第十三章:最後の戦い
カミンとつくも、敬介、そして真津子と満は勇希の気を探りながら、それぞれ複雑に入り組んだ地下空洞を進んでいた。地下空洞のなかは不気味なほど静かで、壁にしつらえられた松明が時折かすかな風に揺らめいて、五人を音もなく静かに威嚇しているようにさえ見える。
皆、無言でもくもくと、まだ見えない敵へと向かって進んでいた。それぞれの胸にはいろんな感情が渦巻いていたが、皆に共通することはただ一つ。勇希を護るということ。ただその為だけに五人は今、全ての迷いを捨てて再びその力を合わせようとしていた。どれだけ歩いたのだろうか。
どこまでも果てしなく続くのではないかと思い始めたその時、目の前に蒼白い光が見えてきた。長い間暗闇を歩いてきた五人は眩しそうにその目を細める。
「遅かったな。待ちくたびれたぞ」
蒼白い光の中からハスキーボイスが聞こえてきた。
目の前に薄蒼色に揺らめく炎が灯った無数の燭台が見える。その中央には石造りの祭壇のようなものがあり、一人の長身の男がそのすぐ脇に立っていた。
男の切れ長の瞳が側の燭代の光を受けて妖しく輝いている。瞬きをするたびに、きれいな長い睫が男の端整な顔に影を作った。
そのうるんだ亜麻色の瞳はこの世のものとは思えないほど美しく、その顔には性別を超えた不思議な色気さえ漂っていた。
肩から腰にかけて流れる髪は金色に輝き、地下空洞にただよう冷たい空気の揺らぎにあわせて静かに、まるで小川が流れているかのように柔らかに揺れている。
その体は野生の獣よろしく筋肉がバランスよくついており、かと言って、マッチョマンのような筋肉隆々でもない。
男の体には無駄というところが見当たらない。まるで完璧と言わんばかりのその肢体は若い女性向けのファッション専門雑誌の折込広告に載っている美容整形外科の写真のモデルに見られるような、どこか不自然なオーラが漂っていた。
「おっ、おっ・・・」
つくもの横で敬介が奇妙な声を出す。
「ちょっと、敬介、変な声出さないでよ」
つくもが腰の剣に手をかけながら横目で敬介を睨んだ。
「お前は・・・」
敬介の緊張した声にそれまで涼しげな顔をしていた男の顔が少し強張っている。
敬介はごくん、と一度つばを飲み込むと、「誰だっけ?」と急に間の抜けたような声で続けた。
この真剣な事態に全く緊張感のない敬介の発言に皆の闘志が一気に削がれる。
「あっ、あんたねえ、こんな時にもうちょっとまともなことは言えないの?」
つくもが剣を持っていない右手で頭を抱えた。
「あはは、だって、俺、仲間以外のことは今でもぜんっぜん思い出せないんだもん」
敬介は悪びれもせずにへらへら笑っている。
「まったく」
真津子も今更ながら敬介の能天気さにため息をついた。
「あれが、ダコスだ」
いつも一人だけ敬介のぼけに動じない満が真面目な顔で答える。
「それに・・・勇希も」
静かな、だがその奥に怒りを秘めたカミンの一言に一同ははっとなって敵のほうを見た。
先程はダコスのあまりにも世俗離れした容姿に気を取られて気付かなかったが、祭壇の上に人らしきものが寝かされている。目を凝らしてよく見ると、それは皆が良く知っている紅劉国の皇女だった。
彼女の長い栗色の髪は燭代の光を浴びて金色に輝いている。その目は堅く閉じられ、いつも薔薇色に染まっている勇希の頬は白くこころなしかやつれていて、蒼白い燭台の炎の揺らめきのせいでまるで生気が感じられなかった。
「まさか・・・」
真津子が何か言いかけてやめる。
「勇希に何をした?」
代わりにカミンが尋ねた。
満はカミンが勇希と別の人間としてそこにいるのに不信を感じたが、そんなことを問うている時間はない。とにかくここは勇希の救出、それだけに集中しろ、そう、自分に言い聞かせる。
ダコスはにやりと男性にしては赤い唇を歪ませる。
「何って、お前は知っているだろう、カミン。お前に取り付かれていたようだったのでね。除霊したんだよ。我が儀式の最中にお前が出てきては困るからね。だが、肝心な鍵を持っているはずのラナがなかなか来なくてね。待っていた、と言うわけだ。だが、驚いたよ。お前の魂はルシファーの体の中に封印したはず。どうやって出てきたのだ?いや、どうやってルシファーの体を乗っ取った、と聞いたほうが適切か」
ダコスはカミンの藍色の瞳を真直ぐに見下ろしながら妙に穏やかな声でそう言った。
「ルシファーの体を?」
満が驚いてカミンを見る。髪の色もその顔も、カミンのものだったので気が付かなかったのだが、確かによく見ると、その体はカミンのものにしてはひどく痩せてたよりなかった。そのわき腹あたりには、布切れのようなものが巻いてあり、赤黒い染みになっている。
「カミン、あなた、怪我、してるの?」
真津子も満と同じことに気が付いたらしかった。
「たいしたことはない」
そう、カミンは顔を一時もダコスから離さず答えたが、その顔色は血の気が引いて真っ青で、今にも貧血で倒れそうに見える。だが、体の状態とは裏腹に、カミンの瞳は精気で満ち溢れ、ダコスへの怒りで燃えていた。
