第三章:過去の仲間(2)
真津子は再びソファに戻ってくると、虹色に輝く日記帳を手に腰をかけた。
勇希ははっと顔をあげたが、なんと言っていいのかわからず、また俯く。
長い沈黙の後、口を開いたのは勇希だった。
「あなたたちも失われた帝国の研究を?」
真津子は微笑むと静かにうなずいた。
「私たちの研究によると、ダコス様とはもともと王に助言する者として使えた神官だったらしいわ。でも、彼の野望が彼を悪の邪教へと導いて。結果、王は彼を宮廷から追放してしまったの。そして、ダコスは紅劉国から出なければならなくなった。国外へ出てからも、彼の野望と国王への憎悪は増大し、とうとうあの忌まわしい残虐非道な戦争の発端を作ってしまった」
真津子の瞳はまるで過去の出来事を思い出すかのように遠くを見つめていた。
「そんなことが、あったの。ダコスという名の男が世界を滅亡させた」
勇希は捜し求めていた答えの糸口を見つけはじめた。
「でも、もし彼が帝国を滅ぼしたのなら、彼の望みは叶えられたんでしょう?第一、帝国が滅亡したのは三千年も前のはず。そんな昔に生きていた人間がどうやって今の世界にいるというの?それとも、他にダコスという名の男が私の命を狙っている?」
勇希は誰にともなく問い掛けた。
「帝国はダコスによって滅亡させられたわけじゃない。少なくとも、完全に滅亡したのは」
満は少しの間、どの言葉を使えばいいのかためらったが、やがて、勇希のセピア色の瞳を真正面から見つめると、言葉を続けた。
「紅劉国を滅ぼしたのは奴じゃない。紅劉国の五大戦士が奴の計から護ったんだ。数人の戦士がダコスの手先によって殺された。だが、カミンが、五大戦士の中でも最も偉大な戦士が、やつをすんでのところで破ったんだ。少なくとも、俺はそう聞いている」
「たぶん、もしダコスが邪教を使っていたのだとしたら、この世界に復活する術を見つけていた可能性は十分あるわ」
真津子は言いながら、日記帳の表紙を開いた。
「もし…もしも、あなたが言うことが本当に起こって、ダコスがこの世界に復活したとしても、それでどうして私が狙われなきゃいけないの?一体何が目的なの?」
勇希はヒステリックに叫んだが、勇希の問いに答えられるものは誰もいなかった。
長い沈黙が部屋を満たしていく。
最初に沈黙を破ったのは、真津子だった。
「本当に、あなたを灯台に閉じ込めた誰か以外は、誰も見なかったのね?」
勇希は首を振る。
「私を閉じ込めた人さえ見ていないわ」
「じゃあ、光はどうだ?青い光を見なかったか?」
次に質問したのは満だった。だが、答えは同じだった。
勇希は誰も見ていないし、不思議な光も見てはいない。ただ、血のような赤い目を持つ影を見ただけだ、と。
三人は何をすればいいのか、また何を言えばいいのかもわからずふっとため息をついた。
「家に電話をかけたほうがいいかもね、勇希ちゃん。ご両親が心配しているわ」
真津子は勇希が誰にも聞かれないところで電話がかけられるように、勇希を満の勉強部屋に連れて行った。
「さ、この部屋の電話を使いなさい。終わったら教えてね。その後、私たちが家まで送っていってあげるわ」
勇希は真津子の親切に感謝した。
「いいえ、どういたしま…」
言いかけて、真津子は一瞬息を呑んだ。彼女の紫色の瞳はまるで幽霊かなにかをみたかのように大きく見開かれている。真津子の紫色の瞳は勇希のセピア色の瞳が一瞬、濃い藍色の瞳に変わったのを捕らえていた。
「流、さん?」
勇希は真津子の顔からいきなり血の気が引いていくのに気が付いた。
「大丈夫ですか?」
勇希は心配そうに声をかける。
瞬時にショックから立ち直った真津子は勇希の柔らかなセピア色の瞳に青白い顔の自分が映っているのに気が付いた。
