第十章:奇葎梗平
その頃、梗平はある目的のために一人、黙々と計画を実行する準備を整えていた。ルシファーの襲撃の時、梗平は初めて伝説の五大戦士の一人であるカミンの姿を見た。その姿を見た途端、体中に今まで感じたことのないような戦慄が走った。
ダコスから聞いてはいたものの、梗平にはただの逸話に出てくる人間にしかすぎなかったカミンが本当に存在し、しかも普通の人間としてではなく、精神体として存在していたことは大変なショックだった。もちろん、自分が仕えている師の言葉を疑っていたわけではない。ただ、梗平は輪廻転生とか、魂といったことをなんだか胡散臭く感じていた。全ての生きているモノはその一生を終えると無に帰る、それが梗平の考えだった。
真津子たち他の四人は確かに普通の人とは違う能力を兼ね備えている。そして、真剣に自分達は昔の英雄の生まれ変わりだと信じて疑わなかった。だが、それがなんの証拠となるというのだ。自分達が信じている前世が本当に自分達のものだと、どうして言える?
梗平は自分の部屋の粗末な洗面台にしつらえられている薄汚れた鏡を見た。そっと梗平が目元に手を当てて何かをはずす。曇った鏡の中、奇妙な光を放つ、爬虫類を思わせるような薄気味悪い黄色い瞳が梗平を見つめていた。
****
梗平は普通の人間の、普通の子供として生まれた。もちろん前世の記憶など持ち合わせてもいないし、特別な能力を持っていたわけでもない。ごくごく、平凡な子供のハズだった。その、風変わりな容姿を除いては。
梗平が生まれたのは小さな片田舎で、人口も三千人という、今や過疎化がひどく進んできている農村だった。家は貧しく、両親は自分達の田畑を持っていなかったので、近隣の農家のうちを手伝って毎日の生活を凌いでいた。梗平には兄一人と妹二人がいたが、誰一人、梗平のような瞳を持って生まれた者はいなかった。
梗平が生まれた時、親類の者は皆、口をそろえて生まれたのは悪魔だと言って梗平を捨てるよう、まだ若かった夫婦に言ったそうである。このままでは一家にたたりが来ると。
梗平の両親はすぐにはその助言を聞き入れようとはしなかった。何せ貧乏な家である。いずれ働き手になる男の子は多いに越したことはなかったのだ。いくらなんでも今の世の中、そうそうたたりなどあるはずがない。大切に育てれば、きっと親の気持ちに報いてくれる時がくる。
そう、考えたのだ。
実際、梗平はあまり手のかからない子供だった。物心つく頃にはよく三つ違いの兄の後ろをぱたぱたと短い足でついてまわっては、よく言うことを聞いて家の簡単な手伝いをするようになっていた。
ところが、数年後、双子の妹ができてから状況は少しずつ悪いほうへと変わっていった。梗平の奇妙な黄色の瞳は幼い赤ん坊を怖がらせ、子守りなどできる状態ではない。その年は日照りが続き凶作で梗平の村は一気に貧乏になっていった。不幸はそれだけではおさまらず、原因のわからない疫病まで流行る始末。梗平の親類縁者はもちろん、近隣に住む人々も次々と病に倒れ、そして死んでいった。
そうなると、必ずこれはたたりだなんだ、と騒ぎ出す者がいるもので、しばらく忘れられていた梗平の奇妙な瞳がまた問題にあがってきたのである。やはりあの子は悪魔の申し子だったのだ。早くなんとか手を打たないと、村全体が呪い殺されてしまう、と。
あの時の両親の顔は今でも梗平の脳裏に焼きついて離れない。恐怖と嫌悪の入り混じった、自分を見る、あの冷たい瞳を。
「命だけは助けてやる。だから家族には、この村には二度と近づくな」
それが、梗平が両親から聞いた最期の言葉だった。急に自分の目が熱く感じると眩しい光が差し込んで何も見えなくなってしまった。何が起こったのか、その後、自分の両親や家族がどうなったのか全く覚えていない。
気が付くと、梗平はダコスの屋敷にいた。何が起こったのか、どうして自分は今ここにいるのか、梗平の問いにダコスは何も答えてはくれない。ただ、抑えきれない寂しさに身を震わせていると、ダコスはどこからともなく現れて声もなく泣く梗平の頭を優しく撫でてくれた。
この人は、何も言わなくても自分のことをわかってくれる、そう梗平は思った。どうして自分を助けてくれたのか、なぜ何も聞こうとしないのかわからない。だけど、自分はこの人の恩に報いよう。たとえそれが、馬鹿げた夢想の為であったとしても・・・。
****
次の日、勇希は一人で診療所の掃除をしていた。診療所と言っても名ばかりで、どちらかというと山の中のコテージというような小さなかわいい造りの家である。もともとは真津子の父、眞の別荘で、見た目は小さいが、中は5LDKでこざっぱりとした家具で纏められていた。
