第二十一話 受付嬢のベル
「あ、あの! 少し宜しいですか!」
アヴァンが支部長に啖呵を切り、アーマゲドンのギルドを後にすると、後ろから若い女の声が届いた。
それにアヴァンが振り向くと、息を切らした見覚えのある女性の姿。
「君は確か……」
「あ、はい! 私受付嬢のベルです!」
やっぱり、とアヴァンが呟く。彼女はアヴァンが最初に声を掛けた受付嬢であり、支部長室に紅茶を運んできたのも彼女であった。
「それで、俺に何か用?」
カウンターにて、既に一度素で話しているので、アヴァンは特に気兼ねすることもなく、いつもの口調で語りかける。
「はい、実は、お話を聞いて欲しくて」
「お話? なんだろ? 一応言っておくけど、俺、君のいるギルドには所属しない事に決めたから」
グッと目に力を込めて訴えるベルであったが、念のためアヴァンは断りを入れておく。ここで勘違いされて依頼などを持ってこられていたとしても請け負うことは出来ないからだ。
「いえ、それは、私盗み聞きしてましたので知ってます!」
「盗み聞きしてたのかよ!」
つい素で突っ込んでしまうアヴァンである。とはいえ、中々とんでもないことを言い出す少女だ。
「あ、その、実は気になっていたことがあってつい……でも、だからこそ貴方にお話があったのです!」
「う~ん、つまり俺がアーマゲドンへの登録を断ったことに関係が?」
こくこくと頷くベル。その姿に参ったなと後頭部を擦る。
「俺、何を言われても登録は考えてなくてね」
「いえ、そうじゃありません。登録に関してはどうでもいいのです」
「あ、そう、ど、どうでもいいんだ」
自分から断っておいてなんだが、ここまではっきり言われると少しショックだ。
「そうではなくてですね、貴方は、ドラゴンダンスに所属しているのですよね?」
「いや、所属していただな。俺はもう――」
「そんなことはどうでもいいのです!」
「えええええぇえぇえええぇえ!?」
何だこの子は、とたじろぐアヴァンである。正直顔はかなり可愛らしいのに残念な気がしてならない。
「それよりも聞いてください! 大変なんです!」
「うん? 大変?」
だが、真剣な表情で訴えてくる彼女に、改めて真剣に聞く体勢に入るアヴァンだが。
「実は――」
その後語られた、ある依頼の真実にアヴァンはその目を大きく見開いた。
「なるほど……それでか。でも、どうしてそれを俺に?」
「は、はい、その、実はちょっと前からあの、クリスさんがギルドにきて仕事を譲ってもらっている事は知っていたのですが、あまりにギルド側の対応が酷くて、ヤキモキしていたんです」
どうやらアーマゲドンにもまともな子はいたんだな、と彼女をしげしげと眺めるアヴァンである。
すると彼女が照れたように頬を染めた。
「あ、あの! 私そんな安い女じゃありませんから!」
「え? あ、うん」
そしてそんなことを必死に訴える。やっぱりどこか変わった子だなとは思ったが、裏表はなさそうだ。
「でも、それを聞いたら流石に黙ってもいられないか。正直相手がそんなタイプならちょっとまずいしな」
「は、はい! ですから、どうか助けてほしいのです!」
「……ふむ、なるほどな。ところで一つ確認したいのだけど、それってあきらかにギルド側の責任だよな? しかも知っていてそれをしたなら相当質が悪い」
「は、はい。そう思います……ただ、判っていても他にそれを伝える人はいないと思います。やっぱり皆仕事は失いたくないだろうし」
「でも君は教えてくれた。いい子なんだねベルは」
フッ、と穏やかな笑みを零しアヴァンが言う。それに更に顔を紅くさせるベルだが。
「それじゃあ、その流れでもう一つ協力してほしいのだけど、いいかな?」
「え? 協力ですか?」
「そ、耳貸して」
「はい、ひゃん、くすぐったい」
妙な声を漏らすなとちょっと戸惑いつつも、アヴァンは彼女にあることを耳打ちする。
「え……でも、それをやると」
「――やっぱり厳しいかな? そうだよな……それをやると君の立場も――」
「いえ! それなら私のお願いも聞いて頂けるなら、や、やります!」
そしてアヴァンはベルからその条件を聞くが。
「……本気か?」
「はい! ダメ、ですか?」
「う~ん、何とも言えないが、いや、判った。こうなったら乗りかかった船だ。なんとかしてみるよ」
