第八章:つくもの秘密(1)
診療所にある一番奥の一室は今、勇希の部屋として使われていた。あの中華料理店での一件のあと、真津子が警察に通報し、一連の事情徴収を終えると満が運転する4x4でこの診療所に帰ってきたのだ。
幸か不幸か真津子の父親が地元の警察署長と友達だったお陰で、あまりしつこく事情を聞かれることなく、家に帰ることを許されたのである。もし署長が真津子や流クリニックの事情を事前に知っていなければ、こう簡単に真津子たちの証言を信じてあっさり家に帰すようなことはしなかっただろう。
おそらく、流クリニックに集まった子供達が時折起こす科学的に説明できないような事件を今まで何度も目の当たりにしてきたせいだろう。少しお腹のあたりがたるんできている中年の署長は、ウェイターが素人目に見ても死後だいぶ経っているということにあまり驚いてはいなかった。
もちろん、真津子たちが全て本当のことを話したわけではない。いくらなんでも自分達が古代史として知られている五大戦士の生まれ変わりでかつての敵であるダコスが自分達を亡き者にしようと刺客を送っている、なんていう話を信じてもらえるとは思えなかったからだ。そんな話をしたが最後、気が狂っていると思われて精神病院に入れられてしまうだろう。
死亡推定時刻からして真津子たちが殺害したのではないということは分かってもらえたようだが、とにかく今は検死の結果が出るまで自宅待機、という条件で皆釈放されたのだ。
その後、診療所に戻ると勇希は他の仲間と同じく自分の使っている部屋でしばらく考え事をしていたのだ。しばらくすると勇希はふと一枚の小さな紙切れを胸ポケットから取り出した。それは数時間前に中華屋で勇希が選んだあのフォーチュン・クッキーの中に入っていたものだった。勇希は目を閉じるとカミンの優しい藍色の瞳を思い浮かべる。
「カミン…」
勇希はそっと呟いた。今日、自分がずっと夢に見てきたあの男性が紅劉国でかつて五大戦士の一人と呼ばれていたカミン・タイラーだということを勇希は知った。そして、そのひとが自分自身であるということも。
いや、それは少し違う。カミンと勇希は同じ体を共有していただけで、同じ魂を共有していたわけではないからだ。勇希が危険に遭遇した時、その時だけ、カミンの魂が彼女を救うために表に出るらしい、それが皆の意見だった。
真津子や他のみんなはカミンと話がしたいと願っていた。だが、それには、真津子が勇希を眠らせて彼女の無意識の部分からカミンを引っ張り出してこなければならない。なぜなら勇希が表に出ている間、カミンが皆と話すことはないからである。
真津子はもちろん勇希に無理強いしようとはしなかった。それが彼女のポリシーだから。だが、皆がカミンと話すことができなければ、ダコスを倒す方法は見つからないかもしれない、と真津子は説明した。
カミンの魂がなぜ、勇希の体に封じられているのか、誰にもわからなかった。そんなことが実際に可能なのか?あれは自分たちがカミンに会いたいがために造り出した幻覚ではなかったのか?いや、幻覚であれば四人全員が同じものを見るはずはない。
科学的に立証できるできないに係らず、自分達が見たことは確かな事実であり、今自分達がおかれている状況を知る限り、不可能なことは何もないと考えるのが当然である。
では考えられる可能性としてはダコスが倒される前にカミンになんらかの呪術をかけたのではないか、もしその時の状況をカミン本人に確認できれば、何か打開策が見つかるやもしれない、というのが皆の意見であった。勇希もカミンと話がしたい、そう思う気持ちは他の皆と同じだった。真津子なら、その方法を見つけてくれるかもしれない。そうすれば万事うまくいくに違いなかった。
「それなら、この胸騒ぎは一体何?真津子や他のみんながカミンと話すことに不安を感じるなんて」
勇希は自分に問い掛けたがその答えは見つからない。
ただ混沌とした闇の渦が自分の心の中に渦巻いてどうしようもないやるせない気持ちになるのを感じていた。
どうにかしてこの気を紛らわせなければ、闇の渦の中に引き込まれて二度と戻れない、そんな不安に駆り立てられた勇希はふとあの日記帳のことを思い出した。彼女は小窓の前に置かれた小さな机に近づくと、一番上の引き出しを開けてあの灯台で見つけた虹色に輝く日記帳を取り出した。
流クリニックに来てからというもの、勇希はほとんど毎日のようにこの日記帳を開いていた。
だが、あの日、自分の家で真っ赤な毛に覆われたキング・コングに襲われたあの日から、この日記帳はずっと何も見せてはくれなかった。何度どのページを開いてもただ真っ白なページがどこまでも続いているだけだった。それでも勇希は幾度となくこの日記帳に向き合った。いつか、何かを探し出せる、そう願って。今もまた、あのカミンの映像が突然飛び出して勇希に向かって微笑みかけてくれるのを願いながら日記帳を開いてみる。何枚かページをめくってみるが、やはり何もみつかりはしなかった。
「どうして、カミン?どうしてもう何も言ってくれないの?」
涙が勇希の瞳からこぼれ落ち、虹色に輝く日記帳の上に落ちていく。だが、その涙の雫は日記のページを濡らすことなく、それどころか紙の向こうにも世界があるかのようにすっと消えていった。勇希は不思議に思い、そのページに触れようとした時、誰かが部屋のドアをノックする音がした。
「はい?」
勇希は急いで涙に濡れた頬をふくと返事をする。
「あ〜、勇希、あたしだよ、つくも。入ってもいいかな?」
いつもより謙虚なつくもの声がドアの外から聞こえる。勇希はそんなつくもの声を聞いたことがなかった。
「ええ、どうぞ」
勇希はそう言いながら先ほどまで持っていたあのフォーチュン・クッキーの紙切れを日記帳の間に挟むと引き出しの中へ閉まって鍵をかけた。なぜだか勇希はその紙に書かれている文字を他の人に見られたくなかったのだ。
勇希がドアを開けると、そこにはクッキーの箱と2リットル入りコーラのペットボトルを抱えたつくもがにっこりと疲れた笑みを浮かべていた。