異様に感じる算盤 <C118>
この回はちょっとくどいです。技術的にちょっと、とか、ソロバンて何という方は、あっさり読み飛ばしてくださって結構です。技術的素養のある方、是非突っ込んで、無知な筆者をお笑いください。
伊賀七さんが自慢げに見せる算盤については、コンピュータ・プログラミングを独学ではあるが多少齧ってきた俺にとって、直接的な使い方は解らないものの、その意義だけは論じることもできる感じがした。
要は、メモリを8個搭載した電卓と同じことなのだ。
例えば、メモリが複数ある関数電卓になってから、初めてできるようになった関数の一つに統計処理がある。
情報入力の都度、入力件数と総和と二乗の総和の値を保持することで、平均と偏差を随時算出できるようになる。
念のため申し添えると、電卓のマニュアルをきちんと読むと、このあたりのことは解る。
ちょっと注意深い高校生であれば、俺の行っていたA高校レベルの生徒であれば、解って当然の内容なのだ。
『俺!お前は一体何と戦っているのだ。この仮想小説でリアル世界のプライドを守って、主張しても意味ないぞ』
さて、見せられた算盤の最初の俺の感想は『醜悪な、俗物だなあ』だった。
簡単に言うと、軸に竹を使いながら、珠に金属の通貨を使っているところに違和感を覚えるのだ。
できるだけ均一で丈夫な部品を、しかも馴染む大きさ・厚さ、短い稼動距離、制動といった評価をすると、真鍮の金属円盤という選択は理解できる。
『でも、お金だよ、これって。
確かに、人の手に馴染むし、丁度いい大きさなのかもしれない。
ただ、これは数字を扱う算盤だよ。
こんなことに大事なお金を使っていいのだっけ』
そんな印象を受けた。
だが、まずは菩薩様へ自慢している伊賀七さんへの返答だ。
「このような算盤は初めて目にして驚いています。
複数の算盤が表にあって、いちいち数字を書きとめて次に送るという操作をしなくてもいいところが工夫されたところですね。
多分、何を計算するかによって、どの段の算盤を使っていくのかを決めるところに秘訣がある、と見ましたがどうですか」
少しの沈黙の後、伊賀七さんは視線を妙見菩薩から外しこちら側、つまり八兵衛さんを見る。
「八兵衛、健一様にこの算盤をどうやって使うのかを教えたのか」
少し荒い、強い声になっている。
「いいえ、ご隠居様、ワシはなにも教えとりませんし、第一にワシではその算盤を使いこなせませんよぉ」
「確かにそうだが、あまりにも的確に健一様が応えるものだから、何か八兵衛が教えたのかと思ってしまった」
伊賀七さんは視線を妙見菩薩に移し頭を下げた。
とりあえず沈黙していても始まらない。
「伊賀七さん、俺自信はソロバンを使えません。
なので、それぞれの段の算盤をどう使って計算するのかはわかりません。
ただ、2つの数字があって、最初の数字を設定し、後の数字については特定のルールに従って珠を動かすことでこれが反映され、最終的に計算する結果が盤面に残されるということは見れば解ります」
「そうすると、この算盤の特徴は何かということになると、同じ規格のものが複数まとめておいてある所ということです。
九段という数を考えると、三段が三組あるという見方もできますし、下二段が主にハジくための場所、残りの七段を一時的に取っておく場所なんて、計算目的に応じて自在に使い分けしているのじゃないかな。
ただ、この使い分け規則が結構難しくて、伊賀七さんは自分で使うのはできても、人に使わせるのは難しい。
こんな風に推測しました。
どうですか」
先にも述べたが、九段の算盤のつくりは、結局電卓のメモリに過ぎないのだ。
伊賀七さんは妙見菩薩に向って平伏した。
「恐れ入ります。
今ご指摘されたとおり、この算盤を上手く使いこなせるのは私しかいません。
操作方法の解説を作ることも考えたのですが、どうしても自分の備忘録程度にしかなりません」
俺は、八兵衛さんにこの算盤の一番下の段で、適当に操作してもらいたいとお願いした。
「ご隠居様、健一様がこの算盤を触っても良いか、と尋ねられております」
「是非使ってみてください。
そして、どうすればいいのかのお知恵をお貸しください」
俺は八兵衛さんの手を通して、このソロバンを操作する感触を確認した。
そして、口にするのは憚られたが、思い切って言ってみることにした。
「九段もの算盤、それも同じ規格のものを並べるというのは実に素晴らしい案だと思われます。
多分、こちらの世界ではどう言っているのかは解りませんが、二次関数や連立方程式位はこの操作で簡単に解けそうですね。
こういった点は本当に素晴らしいと思います」
「しかし、一段毎の算盤の作りは感心できません。
寧ろ醜悪さを感じます。
俺としては、珠に寛永通宝を使っているところに凄く場違いなものを感じています。
まず、珠の直径が大きすぎます。
このために、隣の桁の珠を扱うのに指を広げねばなりません。
次に、珠の動く範囲が寛永通宝の3枚分位しかありませんし、珠が円筒なので指で割り込む操作が難しいと思われます。
間違えた所に指を挟んで数字を間違えたり、読み取り間違いしたことありませんか。
あと、珠が金属で軸が竹という構造では、使っているうちに軸が著しく磨耗することになります。
指の操作で珠の上げ下げするのですから、斜めに力が入ることで特定の場所だけが酷く磨り減るはずです。
こういった点の工夫がまだ足りていないと思います」
算盤としての造りの悪さについて、こういった意見を多々ぶつけてしまった。
伊賀七さんは、俺の言う言葉を逐一吟味して聞いてるように見えた。
「健一様、しかしながら、それでは普通の算盤と何ら変わりません。
そして、それを詰め込むなどという方法は取れなくなってしまいます。
どこかに活路はないのでしょうか」
俺は、算盤について一緒に集中して考えることを提案してみた。
「伊賀七さん、俺も今まであまり考えたことがなかったので、一緒に算盤の本質について考えてみませんか。
幸い、俺の元いた時代では電卓というものが一般に沢山出回ったことで、一部の特別な人たちを除いて算盤は急速に衰退している。
電卓の隆盛と算盤の衰退という現象は、俺には当たり前に見えるけど、多分伊賀七さんにはなぜなのかという疑問が沢山出てくるのではないかな。
こういった意見のやりとりをすることで、どこかに突破口を開くことができるのではないかと考えますよ」
「健一様、先ほどから『電卓』という言葉がしきりに出てきますが、それは一体どういうものなのでしょうか」
確かに俺は『電卓』という製品を知っているが、その中身・構造・原理は理解できていないので、説明は苦しいかも知れない。
『また言い過ぎてしまったか。
どう説明してリカバリしようか』
俺はちょっと固まってしまった。
ぱっと見、ここまでの話しがあっという間に進んだように見えるが、実際にはもう夕食の時間となっていた。
「健一様、もうそろそろ夕食の時間です。
このお話は、夕食後に、少し落ち着いてから仕切りなおししませんか」
この意見に俺には否は無かった。
さあ、伊賀七さんは果たしてどう感じているのやら、ということで次回は夕食時からです。