「ありがとうございます!」
そしてアヴァンはベルと別れ、彼女がギルドに戻ったのを認めた後、町を出て疾駆した。
そう、クリス達が向かったと思われるガオの山へ――
◇◆◇
「くっ、ホワイティ様、もうしわけありません。まさか、こんな――」
クリスが謝罪の言葉を述べるが、ホワイティはそれには答えなかった。
しかし、かといって別に怒っているからというわけではない。彼女は今必死に杖を両手で握りしめながら、聖詠を唱え続けている。
聖詠魔法――それがドラゴンダンスのギルドマスターたるホワイティが得意としている魔法だ。
聖なる力を言霊にのせ唱えることでその効果を発動する。
そして――クリスとホワイティを囲むように複雑怪奇な文字が飛び交い、回転を続けている。文字は一つ一つが神々しい輝きを放っており、その文字の壁が目の前で豪腕を振り下ろし続ける異形の攻撃を防ぎ続けていた。
守護のアンティフォン――それがホワイティの行使している魔法。聖詠を続けている間、この聖なる文字の障壁が悪意ある攻撃から身を守り続ける。
だが、この魔法は行使している間、終始魔力は減り続ける。精神的負担も大きくなにより聖詠の為に意識を集中させ続けなければいけない。
故に、クリスにも返事ができない状態が続いている。
一方――聖文字の障壁に向けて拳を振るい続ける存在。
それはクリスがアーマゲドンより請け負った討伐依頼の相手、オーガ。その外見的肉体構造は人間に近く、だが、体格を見れば遥かに人間より上の存在。
上背一つとってもクリスの三倍以上は優にある。腕の太さもクリスの肩幅よりも遥かに太い。しかもその体色は青色だ。
そう、青色だったのである。これが普通のオーガであれば体色は緑色。
そしてクリスがホワイティと共にこの山の麓の森に入った時、確かにそこでうろついていたのは一体の緑色のオーガであった。
しかもその時オーガはふたりの存在に気づいておらず、その隙を付く形でクリスが魔法を行使し、オーガはあっさりと倒すことが出来た。
だが、討伐証明としても素材としても必要となる魔核を回収しに近づいた時――これが現れた。
そう青色の肌を有すオーガ、普通ではありない見た目をした特殊個体――
こういったユニークは魔物の中では突然変異とも称される存在でもあり、通常種とは異なる能力を持ち、更に全体的な能力も通常種よりはるかに勝ることが殆どだ。
そしてこういったユニークとされる魔物は当然危険度も高く、一般的に通常種より討伐ランクは二ランクほど上昇する。
つまり単体でC級推奨とされるオーガの場合、ユニークであればA級推奨、いや下手したらA級必須にまで難易度が向上する可能性がある。
そんな相手と遭遇してしまった。しかもこのユニークオーガは仲間のオーガを敢えて見捨てて囮に使っていた可能性すらある。
実はオーガという魔物は徘徊型に位置づけされ、討伐依頼が出たのもそういった背景があってのことだが、それ故か仲間意識はそこまで高くはない。
ましてや特殊個体であればただでさえ通常種よりも身体能力が高く、その為一応は同種にあたるとはいえ、他のオーガを犠牲に自らの私腹を肥やすために動いてもおかしくはないのである。
どちらにしても――隙を突きあっさりと倒すことが出来たオーガと違い、このユニークは完全にクリスやホワイティがいることを認識して襲い掛かってきた。
動きもその体格の大きさからは考えられないほどに俊敏で、背中を見せて逃げるにはあまりに危険な状況。
だが、これがオーガであることに変わりはない。ならば、とクリスは魔法を行使しユニークオーガに次々と放っていった。
今の自分の魔法では倒すのはもしかしたら難しいかもしれないが、それでも基本魔法耐性の低いオーガ種だ。怯ませることぐらいは可能だろう。
そしてそれが上手く行けば何とか逃げ切ることも可能かもしれない。
そう、思ったのだが――結果としてこのオーガには全くクリスの魔法は通用しなかった。怯むどころか、クリスの放った風の刃や火の玉、石礫などそれら全てをいくら受けようが全く意にも介さず迫ってきたのである。
その結果、今がある。オーガは距離を詰めてその豪腕を振るってきたが、ギリギリのところでホワイティの聖詠が間に合い、聖なる障壁によって相手の攻撃から耐え続けているのである。
