第十四章:永遠の別れ
青い光が徐々に薄らいでいく。気が付くと勇希は梗平に閉じ込められたあの灯台の地下にある書庫のすぐ外に立っていた。書庫の内ではカミンが、勇希が輝く日記帳と大きな皮製の歴史書を見つけた、あの大きな古い机の前に立っている。
勇希と目が合うと、カミンは優しく微笑んだ。彼の全身は今うす青い光に覆われて、勇希にはまるで天使かなにかのように思えた。
満、真津子、つくも、そして敬介も勇希のすぐ後ろで事の成り行きを見守っている。誰一人、言葉を紡ぐ者はなく、ただ、仲間と皇女を見守るしかできない。
これから起こりうることをその場にいた誰もが感じ、それが現実にならないことを願ったが、その願いだけは叶わないことを、皆、心のどこかで知っていたのだ。
仲間が困っている時に助けられなくてなにが五大戦士だ、そう憤りを感じてもどうすることもできない。その気持ちに皆が皆、神妙な面持ちでその場に立ち尽くしていた。
「ナユル…」
カミンが優しく愛しい女性の名前を呼んだ。
「鍵を…鍵を使うんだ」
カミンは傷の痛みをこらえながら、かすかな弱弱しい声でそう言った。
「鍵、を?」
勇希は静かに答える。
「そうだ。その鍵で全ての痛みを封印するんだ」
そう言うカミンに勇希は首を振ると「いや」と短く答える。
「勇希、お願いだ。俺にこの扉を封印する力を貸してくれ。ダコスを、ダコスの魂を黄泉の(の)国(世)へ連れて行く。そうすれば、もう二度と、やつが人を苦しめることはない」
カミンは悲痛な顔で、そう勇希に訴える。勇希は今度は首がもげそうなくらい激しく首を横に振る。
勇希にはカミンが自分に何をしてほしいのか、わかっていた。カミンだけが、ダコスをあの世へ連れていける、そして二度と陽の当たる所に出て来れないよう封印することができるのだ。だが、それと同時に勇希はカミンに架せられた運命も知っていた。
ダコスを黄泉の国へ連れて行くということ、それはカミンの死をも意味するのである。そんなことになれば、勇希はもう二度と、カミンと会うことはできない。それは、ずっと夢見ていた理想の男性を失うばかりでなく、勇希にとっては自分の一部を失う、ということだった。
現世に生まれ変わってから、カミンは確かに勇希とともに生きてきたのだ。いつも話ができる訳ではなかったが、それでもいつもどこかにカミンを感じることができた。
それなのに、この世界を救うためには、ダコスだけでなく、古からずっとこの世界を救ってきたカミンの命さえも奪わなくてはいけない。そんなことが、勇希にできるはずもなかった。
「そんなの、私、できない!」
勇希は叫び声をあげた。
「ナユル…」
勇希はカミンの綺麗な藍色の瞳が悲しみで包まれているのに気が付いた。
「!」
そんなカミンの顔を見ていると、勇希は突然前世で起こったほんとうのことを思い出して息を呑む。そう、ここにいる他の仲間が決して知ることのなかった紅劉国滅亡の本当の理由…。
あれは勇希が紅劉国の皇女ナユルだった時だ。カミンは彼の誓い通り、確かにナユルと王国を救っていた。だが、凄まじい戦いの末、ダコスから勝利を勝ち取ったカミンはその代償として自分の命を失っていたのだ。
カミンの死はナユルの心を壊してしまった。ナユルの魂は紅劉国の魂であり、ナユルの魂は紅劉国と同化していたのだ。ナユルの魂は心痛に犯され、自分の殻に閉じ篭ってしまう。
国王一族を愛して止まなかった国の民にナユルの心痛が届かないはずもない。それゆえに、ナユルの病んだ心は自分の体だけでなく、世界までをも壊してしまったのである。
勇希は昔のナユルに戻って泣きじゃくった。
「もう二度と、あなたを失いたくない」と。
「ナユル…俺の言うことをよく聞くんだ」
カミンの優しい声が勇希の壊れた心に染みていく。勇希はカミンが感じている痛みに心が締め付けられる思いで目を伏せた。
「俺は…俺は長い間、生まれ変わるのを拒んできた。国が、王国があんな風になってしまったのは俺のせいだから…」
「そんな!あなたは私と国のためにがんばった。精一杯私たちを守ってくれた。国を滅ぼしたのは、私」
