第十一章:敵の本拠地へ
梗平から聞いたその病院は、診療所がある森のさらに奥深いところにあった。病院というわりにはこじんまりとした平屋建てで壁には蔦のようなものが這っている。灯りはひとつも点いておらず、柔らかな月の光にかすかに照らし出されたその建物はまるでお化け屋敷かなにかのようだ。
「マジでこんなところが病院なのか?」
敬介はかすれた声で呟いた。
「さあ、本当の病院じゃないでしょうね」
真津子が妙に落ち着いた声で答える。
「じゃあ・・・」
「おそらく、敵の罠だろう」
敬介が次の言葉を発する前に満がやはり落ち着いた低い声で答える。
「げっ。敵の罠って、まさかそれを最初からわかってたって言うんじゃあ・・・」
「当たり前だ」
今ごろ気付いたのか、と満は少しあきれたようにちらっと横目で敬介を見る。
さっきの元気はどこへ行ってしまったのか、敬介はなさけない顔をして深いため息をついた。
「どうした?」
満はじっと辺りの様子を伺いながら小声で聞く。
「どうしたって・・・。まさか、出たりしないだろうなあ?」
今にも泣き出しそうな敬介の声で満は気がつく。敬介は『お化け』が苦手なのだと。
「そんなに怖がらなくってもあたしがついてるから大丈夫だよ」
敬介のすぐ側にいたつくもが頼もしい声でそっと囁いた。
「な、誰が怖がって・・・ふが、ふが・・・」
本当のところをずばりつかれて顔を真っ赤にした敬介が思わず大声をあげそうになったので真津子が素早く敬介の口に手を押し当てた。
「しっ。静かになさい。敵に気付かれるじゃないの」
小声でたしなめられると何も言えずに敬介は目で横にいたつくもを睨み付けたが、この暗闇ではほとんど効果はない。つくもはそしらぬふりをしていた。
「行くぞ」
満の一声でそっと建物の脇にあった関係者用のドアから一行は建物の中へと忍び込んだ。
***
建物の中は外よりも更に真っ暗でほとんど何も見えない。しばらく目が暗闇になれるのを待っていると、どうやら受付らしい部屋にいることに気付いた。
「こ、ここは・・・」
真津子が小さく驚きの声をあげる。その声に反応したかのように満も辺りを見回して絶句した。
「何?どうしたの?」
状況が把握できないつくもが小声で聞いてくる。
四人が忍び込んだその場所を真津子と満はよく知っていた。そこは・・・。
「ここは流クリニックの受け付けじゃないか」
満が低い声でうなるように呟く。
暗闇に馴れた目に飛び込んできたその風景は紛れもなく、真津子と満が寝起きし、仕事場にしている流クリニックだった。
「なんですって?」
つくもは思わず聞き返す。だが、その問いに答える暇はなかった。
突然、大きな爆発音のようなものが建物の奥から聞こえてきたのだ。四人は咄嗟に走り出していた。
勇希が危ない。直感的にそう感じたのだ。早く、早く駆けつけなければ、そう焦れば焦るほど、足がもつれて思うように進まなかった。
外から見た時は自分たちが今寝泊りしている診療所よりも更に小さく見えたはずなのに、暗く長い廊下はいっこうに途切れる気配がない。いったいどこまで続いているんだ、そう敬介が苛立ち始めたとき、前方にドアのようなものが見えてきた。
半分ほど開いたドアの隙間から時折、薄暗い蛍光灯の光が漏れていた。どうやら電球が切れる寸前らしく、その青白い光はちかちかとせわしなく瞬きをしている。中ですっと人影のようなものが動いたように見えた。
「あそこか!」
さきほどお化けを怖がっていた人間とは別人のように息巻いた敬介が、勢い良くそのドアを押し開けた。
「!!」
そこには確かに勇希がいた。勇希は気を失っているのか狭い病院のベッドの上で固く目を閉じている。そのベッドの周りには人影が二つ。