だが――このままではジリ貧なのは明らかであった。ホワイティの魔力とていつまでも続くわけもなく、また障壁を絶えず殴り続けられ精神的な負担も大きい。
暴れまくる敵を前にして聖詠を続けるのは見た目以上に厳しい作業だ。精神をすり減らしながら、それでも詠唱をやめられない。
ホワイティの額には玉のような汗が多量に浮かび上がっていた。少しずつ声のトーンも落ちてきている。
「ホワイティ様、仕方がありません。ここは私がこの中から一旦出て、相手の気を引きます。その間に、出来るだけ遠くへ逃げてください」
クリスがホワイティに告げる。メガネの奥に映る真剣な瞳で。
そんな彼女にホワイティがふるふると小刻みに首を振る。それが彼女が出来る精一杯の意思表示であった。
彼女は心が優しい、それは一緒に過ごしてきたクリスが一番良くわかっている。あれだけの目にあいながら、やめていった冒険者に恨み言の一つもこぼさない。
ホワイティは今のクリスにとって最も信用できる相手であり、そして己の命を投げ打ってでも守りたい存在だ。
だから、クリスは決心する。だけど、ただでやられるつもりはない。
「大丈夫ですよ。私もただ囮になるつもりはありませんから。実はまだ奥の手があるのです。それを使えば一緒に逃げられますよ」
にこりと優しく微笑み告げる。彼女の心配を少しでも取り除こうと。そして、忌憚なく彼女が逃げられるように。
「では、行きます!」
何かを言いたげなホワイティを残し、クリスが障壁の外へと飛び出した。
そして手持ちのナイフを一つユニークオーガに向けて投げ、自分へと注意を向けさせる。
クリスは肉体派ではない。勿論一般人に比べたらそれなりに身体能力が上だと自覚しているが、このようなオーガ相手にナイフ如きではダメージなど一ミリも与えられないことは判っている。
だから、この一投はオーガの意識をホワイティから外すため。そしてその作戦はうまくいった。
オーガとて、いつまでも食べられるか判らない餌より、確実に喰らうことのできる獲物の方が嬉しいだろう。
ましてや小柄で儚げなホワイティよりはクリスの方が食いでがあるに違いないのだ。
オーガが手を止めクリスに向けて猛進を始める。木々が揺れ、大地が軋む。
だが、クリスがホワイティに告げたことの全てが強がりや嘘からくるものではない。
確かに奥の手はあった。だが、それは今のクリスにとって苦痛を伴うものだ。
意識を集中させ魔力を集める。最初に放った魔法よりもより高位の魔法へ昇華させるため。
だが、制約が容赦なくクリスの身体を蝕んだ。激痛が内側から押し寄せその身を締め付ける。頭が割れるように痛い。
「アース――スパイク!」
だが、それでもクリスは激痛に耐え、なんとかそれを完成させた。地面に手を添え、行使された魔法――刹那、迫るオーガの足元から長大な土杭が無数に吐き出され、オーガの肉体を貫きに掛かる。
倒せなくてもいい、せめて、これで足止めを――そんな思いで行使された今のクリスの精一杯。
だが――その結果は無情であった。生み出された杭はユニークオーガの身を貫けず、それどころか全くダメージを負っていない。
結局、オーガの突進に耐えきれず、全ての杭はあっという間になぎ倒され、遂にオーガの接近を許してしまった。
(ごめんなさいホワイティ様――)
クリスは魔法の行使の為、地面に膝を付けてしまっていた。しかも制約に逆らった影響で今も激痛が全身を襲っている。そんな状態から立ち上がってその攻撃を避けるのは不可能に近い。
なぜなら既にオーガが腕を振り上げ攻撃モーションに入っているからだ。
クリスは自分の死を悟った。最後に望むのは忌み嫌われ続け、言われなく差別を受け続けた彼女を救ってくれたあの人の娘――そう、まるでお姉ちゃんが出来たみたいと接してくれたホワイティの無事。
「テメェは簡単に諦めてんじゃねぇよ――」
だが、豪腕が振り抜かれる音とその声が耳に届いたのはほぼ同時であった。
しかも瞑目したクリスの身に、訪れる浮遊感。
瞳を開ける。見えたのはスカートをはためかせ、空中を漂う自分の姿。
そして、何故かお姫様抱っこをされている自分と、見覚えのある少年の顔。
「アヴァン――え? どうして?」
「……たまたまだよ、たまたま、見かけたからだ」
そして少年、アヴァン・スターツはクリスの質問にそう答え、ホワイティのそばに着地した――




