三日目の午前中 <C111>
ここから始まるチート的活躍、といいたいところですが、単位換算にこだわる筆者の癖で、重たい展開になってしまっています。
文化十四年、丁丑水無月14日(1817年7月27日)。
俺がこの世界に来てからとうとう72時間、運命の3日目を迎える日がきた。
意識をはっきりさせ様子をうかがう。
と、昨日の朝と同じ感覚で、相変わらず元の世界に戻っていない。
しかし、昨夜の夢によって「もう戻ることはないだろう」と覚悟を決めたのだ。
俺はここで八兵衛さんの中で一緒に生きていく決意をしたのだ。
ベッドの周りで嘆き悲しむ父・母・妹がいる風景、そこに至る事故の直接・間接の原因があった。
俺には、その不幸な状態が起きるまで200年もの時間の余裕が与えられたのだから、そうなる原因を消せばいい。
そう、歴史を変えればいいのだ。
たとえ、その所作によって俺の意識が消えても、消えたこと自体がこの悲劇を回避できた証なのだ。
そこまで考えが及んで、やっと気持ちが晴れた。
周りが明るくなると、昨日の朝と同じように八兵衛さんは起き上がり、顔を、体を水で洗う。
伊賀七さんのところへ奉公に来ている女中のトメさんに促されて、座敷で質素な朝食を摂る。
まるで昨日と同じ繰り返しだ。
だが、俺の意気込みはもう昨日とは違っていた。
人払いを済ませ、文机で伊賀七さんと向かい合った。
「今朝で丁度3日目となりますが、健一様はまだ八兵衛の中におられますか」
「伊賀七さん、どうやら未来にある元の体に俺は戻れないようです。
そこで、八兵衛さんには迷惑な話でしょうが、ずっとこの状態になると思います。
俺もこの時代で暮らしていく覚悟を決めたいと考えています」
「このような言い方をすると失礼にあたるかも知れませんが、元いた時代に戻ることを切望されるより、思い切って健一様の知識をこの世界で役立てることのほうが良いと考えておりました」
「俺の知っているこの時代の歴史的な知識はあまり細かなものではありません。
そして、そういった知識を使って歴史の流れ自体が変わってしまうと、もう二度と利用することができなくなると考えるべきです。
したがって、歴史を大きく変えるように政治的に働きかける機会はある特定の時期だけになります。
政治以外であれば、技術的な助言はできるのではないかと思いますよ」
「政治への介入は、どのようなものをお考えなのかをお教え願えませんか」
「まだ具体的にはどこをどうしたいのかは考えていないのですが、歴史を学んで日本が一番苦労したのだろうな、って思うところをなんとかしたいなぁ、って思ってます」
「一番苦労していたというのは、どういったところですか」
「外国との通商条約が不平等になっていることを承知で結んでしまったところを、なんとかしたいです。
それと、金銀貨幣の交換比率の件も正したいところです」
俺はなんとなく、幕末で残念だなあ、と常に思っている2点を口にしてしまった。
「不平等な条約というのはどういうことでございましょうか」
俺は、鋭く突っ込む伊賀七さんにタジタジとなってしまった。
治外法権、自主関税権、最恵国待遇など内容は多岐に渡るが、どう考えても日本が見下されているように感じていて、内容を知れば知るほど日本史の授業時間中に不快感を覚えていた。
そのため、筆頭に挙げてしまったが、当時の力関係や内容に無知であったことから条約を結んでしまった、と認識している。
しかし、これを今きちんと筋道を立てて説明することは難しいと考えた。
「伊賀七さん、不平等条約のことと金銀貨幣交換比率の二つは、パッと頭に閃いたことを口にしてしまっただけで、今きちんと判るように説明するのは大変難しいです。
申し訳ないですが、お答えするのは数日待って頂けますか。
俺の頭の中で、まずは整理したいのです」
「わかりました。
政治の話しは、また数日後あらためて御伺いします。
それはそうと、昨日、深川の三郎右衛門様か間宮様にお尋ねしたいことがあるとのお話でしたが、こちらのお話をお聞かせ願えませんか」
ややこしい政治の話しでなくなっただけ、気楽である。
「昨夕、ここ谷田部と俺が未来で事故にあった場所がどの程度離れているかを聞きたいと言いました。
それは、伊賀七さんが憑依に時間と空間が関係するのでは、と示唆されたことにからんで、いくつかの可能性を思い浮かべたからなのです」
すでに八兵衛さんに言ってしまったことを、伊賀七さんに説明したところで問題はないだろうと考えた。
「憑依にかかった時間が地理的な距離に反映されたと仮定できるかと思ったのです。
この大地、地球は1日1回自転していますので、2つの地点の東西距離ではそれぞれ南中する時刻が違います。
この時刻差が憑依にかかる時間と見立てられます。
この時間が解ると、例えば昨日憑依し直す試みをしたのですが、どの程度の時間念じていれば良いのか、という目安ができます」
「距離から南中時刻の割り出しができるのですか。
それはどういった方法でございましょうか」
基本的な情報はすでに知っていると考えたが、説明にはまた換算が必要になる。
俺の知っている・覚えている知識を整理しよう。
地球の周は4万キロメートル。
一日は24時間・一時間は60分。
一刻は30分。
距離の単位で一里は約4キロメートル、精密には3927メートル。
東京の緯度はおおよそ35度。
某戦国時代のゲームをしている時の得た知識だが、一里の距離を細かく知っていて助かった。
しかし、尺貫法とMKS単位系の換算は、本当に困りものだ。
「まず、地球の大きさですが、4万キロメートル、一万百八十五里です。
緯度が35度ですが、大雑把に30度としてこの緯度での周を1.74で割り、五千八百五十三里です。
例えば、ここ谷田部から事故のあった麻生まで丁度南西方向に百里だったとします。
百里を1.4で割ると、おおよそですが東西の距離が約七十里と算出されます。
一日が48刻なので、48×70÷5853、つまり一刻の十分の六が時差になります。
俺的に言うと時差17分ということですね」
もちろん、この結論が一気に出る訳もなく、文机の上は八兵衛さんの手になる漢数字が書かれた半紙と、算盤のパチパチという音が一通り響きわたった後のことである。
「健一様、良くわからないところが沢山ございます。
この半紙は私がもらっておいてよろしゅうございましょうか」
伊賀七さんは、俺の了解を得て半紙の山を束ねると、右上に番号を付けその一枚毎に朱書きで注釈をさらさらと書き込んでいる。
横から見ていても俺にはさっぱり解らないが、八兵衛さんに聞くと何を書いているのかを教えてくれた。
『緯度という言葉不明なり。
江戸は35度近辺との説明があり、ために地球の周の一万百八十五里を、大雑把に30度と言いながら1.74で除した数値、五千八百五十三里を求む』
まあ、高校で習う基本的な知識の応用なのだけど、三角関数が役に立つことを初めて実感した。
そして、コサイン35度の値をこれほど知りたがったことはない。
この程度の知識は、江戸時代とは言え流出しても大したことはないに違いない。
ここまでお読み頂きありがとうございます。




