第二章:図書館(2)
流真津子はいつものように実験室で作業をしていた。
真津子は世界でも有数の実業家、流眞の一人娘だった。真津子の母は彼女を産んですぐに死んでいた。眞は再婚することなく、一人娘である真津子を一人で育ててきた。彼のたくさんの友人や親戚はみな口をそろえて新しい妻を娶るように促したが、眞はただ首を振るだけだった。
ある日、眞の母親は自分の息子がなぜ新しい妻を娶ろうとしないのか問いただしたことがある。そのとき、眞は微笑みながら自分の年老いた母親を見るとやさしい声でこう答えた。
「母さん、私は妻が逝く前に彼女と約束したのですよ。私はいつまでもお前を愛している。そして、私の命にかけて私たちの娘を守っていくと」
真津子は前世の記憶を持つ特別な子供だった。彼女は昔、マホーニー・チェリッシュという名前で知られていたこと、そして失われた帝国を守る五大戦士の一人であったと言う。前世では他の四人の戦士たちと能力をあわせ、彼らの皇女とその国を悪の手から守っていたのだ、と。
眞はなんと言っていいのか、何を信じたらいいのかわからず、ただ娘の話を聞いていたものだ。ただ、娘が言葉を話したり歩きだす前から何か不思議な力を持っていることに眞は気づいていた。真津子は瞬間移動することができたのだ。また、念動力やテレパシーの能力も兼ね備えていた。
その能力は何度も眞を驚かせたが、眞が自分の娘を心の底から愛していることに変わりはなかった。
真津子は母親似のとてもきれいな子供だった。だが、持って生まれた不思議な力を近所の子供たちは恐れていたために彼女はいつも一人だった。一度だって誰かを傷つけようと力を使ったことはなかったが、いつも自分の力をコントロールできるわけではなく、時折、良くないことを起こしてしまうのだ。
そんな娘を眞はいたたまれない気持ちで見守っていた。自分のあわれな娘を助けてやりたくて、眞は長い間その方法を世界中探し回った。不運にも、娘を助ける方法は見つからなかったが、眞はこの非情な世界で自分の娘と同じように苦しんでいる子供たちが大勢いることを知ったのだ。
眞はそういう子供たちの世話をすることに決めた。そうすることによって、少しでもこの厳しい社会から彼らを守ることができれば、そう願って設立したのが流クリニックだった。
5年ほど前、眞は加瀬満という名のある若い男と出会った。
眞の仕事が起動に乗り始め、外国に出張することが多くなった時期で自分の留守の間に、施設の子供たちを世話する人間を雇う必要があったのだ。
満は変わった男だった。医学に特化した京成大を卒業したばかりだという。満は大きな図体にもかかわらず、小さな子犬のような優しい心をしていた。
眞は直感的にこの男を気に入った。そして、満は面接の次の日から眞のクリニックで働くことになったのである。
数日が過ぎ、眞は仕事のために1ヶ月ほど外国に行くことになった。眞が明日、出張という日、真津子は両足に大きなあざを作って学校から帰ってきた。クラスメートが瞬間移動をやってみせろと言ったのだ。自分の力をコントロールする方法をしらなかった真津子は、言われた通りに瞬間移動することができなかった。そんな真津子をクラスメートたちは嘘つきと言って突き飛ばしたのだ。
いきさつを聞いた眞はかっとなると娘の学校に乗り込もうと息巻いた。そのとき、突然、満が眞を止めたのだ。満は言う。真津子に父親からの保護は必要ない、と。
「必要ないって、どういう意味だ!」
眞は虎のように吠えた。
「どうか、落ち着いてください、流さん。あなたが娘さんを護りたい気持ちはよくわかります。でも、私たちが彼女を一生護ってやれるとは限らない。いや、あなたの娘さんだけじゃない、ここにいるすべての子供たちに必要なのは、自分自身を護る術です。私たちがしなければならないことはただ保護してやるだけじゃない、彼らが持っている能力をコントロールする方法、それを教えてやることだ。自分の力をコントロールできるようになれば、もう誰も恐れる必要はないのだから」
満は上司である眞を静かに説得していった。
眞は満の深い灰色の瞳を長い間見つめていたが、ふと、その奥に隠されている何かに気が付いたようだった。
「あの子たちが必要としているのは何なのか、どうしてお前にわかるというんだ?」
少し落ち着きを取り戻した眞はいつもの穏やかな声で尋ねた。
「私にはわかるんです。流さん。私もその一人ですから」
「その一人って…?」
眞は満の答えに驚いて信じられないような顔でこの新米の部下を見つめた。
満はかすかに微笑むと答えた。
「はい。私は昔、チドル・コナーと呼ばれていた紅劉国の五大戦士の一人でした。あなたの娘、真津子さんは私の仲間なんです」