第三章:過去の仲間(1)
真津子は突然悪寒を感じて持っていた試験管を床に落とした。と同時になつかしいオーラが助けを求めているものを感じていた。聞きなれた懐かしい声が彼女の頭の中にこだまする。
「誰か、助けて!」
若い女の声が叫ぶ。真津子が実験室の窓から外を見ると星一つない暗い闇に一筋の青い閃光が閃くのが見えた。
「この光は…!」
突然、満がドアを乱暴に開けて入ってきた。
「真津子!早く来てくれ!我らが姫が戻ってきたんだ!」
それだけ叫ぶと満は真津子の答えを待たず、もと来た道を走りさった。
「私たちの…姫が…戻って…?」
真津子は呆然と開け放たれたままのドアを暫く見ていたが、また窓の外に視線を戻した。
あの青い光はもはやどこにも見当たらない。ただいくつかのほのかな黄色い街頭の灯りだけが暗い夜の町を照らしているだけだ。真津子ははっとすると、満のあとを追いかけた。
*****
「つまり、君はここまでどうやって辿り着いたか覚えていない、そういうんだな?」
満は流クリニックにある大きなソファに静かに座っている少女に聞いた。
その少女はうつむいてため息をつく。
「ご迷惑をかけて、ごめんなさい。一体何が起こったのか、私にもよくわからないんです。灯台の地下にある部屋に閉じ込められて、ある物を見たんです。あれがいったいなんだったのか、わかりません。気が付いたら私はお宅のソファで眠っていて」
真津子が実験室の外に出たとき、満がこの痩せた長い髪の少女を腕に抱いてクリニックに戻ってきたところだった。 少女は気を失っていたが、その腕には一冊の小さな輝く本がしっかり握りしめられていた。満は彼の仕事部屋の窓から一筋の青い閃光を見た直後にクリニックの外で気を失って倒れている彼女を見つけたのだ。
少女が悪夢から目覚めたのは次の朝だった。真津子が用意したきれいな着替えと暖かい朝食のおかげで、勇希は元気を取り戻し、前の晩に起こった出来事を見知らぬ二人に話して聞かせたのだった。
「ナユル…いえ、勇希ちゃんだったわよね。あなたは灯台に一人でいたの?誰か他に…男の人が…一緒じゃなかった?」
真津子は勇希の隣に腰掛けると、穏やかな紫色の瞳でこの少女を見つめた。
「男の人?なんのことを言っているのか…確かに、暗い影を見たわ。でも、あれがヒトだとはとても思えない」
「そう…」
真津子の顔が失望で曇った。
「君が見たのは、おそらく、だコスが汚いことをさせるために使うやつの配下の悪魔のうちの一人だろう」
と満は言う。
「悪魔?!」
勇希の顔が新たな恐怖でひきつった。
「ええ、あなたを灯台の地下に閉じ込めた誰かは『ダコス様があなたの死を望んでいる』と言ったんだったわね?」
真津子が聞いた。
勇希は真津子の紫色の瞳から目をそらさずにうなずく。
「そして、この日記を持っていたということは、紅劉国のこともあなたは知っている、そうね?」
真津子は大きな木製の机に歩み寄ると、一番上の引き出しの中からあの虹色に輝く本を取り出した。
勇希は驚いて真津子を見上げた。まさか、またあの本を目にするとは思っていなかったのである。またあの本を見ることがなければ、昨夜の出来事はただの悪い夢と思うこともできただろう。だが今、彼女が灯台の地下で見つけたその本は真津子の白く、長い指をした手の中で虹色に輝いている。
「どこで、それを見つけたの?」
勇希は必死で自分自身を落ち着かせようとしたが、その気持ちとは裏腹に、彼女の声は震えていた。
「このクリニックのすぐ外で、君とこの本を見つけたんだ」
答えたのは満だった。
「そう…じゃあ、もう一つの本は?」
勇希が顔を上げると満の男らしい陽に焼けた顔を見た。
「もう一冊?」
満は眉をしかめる。
「他には何も見なかったが」
「そう…ですか」
勇希は失望してまた瞳を落とした。とうとう長年捜し求めていた本が見つかったはずだった。それなのに中をほとんど読むこともないまま、失してしまったのだ。
「紅劉国のことは、少しなら、知っています。十三歳の頃からずっと失われた帝国のことを勉強してきましたから。でも、ほとんど知らなくて。昨日、古くて大きな皮張りの本を見つけたんです。この虹色に輝く日記帳と一緒に。とうとう失われた帝国の謎を教えてくれる本が見つかったと思ったのに、また失しちゃうなんて…」
勇希はふっとため息をついた。
真津子は満を見、声に出さずに問いかける。満は穏やかに微笑むと、その問いに答えるようにうなずいた。
「勇希、私たちのほうが、あなたより少しは失われた帝国のことを知っている、と思うわ。知りたい?」