隠居様なのだなぁ。

 八兵衛さんはまだまだできない様だが、伊賀七さんは全体の本質を捉えているようだ。

 ならば、話しが早い』


「ご明察です。熱い空気は周りより軽いので上に行こうとします。

 なので、この空気を軽い紙袋で包んでやれば、紙袋自体が上に持ち上がっていきます。

 これを大規模にすると、軽い紙袋だけでなく、人くらいの重さのものも持ち上げることができるようになります」

 伊賀七さんは『人の重さのものを持ち上げる』という下りで目を剥いた。

 空の上にあるものは必ず落ちてくる、ということに対し、何も見えないところから持ち上げる力を得る、という所が琴線に触れたものと感じた。


「このものを持ち上げるということの実験は、わりと簡単にできるのですよ。

 天灯・天篭と呼んでいます。

 明日、実際に作ってみるというのはどうでしょうか。

 材料は、竹ヒゴと蝋燭、紙袋、紐といったところでしょうか。

 仕上がりの図は直ぐ書けますよ」

 俺は八兵衛さんの手を借り、丸に十字の竹ヒゴ枠に大きな紙の中膨れした袋を乗せた絵を描き、竹ヒゴの十字の真ん中に蝋燭を置いて火を点ける様子、竹ヒゴ枠が浮き上がってそこから垂らした紐が引っ張られる説明図をさらさらと描いた。


「これなら簡単に準備できそうですな。

 明日一緒に作ってみましょう」

 伊賀七さんがこう言ってその日はお開きとなりました。


 夜、納戸で寝ようとしている時に八兵衛さんが声をかけてきました。

「健一様、夕方お教え頂いた空気の密度と温度がどうかかわるのかが、今一つ解りかねています。

 もし宜しければ、ご指導ください」

「ああ、気体の膨張という所だね。

 考える必要があるのは、容量と圧力と温度という3つの要素に集約されるのだよ。

 容量と圧力の積は一定で反比例する関係、容積と温度は正比例の関係。

 空気を漏らさないように袋の中に詰め込んだ様子を思い浮かべると良いよ」


 俺は明日の実験が楽しみだ、と話した。

「もし昼間に天灯がちゃんと空に浮かぶようにできるのであれば、これを沢山作りたい。

 明日は、太陰暦で16日=立待ちの月なので、真暗闇ではないのでもう一つかも知れないが、天灯はそれぞれ下側に蝋燭という明かりを抱えているので、この光が袋を照らして輝き、そして空へ登っていく姿は多分幻想的なものになるだろうことが想像される。

 別宅にいる伊賀七さん、八兵衛さん、トメさんだけでなく、工房や本宅にいる人にも見てもらえたら嬉しいなぁ」

 そう言いながら、俺は眠りに沈んでいく。


 八兵衛さんは、きっと先ほどの指導内容に面食らっているに違いない。

 ネタは科学のボイル・シャルルの法則なんだ。

 ただ、これを突き詰め断熱圧縮・断熱膨張にまで思いが至ると、クーラーや冷蔵庫ができちゃうんだけどね。

ほんわか状態の幕間劇を少し続けたいと考えています。

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