真津子と満は流クリニックのほうに他の子供達の様子を見に朝から出払っていた。敬介は勇希の顔を見るなりやぼ用を思い出したとか言ってやはりバイクでどこかへ行ってしまった。
みんなが自分を避けていることは勇希にも容易に理解できた。きっとカミンのことである。昨夜、真津子たちはカミンと話ができた、と言っていたが今はそれぞれ自分の考えを整理しなければならないから、何を話したかは教えられないと言う。きっと勇希には言いにくいことなのだろう。勇希はなんとなくそんな予感がしていた。だからこそ、あんなに躊躇っていたのだ。
「ま、考えていても仕方ないか」
勇希は手持ち無沙汰だったので、掃除でもすることにしたのである。
どのくらいたっただろうか、勇希がリビングに掃除機をかけていると裏の林に面した大きなガラスのドアをコンコンと叩く音がした。ふと顔をあげると外のテラスに梗平が立っている。
「あら?梗平君じゃない」
掃除機のスイッチを止めるとドアのほうへと向かう。背後でつくもが眠そうに目をこすりながら寝室から出てきたことに、勇希は気付いていなかった。
勇希がガラスの引き戸を開けると眩しい陽の光が差し込んで勇希は思わず目を細めた。
「やあ。何してるの?」
梗平は相変わらず人なつこい笑顔で勇希を見上げた。
「暇だったから掃除してたの。梗平君こそどうしたの?」
勇希は数日前から梗平の姿がなかったので流クリニックのほうに帰ったと思っていたのだ。
「う〜ん、クリニックのほうに帰ってたんだけどね、退屈しちゃってさ。他のみんなは?」
「みんな出払ってるのよ。つくもはまだ、寝てるみたいだけど・・・。ここまで一人で来たの?ここには車じゃないとこれないんじゃ・・・」
勇希がふと不思議に思って聞くと急に梗平はあわてたようにその言葉を遮った。
「あのさ、勇希ちゃんに見せたいものがあるんだよね。ちょっとすぐそこなんだ。一緒に来てよ」
平静を装う梗平の瞳が勇希の背後に突っ立っていたつくもに止まる。その瞳は人なつこい笑顔とは対象的に凍て付くような冷たい光を帯びていた。
「そんな急に言われても・・・」
戸惑う勇希の言葉など気にせず梗平は勇希の腕を無理やりひっぱると外に連れ出した。
「はあ。もうちっとうまく連れ出せないのかしらね」
つくもは二人が林の中に消えていくのを見届けると引き戸を閉めて鍵をかけた。
****
「なんですって?」
いつも冷静な真津子が素っ頓狂な声をあげる。
思っていたよりも事務の仕事に時間がかかってしまい、二人が診療所に戻ってきたのはその日の夜遅くだった。帰ってきてみると、いつの間にかいなくなっていた梗平がつくもとリビングでなにやら話している。その後ろの長椅子には、いらついた様子の敬介がしきりに貧乏ゆすりをしながら顔を両腕の中にうずめて座っていた。
真津子たちに気付くといつになく心配そうな顔のつくもが事情を説明する。つくもの話では、今朝梗平が突然来て裏の林にある湖を見せようと勇希を連れ出したと言う。その時、急に勇希が他の人格に変わったというのだ。
それがカミンであることは皆知っていたが、詳しい事情を知らない梗平は勇希が精神分裂症にでもなったと思い込み、近くの病院に運び込んだ。そして、今はその病院の監視下にあるので勇希はこの診療所に戻れない、と言うのだ。
「なんてこと、してくれたの」
真津子はあまりの怒りに眩暈を感じてその場に座り込んだ。
「お前は一体どうしてここにいるんだ」
一部始終を無言で聞いていた満は真津子をそばの椅子まで連れて行くと、それまで渦巻いていた質問を梗平に浴びせた。
梗平は一瞬はっとして満の灰色の瞳を見つめる。この男に下手な嘘は通じない、そう直感した梗平は言葉に詰まってたじろいだ。
「そ、それよりも、今は勇希を連れ戻すことのほうが先決なんじゃないの?」
つくもがまるで助け舟を出すように提案する。
「でも、どうやって?医者を説得するには時間がかかりすぎるわ」
職業柄、精神科医をよく知っている真津子は絶望の声をあげる。
「忍び込むしか、ないだろ」
それまで黙っていた敬介が搾り出すような声で呟いた。
「忍び込む?」
真津子は思わず鸚鵡返しの返事をする。
「ああ。今夜、病院に忍び込んで勇希を連れ戻す。それしか方法はない」
「だが、相手は病院だ。夜中に忍び込んだとしても夜勤の者が多くいるのではないか?」
満は冷静に答える。
「多少、てこずるかもしれないが、このままじっと待つ、というわけにはいかないだろう?」
敬介は今にも飛び出さんとばかりにまくし立てた。
「僕も、その意見に賛成です。僕の勘違いでこんなことになっちゃって。僕がなんとか連れてかえります」
梗平は愁傷な顔でそう言ったが、満は首を横に振る。
「いや、お前はここに残れ。勇希救出には俺達だけで行く」
満の言葉に他の三人も頷いた。




