第七章:フォーチュン・クッキー(2)
「お前、一体何者だ?」
敬介が男の異様な有様に今にも掴み掛からんと座っていた椅子から勢い良くたちあがったので、木でできた椅子は大きな音を立てて後ろにひっくり返っていた。つくもも足元に置いていた剣が入った袋にそっと手をのばし、いつでも応戦できるように体制を整える。
「私か?私の名前はルシファー。ダコス様の命で貴様らの愛しい姫を頂きに参ったのだ」
男は大げさに口をゆがめると奇妙な笑みをつくる。
「そう言われて俺たちが簡単にはい、そうですか、と言うとでも思っているのか?」
つくもは男言葉でそう言うと、ルシファーと名乗る男を睨み付けた。
「ふん、まさか。私としても、お前達が素直になってもらっては困るんだよ。なにしろ私はお前達を殺しに来たのだからね。楽しませてくれなくては、私が来たかいがない、というものだ」
ルシファーは妙にゆっくり話し終わると、やおら右手を掲げたのと黒い気弾が敬介たちに向かってきたのはほぼ同時だった。
「何を…!」
敬介が短い叫び声をあげる。
黒い気弾は見る間にいくつかの小さな矢の形に分かれるとつくもと敬介、満の三人に直撃した。
「つくも!敬介!満さん!」
後方に吹き飛ばされた三人のほうへ駆け寄ろうとした勇希は自分に向かって再度発せられた気弾をすんでのところで避けた。
「ふん、もう少し骨のあるやつらだと期待していたのだが…どうやら私の思い違いのようだな」
ルシファーは蛇のような目でにやりと笑うと一歩前へ歩を進める。
「さあて、それではお前達の姫君を頂いていくとしよう。それから喜んでお前達をあの世に送ってやる」
ルシファーの妙にゆっくり間延びした話し方に敬介は苛立ちを感じたが、先程の黒い気弾の威力は思いのほかすさまじく、体が思うように動かない。つくもも同じ気持ちのようでルシファーの青白い顔をものすごい殺気のこもった瞳でにらみ返しながら小さく舌打ちをした。
「貴様やダコスにナユルは渡さない」
真津子が勇希の前に立ちふさがろうとしたその時、どこからかおだやかな男の声が静かに、確信に満ちた声でそう答えた。真津子たちは一瞬自分の耳を疑った。なぜなら、その声はそこにいる誰かから発せられたものではなかったからだ。
その声は昔から知っている者の声のようにどこか懐かしく、皆そのたった一言を聞いただけでルシファーの圧倒的な力の前に萎えかけていた気持ちがみるみる勇気付けられていくのを感じていた。
「俺がいる限り、ナユルには指一本ふれさせはしない」
その男の声が今度はみなのすぐ側で聞こえた。真津子はゆっくりと声が聞こえてきたほうを向く。
「貴様は!」
梗平が驚愕にその褪めた青い瞳を皿のように見開いた。
二十歳そこそこに見える若い青年がたった今まで勇希がいた場所に立っていた。少し長めの紺碧の髪が体の周りに立ち上る青い気にゆっくりと揺れている。青年の大きな藍色の瞳はルシファーの細長い灰色の瞳をじっと凝視して離さなかった。
「カ…カミン?」
つくもがもごもごとその青年の名をつぶやいた。確かに今つくもたちの前にいるこの青年は勇希が灯台の地下で見つけた歴史書に載っていたカミン・タイラーだった。カミンが右手を目の前へかかげると青い気弾が彼の掌からほとばしった。
「ふん、驚いたな。まさか本当に五大戦士が集まるとは…。だが貴様の能力など効かん」
ルシファーの黒い気弾はカミンの青い光を真っ向から受け止めると、どんどん押しはじめた。カミンはその細い体とは似ても似つかないルシファーの強い気に対抗しようと必死で歯を食い縛る。
「カミン!」
敵がカミンに気を集中させているからだろう、途端にルシファーの気弾の影響から開放された敬介がかつての仲間の名を叫ぶとその手から出た電気の塊がルシファーの右腕を切り裂き真っ赤な血がその黒い袖に染みを作った。ルシファーはその痛みに少したじろいだ様子で、カミンへの攻撃が次第に弱まっていく。
状況を見ていたつくもは足元に転がっていた剣を取るとカミンへと投げた。カミンはつくもの剣を受け取るとカミンの青い気を帯びて光輝いた剣でルシファーの心臓部を貫いた。ルシファーの断末魔のような叫びが梗平の耳に響く。
「必ず…次は必ずお前たちを…殺す」
今はもう息絶え絶えになったルシファーは搾り出すような声でそう言うと、その口から黒い影が飛び出してやがて消えていく。それと同時に床に崩れ落ちた男の体はほんの数分前に勘定を持ってやってきた、例の中国人のウェイターのものだった。どうやらルシファーに体を乗っ取られていたらしかった。真津子はそっとウェイターの腕を取って脈を見たが、まるで随分前に生き絶えたかのようにその腕は冷たく、堅くなっていた。
敵の黒い影が消えた時、梗平の姿も見えなくなっていたのだが、誰も気がついてはいなかった。そこに残っていた四人は自分たちの目の前に立っている懐かしい友に気を取られていたからだ。
「カミン…お前、本当に?」
始めに口を開いたのは敬介だった。
カミンの藍色の瞳はかつての仲間を捕らえると優しく微笑んで見せた。
「怪我、してるじゃないか、早く手当てしたほうがいい。三人とも」
怪我を負った三人を労わってカミンが優しく答えたが誰も聞いてはいなかった。
「怪我なんかどうでもいいわ。こんなのかすり傷だし。それより、カミン、一体いままでどこに行ってたの?あなたのこと、みんなずっと探していたのに…」
矢継ぎ早に尋ねるつくもにカミンは何も答えない。つくも達の前に立っていたカミンのその姿は今、ゆっくりと勇希のそれへと変わっていく。
「カミン?!」
つくもは驚いて悲鳴に近い声をあげると今や勇希の腕を強くつかんで揺さぶった。
「な…痛いよ、つくも。一体何があったの?」
つくもに強く揺さぶられた勇希は驚いたように目を瞬かせる。そんな勇希のセピア色の瞳の中にカミンの影はどこにも見当たらなかった。