勇希はカミンの言葉を遮ってそう叫んだ。
カミンの藍色の瞳に優しさとナユルへの想いが溢れていく。
「それは、違う。あれは、俺の、俺の責任だ。ナユル、俺は君と王国をあれで救ったと思っていた…だが、結局は君の心を砕き、ついには世界まで…。だから君の守護霊になった時、俺は決めたんだ。もう、同じ過ちは二度としないと」
カミンは優しく微笑む。
勇希は昔、いつか同じ微笑を見たことがある、そうぼんやり考えていた。
「そう…忘れるわけが…ない」
勇希はそっと自分にしか聞こえないような小さな声で呟く。
それはカミンが初めてナユルに会った時に見せた笑顔だった。そして、その笑顔こそが、ナユルが恋した理由。
「カミン…」
ナユルはずっと夢に見ていた人の名前を呼んだ。
「俺は君を必ず護る。どこにいても、君とずっと一緒にいるよ」
勇希はカミンの藍色の瞳に映ったナユルの姿をぼんやり見ていた。
「でも、私、やっぱり…」
ナユルがまだ何か言おうとしたが、カミンはその言葉を遮る。
「ナユル、俺は君を信じている。君は今、俺が知っている昔のナユルじゃない。もっと強いはずだ。君は、奈波勇希だ。勇希、君ならこの世界を救うことができる。二人なら、必ず」
カミンの優しく、しっかりした瞳はもう誰に何を言われてもその意志が変わらないことを勇希に告げていた。
「彼はいつも他の人のことを考えていた。全然、変わってない」
勇希はそう思うと、かすかに微笑んでみせる。そして意を決したようにしっかりうなずくと、つくもから例の鍵を受け取った。
勇希は銅製の大きな扉についた鍵穴へとその鍵を差し込んだ。扉はその鍵をまるで生きてでもいるかのように飲み込むと書庫の中が青く輝く光につつまれていく。扉がゆっくりときしんだ音を立てながら独りでに閉じていく。
カミンの藍色の瞳の中には勇希の顔が映っていた。かつて偉大と謳われた戦士と皇女は互いに瞳を逸らすことなく見つめ合っている。
残る四人の戦士達はただ静かに二人を見守っていた。カミンと勇希の痛みを自分達の心にも感じながら。
扉が完全に閉じようという時、勇希のセピア色の瞳はカミンの唇がそっと動くのに気付く。
「必ず、また、君を探しに行くよ」
聞こえないはずのカミンの優しい声が勇希の心の奥でこだましていた。
***
扉が完全に閉まったかと思うと、書庫はまるでもともとそこには存在しなかったかのように消えうせていた。いや、消えていたのは扉だけではない。灯台の地下自体がそっくり消えてなくなっていたのである。
勇希と四人の仲間たちはいつの間にかどこまでも広がる海に向かって立つあの灯台の外にいることに気が付いた。今、西へ沈みかかった太陽の光が水の上に反射して金色のカーペットのような幻影を創り出している。
勇希の左眼から一筋の涙が流れ落ちた。
「もう、カミンを感じられない」
勇希は誰にともなくつぶやいた。
「カミンが…いなく、なっちゃった…」
そう言葉にするとたまらなく寂しくて、抑えていた何かが溢れ出すように涙が次から次へとこぼれては勇希の薔薇色の頬を濡らしていく。
「勇希…」
敬介がそっと声をかける。
勇希が振り向くと、紅劉国の四人の戦士たち–今はかけがえのない友たち−が、心配そうに勇希を見て立ち尽くしている。
「カミンが…逝っちゃった」
勇希は悲しみに顔を歪めると敬介の胸に顔をうずめていつまでも泣きじゃくった。
しばらくして、勇希がハンカチを取り出すと、その拍子に何かがはらりとポケットから落ちたが、勇希はそれに気付かない。
それはとても小さな白い紙切れだった。勇希の足元に落ちたその紙をそっと優しい風が夕日で紅く染まった空へと吹き上げる。
それはまるで小さなモンシロチョウのようにしばらく空中を漂った後、蒼い海の中へと落ちていった。その紙は海水に濡れ、印刷された赤いインクが鮮やかな血のようにコバルトブルーの海にそっと滲んでいく。
「彼の存在を導く星となるでしょう」
フォーチュン・クッキーのメッセージが潮の流れに揺らぎながら冷たい底なしの大海の底に静かに眠るように沈んでいった。