「え、ええ、なんでもないわ。なんでも…と、とにかく、終わったら教えてね」
真津子は言うと、急いで部屋のドアを閉めると満の待つ部屋へと早足で戻っていった。
*****
「それで、奈波勇希は逃げた、と言うのだな」
暗い部屋の中、低いハスキーボイスが静かに尋ねた。
真っ赤に燃え立つ暖炉の前には大きな長椅子とコーヒーテーブルがひっそりとならんでいる。電気の代わりに灯された数本の蝋燭の青白い炎が暗闇の中、亜麻色の男の瞳をかすかに浮かび上がらせていた。
「はい。部下によると、我々が送り込んだ刺客は不思議な青い光の中、女とともに消えてしまったと…」
女の声が答える。
「まったく、僕がなんのためにあいつを閉じ込めたと思ってるんだ?お前の刺客など役立たずではないか」
まだ幼い声をした少年が舌打ちした。
「まあ、落ち着け。逃げた、というのならまあそれもいいだろう。」
ハスキーボイスが少年をなだめる。
「どうしてですか?あの女を殺すこと、それが俺たちが受けた使命の筈?あそこに閉じ込めるなんてせずに僕があの場で殺していればよかったんだ。自分の仕事も果たせないようなくだらない刺客など送り込んで何になる?」
少年の声は苛立ちを隠せない様子だった。
「ラナ、まあ、そう苛立つな。お前は立派にこの鍵を私のもとに届けてくれたのだ。もともとこの鍵さえ手に入れば計画が遂行できると考えていたのはこの私だ。だが、それは間違いだったらしい。どうやらこの鍵を持ってしても私一人で門を開くことはできないらしい。あの女の力なしでは…」
男の亜麻色の瞳が妖しく輝いた。
「あの女を連れて来い」
「必ず…奈波勇希、待っていろ…」
少年の凍て付くような青い瞳の中、冷たく光る青白い炎が静かに揺れていた。
*****
「すぐにでも勇希が閉じ込められたという灯台に行かないと。カミンと他のみんなも見つけなければ。理由はどうであれ、ダコスはなんとかして復活を遂げている。何か善からぬことを企んでね」
満にたった今見たことを話した真津子は息せき切ってつづけた。
「灯台で勇希を救ったのはカミンに違いないわ。昨夜私たちが見た青い光はカミンの気弾としか思えないもの」
「ああ、あの光を見た時、俺は確かにカミンの気を感じた。だが、もしやつがあそこにいたのなら、どうしてやつは俺たちの前に姿を現さないんだ?もしやつが能力をまだ失っていないとしたら、俺たちのことを覚えていてもおかしくはないだろう?」
満は開け放たれた窓の外に目をやった。外はとてもいい天気で果てしなく続く青い空には一筋の雲さえ見当たらない。
「本当に勇希がナユルだと思う?」
真津子はためらいがちに満にそう尋ねた。満は振り返るとかつての仲間が発した問いに心底驚いた様子で真津子の顔をじっと凝視する。
「彼女は間違いなく、俺たちが忠誠を誓った皇女ナユルだ。お前にも彼女の気はわかる筈だ」
満はゆっくりと、自信に満ちた声で答えた。
「そうね。だけど…。もし、そうだとしたら、私がたった今見たものは何だったの?勇希の瞳の色が変わるのを確かに見たのよ。あれは絶対彼女の瞳の色じゃなかった。それにどうやって鍵のかかった地下室から抜け出したっていうの?それにダコスが送ったに違いない黒い影もいたのよ?それだけじゃない、彼女から感じた気は…」
何か言いかけていた真津子はそこまで言って口を閉じた。
「何だ?」
満は困惑した顔で真津子を見つめる。
「お電話ありがとうございました〜。」
真津子が何か言う前に勇希が部屋の外から声をかけた。
「え〜っと、彼女を家まで送っていってくれる?」
「お前は一緒に来ないのか?」
4x4の鍵を持った満が声をかける。
真津子は首を横に振ると自分もバッグを持った。満の側に行くと満にしか聞こえないよう、小声で耳打ちすると満は静かにうなずいて後ろ手にドアをしめた。