「儀式は、この鍵がないと始まらない、そう言うことね?」
つくもが自分の首にさげた鍵を見せる。その言葉にダコスは綺麗な切れ長の目を細めた。
「そう、それだ。さすがはセラ。我が腹心よ。さあ、それをこちらに・・・」
「嫌よ」
鍵を求めて近づいてきたダコスの言葉を遮ると、つくもは鍵をすっと自分の胸元へしまい込んでその身の丈ほどもある剣を構えた。
「まさか、今更我を裏切る、というのではあるまいな?」
ダコスが少しだけ顔色を変えて、困ったような顔をする。
「その、まさかよ。はあっ!」
つくもは言い終わるが早いか、そのままの姿勢でダコスめがけて突っ込んでいく。それが合図とばかり、他の四人も体制を整えるとダコスに対して攻撃を始めた。
だが、ダコスのほうが五人よりも上手である。なかなかダコスの防御壁を破ることができない。
「ちっくしょう、なんとかならないのか!?」
敬介が歯軋りする。
「強すぎる、このままじゃ・・・」
自分の攻撃を涼しげにすり抜けていくダコスにつくもも苛立ちを感じていた。
「なにか、方法を・・・」
そう真津子が言いかけたとき、どこからか誰かの囁く声が聞こえてきた。
『みんな、よく聞いてくれ』
それは紛れもないカミンの声だった。カミンの声は耳から聞こえたものではなく、皆の頭の中に直接響いていた。カミンが注意深く、ダコスを倒す計画を皆に指示する。その指示を聞き終えた途端、皆の動きが一瞬だけ止まった。
『躊躇するな、これしか方法はない』
皆の心を読み取ったカミンの声が頭の中に力強く響く。
「いくぞ!」
カミンの一声が皆の心を一つにする。
満は全身の力を込めて強風をダコスへ向けて煽る。すさまじい風に燭代は倒れ、その蒼白い炎が地下空洞のあちこちへと飛び火した。ダコスの注意が満に向く。その合間にカミンの気弾と敬介の電光がダコスを絶え間なく襲った。真津子はその一瞬の隙に勇希が寝かされている祭壇にテレポートすると勇希と一緒に安全な範囲にまで移動して自分の周りにできるだけ強力な結界を張った。
勇希が無事救出されたのを見届けたカミンは真津子たちのほうに向かって動いたダコスへと最後の力を振り絞ってその青い気弾を投げつけた。
「ぐっ」
初めてダコスの口から苦しそうなうめきが漏れる。
「貴様―!!」
今やダコスの綺麗な瞳は真っ赤に血走り、鬼のような形相でカミンを睨みつけた。
その時、真津子がカミンの計画どおり、辺りに飛び火した炎を気で操るとダコスの周囲はあっと言う真に火の海で覆われた。満の操る風がその炎をさらに煽っていく。
「ぐおっ!」
真っ赤に燃え盛る炎の中でダコスは身動きが取れず身悶えた。
カミンがダコスへ向かって走る。はっとダコスが顔をあげるのと同時にカミンの青い気弾が輝いた。同時に、敬介の電光がカミンの体に直撃する。
「貴様、まさか・・・!」
ダコスがカミンの計画に気付いてその手を上げたその時、つくもの剣がその胸に深々と突き刺さった。
ダコスはその端整な顔に初めて驚愕の色を浮かべる。恐怖に見開かれたその亜麻色の瞳が捕えたのはルシファーの遺体を通したものではなく、その囚われていた体から解き放たれたカミン自信の魂だった。
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ふいに意識を取り戻した勇希は目の前の光景に自分の目を疑った。それは一瞬のことに過ぎなかったが、勇希にはまるでスローモーションのフイルムを見ているように感じられた。
きれいな紺碧の髪が揺れている。均整のとれたその体に纏うそれは今では見ることのない昔の戦士のものだった。そして、勇希が愛する藍色に輝く一対の瞳。その瞳の持ち主の体は眩いばかりの青い光に包まれていた。
「きれい・・・」
勇希は無意識に呟く。
その瞬間、光に包まれた青年はダコスの体内へと消えていった。
「!!」
あまりの突然のことに勇希は何が起こったのかわからず、ただ息を呑んだ。
カミンの青い光がダコスの体の中へと消えていく。それと同時に、ダコスの周りに狂うように這っていた炎も消えてしまった。
ふっと、ダコスが含み笑いを浮かべる。
「何をするかと思えば、こんなものか・・・」
ダコスはさも可笑しいと言わんばかりに声を立てて笑った。
「まさか、失敗・・・?」
つくもが一瞬たじろいだその時、「ぐっ。なっ、バカな・・・」急にダコスが苦しそうな声をあげた。
ダコスの顔がみるみる恐怖に歪んでいく。
「やっ、やめろ!我はもうあのような場所には戻らない!離せ、カミン!離せ−!!!」
ダコスがそう、大声で叫んだかと思うと突然その体がふたたびあの青い光に包まれていく。その光は次第に大きく眩しさを増していく。
「カミン!!」
勇希の悲鳴が地下空洞の中にこだまして、カミンの青い光がそこにある全てを飲み込んでいった。