第一章:運命の足音(2)
「…っ!」
勇希はセピア色の目を開けた。あの暗闇はどこにもない。勇希は自室のベットに横たわっている自分に気がついた。学校から帰ってから眠ってしまったのだろう。壁の時計は6:30を指していた。
「また、あの夢…」
勇希の心臓が体から飛び出んばかりに激しく脈打っている。彼女の額にはついさっきまでの悪夢のお陰で汗が光っていた。
「なんでいつもあの夢をみるのかしら?それに私を呼んでいたあの青年はいったい…私、あのひとの瞳を知ってる。あの、優しい瞳。それだけじゃない、あのひとの声も、私、知っているはずなのに、どうして誰だか思い出せないの?」
4年前、勇希と咲はあの占い師のところを訪れていた。勇希は今でもはっきり、あの老女が理想のひとを見つけてはいけないと言ったときに感じた悪寒を覚えている。
「それに、あの気味の悪い水晶玉…」
勇希は自分の体が恐怖に震えていることに気がついた。
勇希は幼い頃から同じ少年の不思議な夢を見ていた。成長するにつれ、はじめはっきりしていた少年の顔はだんだんその輪郭を失い、ついにはその形さえもわからないほど薄れていた。勇希はそのことが何か悪いことが起こる暗示ではないか、と思い、あの占い師の夢がそんな勇希をますます不安にさせていた。
「勇希!ちょっと降りていらっしゃい。見せたいものがあるの」
階下から母親の呼ぶ声が聞こえる。
「わかったわ、母さん。今いく」
勇希は返事をすると一階のリビングへと降りていった。
***
「鍵?」
勇希はたった今、母親に渡された鍵を自分の手に取ると、まじまじと見つめた。上部には詳細な飾りがついており、見慣れない文字が彫られている。勇希はもっと良く見ようと目を細めてみたが、さびついた鍵の文字を読むことはできなかった。
「あなたにこの鍵を返しておいたほうがいいんじゃないかと思ってね」
勇希の母は落ち着いた声で言った。
「返すって、どういうこと?私、こんな鍵、見た事ないよ。これって、いったい何の鍵なの、母さん」
勇希は母の優しい灰色の瞳を見つめた。勇希の母はもう50代前半だが勇希が幼いころからほとんどかわらず、とても若々しく美しい女性だった。
そんな彼女は小さな消え入りそうな笑顔を浮かべて答えた。
「でも、それはあなたの鍵なのよ。あなたが生まれてきたとき、小さな手でしっかりとその鍵を握っていたんだから」
「私が…なんですって?」
勇希は自分の耳を疑った。
鍵とともに生まれてきた赤ん坊。そんなこと実際にあるわけがない。だが、勇希は自分の母親がそんなたちの悪い冗談を言うような人ではないことを十分承知していた。案の定、母親の顔はいつもとなく真剣な表情で勇希を見つめている。
「勇希、その鍵があなたにとっていったい何なのか、私にはわからない。何を開けるためのものなのかも。でも、あなたが生まれてくるときにあんなにしっかりと握り締めていた鍵なんですもの。何かきっと大切なものに違いないわ。あなたも自分の運命を受け止められる年になっているし。だから、今、これはあなたが持っている必要があるの。あなたなら絶対、自分の進むべき道を見つけることができるわ。そして、この鍵がいつか辿らなければならない正しい道を教えてくれるはず」
「母さん…」
勇希はなにか言いかけて、なにも言うべきことがないことに気がついた。自分の手のひらに置かれた錆びた鍵に視線を落とす。
「私が生まれたときから持っていた鍵…いったい何だっていうの?」
***
その夜、勇希は長い間忘れられた記憶を見つけ出そうと考えてみたが、断片さえも思い出すことはできなかった。
「ま、いっか。明日になれば何かわかるかも」
ふっとため息をつくと、鍵を机の上において、寝床に就いた。
あっという間に勇希は眠りについていた。自分の運命が深く、長い眠りから覚めて歩き出していたことも知らずに。あの古く、錆び付いた鍵だけが、妖しい光に輝いて、危険への幕開けを告げていた。