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「い、医務室? ヘルミオネがですか?」
学園に戻った直後。職員室にいた彼女の父・アキレウスは頷いていた。
「外で授業してたっけ、いきなり倒れたらしくてなあ。しかも放心状態、なのか? まあ様子がおかしくてよ、担当の先生に診てもらったんだが……」
「な、何か、重い病気でも?」
「いや、今んところは大丈夫だ。でも加護を使って調べたところ、神の呪縛だかが掛かってるって報告でな?」
「――」
明確な犯人像が浮かんできた。
父親はそんな真実を知らず、不思議そうに首を捻っている。
「なんか溜め息ばっか零してんだよなあ……呪縛の種類については一先ず、無害だって先生は言ってたんだが」
「……様子、見に行ってもいいですか?」
「むしろこっちから頼みてぇぐらいだよ。ヘルミオネの友達なんて、ボウズとシビュラしかいねえしな。父親としては頭下げたい気分だぜ?」
「あはは、買い被りですよ」
そもそも娘さんの異常、間接的に俺の所為なんで。
謝意を込めながら、アキレウスに深々と頭を下げる。詳細を知らない彼は困惑するばかりだが、こっちも説明する気分ではない。もとい、怒られそうで怖い。
廊下に出たところでもう一度お辞儀をして、医務室がある方向へと歩いていく。目指すは職員室と同じ東校舎の一階。一年生の教室が並んでいるすぐ隣だ。
閑静な廊下を一人歩く。授業の間にある休み時間は既に終わっており、人の気配はすべて教室に押し込まれていた。
シビュラもこちらとは別行動で、数分前に教室へ戻らされている。
……思えば、本当に一人で行動するのは久しぶりだ。教室では常にシビュラがいるし、放課後だって追加の一名が入る。自宅である神殿は言わずもがな。寝る時だって同じだ。
「貴重なんだな、孤独って……」
味わう時間は五分にも満たない。
正面にはもう、探していた医務室の看板が見えていた。ちょうど担当の先生が出てくるところで、こちらに気付くなり手を上げている。
飄々した、メガネをかけた男性だった。医療を司る神の末裔だとかで、オンファロスでもかなり有名な医者らしい。
彼は手袋をつけたまま、握手のため手を差し出した。断る理由もないので握り返す。
「やあやあユキテル君。彼女のお見舞いかい?」
「そんなところです。……ところで先生、いつも手袋つけてますよね? 何故です?」
「危ない菌がつかないようにと思ってさ。私、昔から潔癖症なんだよ」
「じゃあ握手しなければ……」
「いや、社交辞令ってものがあるだろう? 生きる上での仮面は、誰だって身にまとう病だからね」
「や、病?」
忘れてくれ、と手を離した頃に医者は言った。
彼はそのまま昇降口へと歩いていく。部屋の扉は開きっ放しで、勝手に入っていいよ、と無言で主張していた。
「失礼しまーす」
「――」
医務室の右側。並んでいる二つのベッドの一つで、少女は佇んでいた。
人が来たことには気付いていないらしい。アキレウスから聞いた通り、深く嘆息しながら窓の外を眺めている。……一目で病人と分かる雰囲気ではないが、やはり正常な彼女とは程遠かった。
「はあ……」
足音を響かせてもなお、ヘルミオネは外の光景に見入っている。
なんだか一枚の絵画みたいだ。心の変化に戸惑っている表情も、画家の創作意欲を掻きたてるだろう。
――いい加減声をかけたいところだが、この小さな世界を壊すなんて勿体ない。手元にカメラがあるんだったら、記念に一枚納めておきたいぐらい。
「……?」
「あ」
望みは、被写体の方から崩してしまった。
ようやく他人の存在に気付いたヘルミオネは、力のない双眸を向けてくる。寝起きのシビュラと似て、どこか胡乱な瞳だった。