一人はあの中華屋で襲ってきたルシファーで相変わらず青白い顔で勇希を見下ろしていた。もう一人は後ろを向いているのですぐには誰なのかわからない。
だが、その背中には見覚えがあった。こちらに背を向けて立っていたその影がゆっくりと敬介たちのほうを振り向く。
「梗・・・平?」
敬介が困惑した声で呟いた。
背の低い小柄な人影は診療所に残してきたと思っていた梗平だった。
「梗平、てめえ、こんなところで何してやがるんだ?」
敬介がいつでも飛びかかれるように体制を整えながら怒りに燃えた声で叫んだ。
まさか梗平が俺たちをだましていたなんて。真津子が始めて梗平に会った時、すんなり仲間に入れることを危惧していたのはこのことだったのか。いとも簡単に騙されてしまった自分の甘さに敬介は腹がたった。
そんな敬介をつくもは冷静に見つめながら自分も腰にさげていた剣のつかに手を伸ばす。
「おやおや、どうしたのさ、そんな怖い顔して」
対して梗平はしれっとして涼しい声で答えた。
「勇希に何をした?一体お前たちは何を企んでいるんだ!」
敬介は今にも掴みかからんばかりに叫ぶ。その顔は怒りで真っ赤になっていたが、ふと梗平の雰囲気がいつもと違うことに気が付く。
「お前、その瞳・・・」
敬介が動揺した声を出す。
「言うなっ!」
今度は梗平のほうがムキになる番だった。
「何をもたもたしている?」
そこに新しい声が加わった。いつの間にかルシファーの後ろにぽっかりと大きな穴が開いていて、そこから一人の長身の男が入ってきた。
その男の姿を見ると真津子は驚きにその紫の瞳を見開いた。
「父さん?!」
その長身の男は紛れもない真津子の父親で満の上司、流眞その人だった。
「流さん・・・いったい、一体これはどういうことなんですか?!」
満も予期していなかった上司の登場に困惑した様子で尋ねる。
「加瀬君か・・・君にはクリニックのことを任せていたが、他のことにも口出ししてよいとは言っていないぞ」
眞はいつもの静かな口調で答える。
「こ、こんなところで何してるの?」
真津子もショックを隠しきれない様子で口篭もりながら目の前にいる父に問い掛けた。
「悪いが、真津子、今お前達にかまっている暇はない。梗平、いや、ラナ、こいつらの始末はお前にまかせた。ルシファー、行くぞ。ダコス様が待っておられる。」
そう言うと、眞はさっと踵を返して背後の穴の中へ消えていく。
それを追うように、ルシファーも勇希をベッドから抱きあげると暗闇の中へと音もなく消えていった。
「あっ、父さん!待って!」
我に返った真津子が少し間を置いて父が消えた穴へと走りよる。
「真津子、待て、俺も行く」
満はそう言うと真津子を追って穴の中へと消えていった。
残った敬介とつくもも跡を追おうとしたが、その前に梗平が立ちはだかった。
「梗平、てめえ、どきやがれ!」
敬介が毒づく。
「そう言わないで、僕と遊んでくれよ」
いつもの甘ったれたような声でそう言うと、梗平はにやりと唇の端を歪めて微笑んだ。
梗平の瞳は今や敬介たちが知っている褪めた青色ではなかった。へびのような細い瞳孔が黄色い瞳の中でせわしなくその形を変えている。お化けの次に爬虫類が苦手な敬介は無意識のうちに後ずさりしていた。
「ラナ、お願いだからここを通して」
つくもが始めて口をきく。
梗平、いやラナと呼ばれる男の黄色い瞳がつくもを睨むと嫌味の含んだ声でののしった。
「おや、セラじゃないか?この後に及んでまだ芝居を売っているのか?お前も僕達の仲間のくせに」
「な、に?」
ラナの言葉に敬介がたじろぐ。
そんな敬介をさも面白そうに眺めると、ラナはもったいぶったように説明する。
「そうさ、こいつはセラ。ああ、昔はクルツとも呼ばれていたっけ?僕達ダコス様の間では有名な裏切り者さ。」