その夜のモンモン <C110>
10話前後で計算機が登場する予定でしたが、それぞれの話しが膨らんでしまったため、計算機の初登場は5~6話あとになると思われます。
また、今回の話は結構短めになっています。
八兵衛さんは布団へ潜り込んで休む体勢に入ったが、俺は明日朝どうなるのかを考えると寝るどころではない。
朝起きた時、白いベッドの上であれば何も問題ない。
元いた時代に戻れたのだから。
江戸時代の八兵衛さんの中で目が覚めることがなければ、それもまた良し。
実の体がお陀仏になって、その影響で消えてしまったのだと考えればよい。
憑依なんてことは、最後に見た夢みたいなもので、さっぱり忘れてもいいのじゃないかな。
ただ、明日の朝気づいた時に八兵衛さんの中にまだ俺がいた場合、どうすればいいのかが困るのだ。
今日のような問答を続けるうちに、知らぬ間に未来が変わってしまうかも知れない。
ならば、ここは割り切って自分から望ましい未来にする努力をしてみてはどうだろうか。
ただ、この世界で自作農の四男のまま、身分が農民のまま終わるのではないかという点だけが懸念するところだった。
『そうだ、そのあたりの事情は八兵衛さんに聞いてみればいいんだ』
「八兵衛さん、八兵衛さん、ちょっとお聞きしたいことがあります」
眠りに就こうとしていた八兵衛さんを起こす。
「あっ、健一様ですか。なにかご用でしょうか」
「八兵衛さんは一生自作農の四男として暮らしていくことになるのか、そのあたりのことを教えてください」
以下、数時間にわたり、延々と話しをした結果、この時代の身分制度について次のようなことがわかった。
「士農工商とそれ以下という身分制度は厳然としてある。
しかし、士農工商間は沢山抜け穴がある。
武士は苗字・帯刀が赦されているが、農民でも名主になると、これが赦されることもある。
藩の財政や名誉を挙げることに高く貢献したものは、商人と言えども武士並みの扱いをされることもある」
八兵衛は自作農なので、士族扱いに成れる可能性は0ではない。
「身分制度の大きな穴は、養子が認められているところだ。
武士も祖先からの血統を維持するというより、家を守る・盛り立てるという考えに切り替わってきている。
このため、息子のいない武家や名主の家では優秀な子供を娘婿として娶わせ、養子として取り込むことをしている」
要は、自分が優秀と世間に認められれば世に出る機会はある、ということだ。
八兵衛さんはこう伝えてきました。
「具体的には、例えば、飯塚丁卯司さんです。
もともと、普通の自作農の次男坊さんですが、秀でた能力があることを見込まれて、飯塚家の娘婿になりました。
今では家督を譲ってもらって、名主となっています。
また、今は幕府の奉行下役として蝦夷松前藩へ派遣されている間宮林蔵さんも、元はといえばこの近くの上平柳村の農家出身です。
利根川の堰普請を行っていた官吏にその能力を見出され下役人に取り立てられてから、今は松前奉行支配調役下役と出世されています」
『八兵衛さんの言う通りであれば、この田舎で燻ったまま、世の中が俺の知っている歴史通りに動くのを指を咥えて眺めているのではなく、俺の意識が・魂がこの世界を去るときまで思うがまま動いてみるのも一興ではないか』
そんな道も、一つ見えてきた気がする。
こちらの世界でいるとなったら、俺は自分が元いた場所が今どんな状態なのかを見たくなった。
この時代で元いた場所のことをどう説明すれは良いのだろうか。
A高校のある場所の地名「金程」は手がかりになるか。
「新百合丘」なんていう地名は、古くからあるかどうか判らない。
そうか、神社・仏閣の名前ならあまり変えることもないのじゃないかな。
近くで古くからありそうな大きな神社につながる地名は「王禅寺」「万福寺」。
もっとも、「王禅寺」「万福寺」というお寺があったのかは定かではない。
ほかに手がかりになりそうな地名や神社・仏閣は何があったっけ。
こういった単純な脳内探索作業を続けているうちに、だんだん眠りに落ちていってしまった。
神社・仏閣を思い描きながら寝たのが原因だったのか、顔に白い布をかけたベッドの周りに父・母・妹が寄り添い、手を合わせている所の夢を見た。
多分、これが臨死体験なのだろう。
きっとこの夢は、元いた世界で俺の体はもう消滅したことを暗示しているに違いない。
ならば、俺はもう何も気にすることなく、思い切り自分のしたいことをすれば良いのだ。
この夜見た夢が、俺の本当にしたいことをすれば良いと、後押ししてくれたのだ。
これで、現世の足かせが外れます。