第十七話 由来
「それにしても彼、中々だったのではないですか? あれなら特別待遇でドラゴンランスに招いても良かったと思うけどねぇ。それにこの町に立ち寄ったのも、彼のことを耳にしていたからなんだし」
道すがらケンブリッヂがドリュウに向けて述べる。それはあのアヴァンという少年の感想に他ならなかったわけだが。
ただ、重装感溢れる全身鎧姿に戻った彼は、一旦考え込む仕草を見せた後、回答を述べる。
「……あれではまだまだだ。あの程度で調子に乗られては困る」
「素直じゃありませんね。大体彼、貴方相手に三十秒も持ちましたし、正直B級冒険者でも貴方相手なら十秒持てばいいほうなのにね」
しかも一撃あてそうでしたし、と付け加える。あの時ドリュウはアヴァンの一撃を両手で受け止めたが、本来それ自体がありえないことであった。
ましてこれまでドリュウは、例えハンデを設けていても、ルーキーと呼ばれるような新人冒険者相手は勿論B級冒険者程度であれば、攻撃をかすらせることすら無かったのだから。
「……お主がどう評価しようが自由であるが、どっちにしろあやつはドラゴンランスにはこないであろう」
すると、ドリュウの発した言葉にケンブリッヂは目を丸くさせる。
「一体なぜそう思うのですか?」
「……さあな、私にも判らん。だが、なんとなくそんな気がしてならないのだ」
得心が行かない様子でため息をつくケンブリッヂである。すると、ドリュウはその足を早めた。
「あ、ちょ、ちょっと待って下さいよドリュウ。全く、私は肉体派ではないのですからね~」
そんな彼を、必死に追いかけるケンブリッヂであり。
「ふぅ、全く少しは私の事も考えて欲しいですね」
「ふん、お主はもう少し体力をつけた方が良いぞ」
呆れたようにドリュウがこぼす。
「いいんですよ、私は頭脳派なんですから。あ、それとドリュウ」
「何だ?」
「さっきの試合の時に言っていた、一.二五トンは一二五〇キロというあれ、幼年学校の低学年レベルの計算ですからね」
「なんだと!?」
そして意趣返しと言わんばかりに返されたケンブリッヂの指摘に心底驚くドリュウであった。
この男、確かにドラゴンランスでも五本の指に入るという実力者ではあるが――心底脳筋であったという……。
◇◆◇
自らが仕掛けた試合は、アヴァンの見事なまでの敗北という形で幕を閉じた。
だが、そのことを延々と引きずるアヴァンではない。例え今回負けても次に勝てばいい。
ならばそれだけの実力を身につけるまでだ。そう気分を一新させ、宿へと戻ってきたアヴァン。
ケンブリッヂが言っていた通り、確かにダメージこそ残っていなかったが、それでも今日は依頼のこと、そしてドラゴンダンスの事など色々なことが重なった。
そこまで激しい疲れを感じているわけでもなかったが、気分をリフレッシュするためにもここはひとっ風呂浴びてさっぱりすべきだなと考え、宿に設置された大浴場へと足を進める。
「先輩! 暖簾の洗濯が終わったので交換しときやした!」
「おう、ご苦労さん。ところで誰か入っていたか?」
「へい! 一人女性で入浴中のがいたようです!」
「……覗いてないよな?」
「そ、そんなことしてませんよ! 仕事もばっちりですって!」
「ふ~ん、まあいいが、まさか逆につけたりしてないだろうな?」
「いやだなぁ、そんなベタなドジ踏むわけないじゃないっすか~」
「それもそうだなガッハッハ!」
「男はこっちだな……」
何か途中で使用人らしきふたりを見たアヴァンであったが、とりあえず気にすることなく、男と書かれた青い暖簾を潜っていく。
「誰か先客がいたか……」
脱衣所と浴場とはガラスの扉で仕切られている。とは言えこのガラスは湯気によって常に曇っているため、外からでは中の様子は確認できない。
とは言え、湯浴みする音はしっかりと聞こえてきた為、誰かが入っているのは確かだ。
尤も、ここは公共の浴場だ、誰かが入っていたとしても文句は言えない。
そもそもこの宿は、宿泊客以外にも五百ジュエリー支払えばお風呂だけの利用も可能となっている。
その為、普段は自分の家で過ごす町人も、やってくることは多いのだ。
そう考えれば、むしろ他に先客がいないことのほうが珍しいと言えるだろう。
ただ、そこまで混雑していないのは脱衣所の様子から知ることが出来た。こういった場では脱いだ衣服を入れておくための籠が用意されているが、その殆どが空だったからである。
これであまりに混雑していると落ち着かないものだが、これぐらいならば十分ゆったりできるか、とそんなことを考えつつも籠に全てを脱ぎ入れ、タオルを片手に浴場へと向かう。
ガララと戸を開け、とりあえず入り口近くに溜められた中の湯を掛け身体を洗う。
