八兵衛の体験 <C102>
基本は主人公・林健一視点ですが、このターンは憑依された八兵衛側視点での話しです。
あと、谷田部藩の背景も少し入れてます。
「」と『』の使い分けについて、外に声を出さず考えている場合を『』にしているつもりです。
また、健一が八兵衛に物申すときは「」を使っています。
谷田部藩一万六千二百石は、街道沿いの陣屋を中心とした小さな藩である。
場所は、平成の世であれば、茨城県つくば市の一部で、昔開催された「つくば万博」の会場近くにあたる。
あまりいるとは思えないが、高速道路のインターやジャンクションが趣味の方は、谷田部インター、つくば中央インター、つくばジャンクションで場所の把握ができるのじゃないかな。
谷田部藩のお殿様は肥後熊本の細川家の分家で、かろうじて一万石超えの大名ではある。
しかし、将軍の徳川家から見れば、無数にある小大名であり無視してよい存在に違いない。
米が取れる平地・低地はほんの少しあるが、川が氾濫すれば田は・稲穂は水に漬かり、飢饉となる。
痩せた土地で少しでも夏が涼しければ米の収量が減り、やはり飢饉となる。
産業にも厚みがないため、飢饉ともなれば領民は娘を女郎として売らねばならぬところにまですぐ追い込まれる。
何の特徴もない、ただただ青い田んぼが広がる寒村。
しかし、こんな寒村にも有名人は輩出する。
それは、新町の元名主、今はご隠居様となっている飯塚伊賀七様なのだ。
ご隠居様である飯塚伊賀七様は、趣味で和時計製作をするだけでなく、いわゆるカラクリ全般を考案し、その製造を手がける有名人なのだ。
江戸在住の大名から細川のお殿様を経由して、カラクリ人形を欲しいという要請が絶えず寄せられる。
これをお殿様は大名に卸して金銭を回収し、藩の財政を少しでも潤しているのだ。
お殿様自らが商売人の真似とは何事、と当初はご家老様も反対したが、藩の借金が石高の何倍にも迫る十万両の大台近くになっり、また借米も千石を越えてきては背に腹は代えられない。
藩主の本家・ご実家の熊本藩からの借り入れ金も、返すあてのないままかなりの金額になっていて、目ぼしいことは何でもするしかないのだ。
お殿様から営業として何をするという訳ではなく、大名の間でカラクリが話題になるように誘導し、購入の意図ありや、なしやを忖度し、その情報を屋敷のしかるべき部署に伝えるという、いわば口利きをしてもらっている。
この情報を元に江戸屋敷から大名家に打診が行われ、国元では在所を管理・監督するお奉行様を介して出入り商家に和時計やカラクリモノが卸され、相手方大名の所に届く仕組みなのだ。
時計やカラクリの存在が世の中に少し広まり、物珍しさが受け始めた時、ご隠居様は在所を管理するお奉行様に工房を開くお願いをした。
どうやら、藩の特産品扱いにできるような仕組みとの合わせ技で許可を頂いたようである。
そして、ご隠居様は手先の器用な若い人を工房に集めていた。
ワシはその工房で働く八兵衛。
寒村の自作農の四男坊で、十歳を前にしたある日、屋内で藁仕事をしている姿がご隠居様の目に留まってから、この工房に奉公させられている。
いや、農作業よりも好きなカラクリいじりを手伝っているので、奉公させて頂いているという感じだ。
ワシは、寛政十一年、己未霜月十九日(1799年12月15日)生まれなので、数えで十九歳のときのことだ。
正確に言うと、文化十四年の水無月11日(1817年7月24日)辰四刻(8時半)位の時のことだった。
ワシは突然頭がガンと重くなり、仕事である歯車磨きの手が止まった。
起きているのに、全身が金縛りにあったような状態になっている。
それだけでなく、とても異質なものがワシの頭の中に入りこんできたのを感じた。
『とんでもないことが起きている』
そう考えられるようになるまで、どれくらいの時間が経ったのかは定かではない。
仕事する手を止めてしまったワシに向って、同じようにこの工房に奉公に来ている吉之助が声をかけてきた。
「おおい、八兵衛さん。
なにぼんやりとしているのかい。
ご隠居様に言われた歯車磨きは終わっているのかい」
その声をきっかけに、ワシは金縛り状態から抜け出すことができた。
吉之助の声でこちらを向いた庄蔵さんが、注意してくる。
「こら、八兵衛。寝ぼけてないで、しゃっきりせんと」
庄蔵さんは、ワシらの兄貴分で、この工房のまとめ役になっている。
先に奉公を始めた年上ということで、上の立場にはいるが、実力はワシのほうが上とご隠居様も認めてくださっているはずだ。
しかし、工房の奉公人の世話役でもある兄さんからの叱責である。
咄嗟に、とんでもないことが起きているかも知れないという不安を隠してワシは答えた。
「あっ、申し訳ない。
ちょっとぼんやりしていた。
すぐに終わらせるけんのぉ」
この返事の後、ワシの頭の中の違和感はスッと消えていった。
その日はそれ以上変な感じはなく、ただただ日頃の疲れが溜まっていただけだったのかと思っていた。
しかし、その思いは翌日早朝に見た夢で間違いだと判ったのである。
起きるにはまだちょっと早い時刻である卯刻少し前、頭がまた痛くなってきて、眠りが浅くなる。
頭の痛みで、夢を見ながらその中でワシは唸っていたようだ。
そして、ワシの頭の中に直接ワシの名前を呼ぶ声が聞こえた。
夢うつつ状態で「どなたかな」と尋ねたら返事があった。
『俺は中国七賢人の末裔で名前は健一である』とおっしゃった。
なんでも、急な神降ろしで、いつどこに降ろされたのかが判らないということなのだ。
とりあえず失礼のないようにお答えはしたつもりだが、よくよく考えると大変なことが起きているのに気づいた。
もう寝ているどころではない。
ワシは飛び跳ねるように寝床から飛び出した。
真っ先にご隠居様に次第を伝え、どうすればいいのかを教えて貰わねばならない。
しかし、何からどう伝えればいいのだろうか。
工房からご隠居様の暮らす別宅まで駆ける間に必死で考える。
その時、頭の痛みは引いていた。
『昨日の朝、頭が割れるような痛みがあって、その時に何かがワシの頭に取り付いたようだ。
その時、金縛りにあっていたが、その様子は吉之助が見ていた。
今度は朝早く、耳ではなく、頭の中に直接語りかけてきた。
ここはどこ、いつということを聞きたがった。
返事はしたが、七賢人の末に連なる「けんいち」と名乗ったが、神様じゃないかと思う』
まとめると、こんなものだろう。
『ありゃ、そういえば今はもう頭が痛くない。
どうやら、ワシの頭が昨日やさっきのように痛くなって、頭の中に違和感を感じると、神様の出番なのかな。
もし話しかけてきたのが本当に神様だとすれば、恐れ多いことだがワシが依代になっているということになる。
しかし、神様でなければ、例えばお狐様だったりすると、一転して単に狐付きということになる。
ただ、ワシが知っている狐付きは、前後不詳になって悪戯をするというのが通り相場だ。
話しかけてくるなんざ、ちょっと違うところがあるのだよなぁ。
まあ、もうじき還暦になるご隠居様であれば、こういったこともご存知かも知れない。
まずは包み隠さずお話しよう』
そこまで考えた時、また頭が痛み始めた。
このまま、ご隠居様のところまで辿りつくことができるのだろうか。
記載内容に不備がありましたら、ご指摘頂ければ幸いです。
また、誤記や「」『』の使い間違いがありましたら、お教えください。