それから鼻歌交じりに浴槽へと向かった。中々湯気が濃く、どこに誰が居るかは判別つかないが、ちゃぽんっといった耳障りのよい音が湯船から届いてくる。
先客は今は湯船の中のようである。
「湯加減はどんな感じですか? やっぱりゆったりできるお風呂はいいものですよね~」
なので出来るだけ愛想よく、余所行きの口調で、先客に語りかけつつ、湯船に手を入れた。
すると、ファッ! と息を呑む音がアヴァンの耳朶を打つ。
あれ? と一瞬笑みを引きつらせた。なぜなら声がやけに高く感じたからだ。
だが、そんな声をした男だっているはいるだろ、と考えつつ、妙に大げさに後ろに身体を仰け反らせている先客に目を向ける。
かなり近づいたことで湯気に隠れている部分が段々と顕になっていき、そこに浸かっていたのは――
「……へ? く、クリス? え? なんで? てか、お前風呂なのにメガネ――」
「ふぁ、ちゅ、ちゅい、ひょ、ひょんね、が――こ、この! 変態エロ男爵覗き魔の出歯亀ぇえええぇええぇええ!」
刹那、全身を痺れが襲い、激しい熱に包まれ、突風に追いやられ、そしてちょっとした津波の如き鉄砲水によって追い出された上、しこたま床に頭を打ち付け気を失ってしまうアヴァンなのであった――
「いや、本当こちらの間違いでご迷惑おかけいたしました」
「本当申し訳ないっす」
「お前、もっとちゃんと謝れ!」
「ごめんなさいっす!」
「あ、あの、お詫びにお風呂専用の無料券差し上げますので……」
「はい! 許します!」
「ありがとうございますーーーーーー!」
アヴァンが覗き魔の変態と間違われた後、暫く気を失っていたアヴァンであったが、気がついて通路にでてみたら宿の店主や使用人が横に並び、クリスに深々と頭を下げ謝罪しているところであった。
どうやら話を聞いていてわかった限りでは、最近使用人として雇ったばかりの男がミスをして、男湯と女湯の暖簾を逆に掛けてしまったらしい。
それに、なんてベタな間違いだ! と呆れるアヴァンであったが、とりあえず誤解は解けたようでほっとする。
「それにしてもタダ券ぐらいで許すとはな、意外と簡単なんだなお前は」
「話しかけてこないで変態。反吐が出る、あ、つい本音が、え~と、汚物は消毒です!」
「おま、本音って! いまそれ向こうの間違いだって判ったばかりだろが!」
まさに汚物を見るような目を向けてくるクリスに思わず叫ぶアヴァン。弁解の余地は十分にあるのだから仕方ない。
「本当ですか? 実は気がついていたのに、どさくさに紛れてしめしめと思ったんじゃないですか? そしてあわよくば、とか、この獣!」
「勝手な想像やめろよ!」
強く歯噛みし、目を細め声を張り上げるアヴァン。しかしクリスの目は冷たい。
「とにかく、これは向こうのミスなんだからよ……」
そしてため息を吐きつつ、再度繰り返す。
「そうですね、残念です。一応はこれで貴方のの無罪は証明されてしまうのですから。そうでなければ、慰謝料として六百万ジュエル請求してたのに」
「たけーよ! おま! 体を見られたぐらいでそこまで価値があると本気で思っているのかよ!」
「思っていますよ?」
「…………」
そこまで自信満々に言われるとアヴァンも逆に何も言えなくなる。しかも胸を腕で押し上げて強調してくる。見られるのが嫌ならなぜそんなことをするのか、女心がいまいちつかめないアヴァンである。
とはいえ、その後は微妙な沈黙が流れた。何せクリスに勧誘されたギルドはもう辞めた後だ。それは気まずくもなる。
正直アヴァンとしてはこのまま立ち去ってしまってもよかったのだが、ただ、どうしても気になることがあり、バツが悪そうに口を開く。
「あ~その、なんだ――」
「そういえば貴方、ドラゴンランスと一悶着あったそうですね」
だが、それを塞ぐようにクリスが話題を振ってきた。
ただ、アヴァンとしては彼女には余り知られたくなかった事でもある。
「……チッ、耳が早いな」
「私の情報収集力を侮ってもらっては困ります、と、いいたいところですがあれだけの騒ぎですからね、町の人間で知らない人なんていないですよ?」
「え? マジで!」
「呆れました、自覚がないのですね? ドラゴンランスの一撃竜殺ドリュウに無謀にも試合を挑み、ボロカスにやられた若造がいるってもうもちきりですよ」
「そこまで!?」
二度目の驚きを見せるアヴァンである。しかも中々悪意のある広がり方であった。
「それにしても、あれだけ自信満々だったのにあっさり負けるなんて、プッ、無様ですね、あっとつい本音が、え~と情けないですね」
クスクスと嘲笑されつつそう言われる。相変わらず本音と建前がほぼ一緒だが、そこはアヴァンも反論しなかった。
「……言い返さないのですか?」
「ま、事実だしな。ハンデを受けて手加減されて、それでも全く歯が立たなかった」
「随分と、諦めがいいのですね」
「諦め? は、馬鹿言え、今はまだってだけだよ。こんなのすぐに追い越してやるさ。俺は最強の冒険者になる男だからな」
「前言撤回します、アヴァンはどこか傲慢ですね」
一瞬、アヴァンが気落ちしているように見えたようだが、その後の決意を耳にし、悪態をつくクリスである。
「言ってろよ。ま、俺がいなくなって残念なのは判るけどな」
「そうですね、でも今更言っても仕方ないです。他を当たることにします。でも、当然私の大切な物も貴方には当たりませんからね?」
「ぐ! べ、別にそっちに未練はねぇよ!」
「……そうですか、判りました。どちらにしてもこれで今度こそ本当にお別れですね」
話も終わり、にべもなく踵を返すクリスであった。しかし、その後姿に向けてアヴァンが声をかける。
「おい、ちょっと待てよ」
「何でしょう? 辞めた貴方とは、もうこれ以上話すことなんて無いのですが」
「……いや、そのなんだ、済まなかったよ」
「……はい?」
アヴァンが頭を下げる。すると怪訝そうにアヴァンを振り返るクリスであるが。
「だから、ギルド名のこと、確かに今思えば俺の勝手な思い込みで馬鹿にしてしまったところもあると思う。あれだけ怒るってことは、何か思い入れがあったんだろ?」
頭を下げながらそう問いかける。するとクリスは、じっとその姿を見据え、そして一言口にする。
「……竜の求愛行為ですよ」
「へ?」
「だから、ドラゴンダンスです。それが、ギルド名の由来」
クリスの返答に間の抜けた顔を見せるアヴァンであったが、更にクリスの説明は続いた。
「竜の求愛? そ、そうなのか」
「はい、もともとは先代のマスターがつけた名前。凄く荒々しいイメージのあるドラゴンですが、雌に気に入られようと見せる踊りはとてもそんな様子を感じさせないほどに美しく、慈しみに溢れるものだそうです。竜の求愛ダンスなんてそう簡単に見れるものじゃないらしいですけどね」
「……なるほどな、つまりそれぐらい希少な存在になりたかったってことか」
「いや、違いますね。中々思考が斜め上に行っていてびっくりです」
「わ、悪かったな!」
呆れたように指摘され顔を真っ赤にさせるアヴァンであった。
「……先代は言っていました、求愛のダンスを魅せるドラゴンのように、強く優しくそれでいて人々を魅了するような理想的なギルドを目指したい、そして、例え力をつけてもそれに慢心せず冒険者として美しく有りたいんだ、とね。そういう想いを込めてドラゴンダンスを立ち上げたのですよ」
どこか遠い目で語るクリス。特に先代のことを口にする彼女の瞳は、どこか誇らしげであり、それいて――悲しみも帯びている、そんな雰囲気を醸し出していた。
「……そうか、そんな意味が――うん? でもそうなると、その先代はどうしたんだよ? 正直あのホワイティって子はギルドマスターとしては若すぎだろ? それなのに――」
「死にました」
「……はい?」
なにげに語られた理由に、アヴァンは目を丸くさせるが。
「だから死にました、それだけです。もういいでしょうか? どちらにしてもうちを辞めた貴方にはもう関係のない話です」
「…………」
それ以上は部外者が入り込むな、とでも言いたげな物言いに、アヴァンは口を噤む。
「それじゃあ、今度こそさよならですね」
「あ、おい」
「ああ、そうだ――」
だが、釈然としない思いから、思わず声を上げる。すると、何かを思い出したようにクリスが彼を振り返った。
「その、さっきのアレ、へ、変な妄想して妙な事に使わないでくださいね!」
そしてジト目でそんなことを言ってくる。だが、アヴァンはすぐには理解できず、は? と頭に疑問符を浮かべるばかりである。
「それじゃあね」
そして一体何のことか? と考えてる間に、クリスはそのまま立ち去ってしまった。
アヴァンはどうしようか迷ったが、確かに既にギルドをやめた身。これ以上何を話しても仕方がないだろうと、自分も部屋に戻ろうと考えるが――
「……うん? 変な、妄想、て!」
ガバッ! とクリスの去った方を振り返る。そして顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「ば、馬鹿野郎! 誰がそんなことに使うかーーーーーー!」
しかしそうは言ったものの――それがきっかけで逆に気になってしまうアヴァンであり、思い出したくなくても思い出してしまうのである。
そう、あの大きな果実や、見事といえる抜群のプロポーション、しかも唐突に思い出される大切な物という響き。そんなこともあってクリスの裸体をどうしても思い出し悶々とした夜を過ごすアヴァンであった――




