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「ほらユキテル様、肝心のケルベロスさんは食べてますよ? 我慢できないほど、彼はお腹が空いているということです!」
「いや君が誘惑してるからだよね!?」
「そうですけど、屈する方にも問題はあるんじゃないですか? ほら、昨日のユキテル様なんてまさにソレでしたし。本心を隠すのは健康によくありません!」
「誘惑されることも健康によくないと思う」
それでもシビュラは従わず、餌付けを続行していた。
……しばらくは諦めた方がいいかもしれない。ケルベロスの方には自覚があるようだし、どんな根回しをしたって最終的には本人の意志で決まるんだから。
「ああそうだ、ケルベロスさんに一つ聞きたいことが」
『? 何かね?』
「赤いドラゴンって、知ってますか?」
『うむ』
与えられたクッキーを口の中で何度も噛みながら、三つの頭が頷いた。
視線を向けてくれるのは、そのうちの一つだけ。他二つはシビュラが投げてくるご馳走に釘付けとなっている。
『先ほど地上に出ていったドラゴンであろう? 赤い鱗の竜はかなり稀少だからな、見間違えることなどない』
「名前とか、あります?」
『……確か、メラネオスと名乗っていたな』
「――」
もう、誤魔化しようがない。
メラネオス。ギリシャ神話に登場する英雄の一人であり、ヘルミオネの父親だ。あまり目立った存在ではないが、理知的で冷静な人物であると描写されていることがある。
もちろん、それは神話上の話。似て非なるこの異世界でヘルミオネの父親は別人だ。あの赤いドラゴンと、本人達が自覚する関連性は持っていないだろう。
だから余計にスッキリしない。あのドラゴン――メラネオスは、ヘルミオネを娘として認識している可能性がある。故に二度の邂逅で、彼は好意を示してきたのだ。
「……あの、他には何か?」
『我が知っているのは名前程度だ。親族でもなければ、魔獣同士での交流は滅多にない。因縁のある相手なのか?』
「昨日初めて会ったばっかりですよ。だから少し、気になって」
だがその問題も、一段階先に進んだ。
根本的な解決へ至るには、大迷宮や魔獣の正体を解明させる必要があるんだろう。――あるいは、この異世界が誕生した瞬間。ギリシャ神話の登場人物が出てくる理由。
アテナを始めとした神々に助言を乞いたいが、以前彼女は言っていた。この世界を発見した時には、自分達がよく知る世界になっていたと。
なら真実はもっと奥に。神々が登場する以前の歴史に隠れている。
「……じゃあケルベロスさん、今日はこの辺で。頑張って肉食に戻ってください」
『う、うむ、任された』
眉間に寄っている皺が、自信の無さを語っていた。
シビュラは最後にクッキーを投げて、すぐに俺の隣へ並ぶ。定期的に背後へ向き、ケルベロスに手を振りながら。
「――ところでユキテル様、メラネオスって名前が気になるんですか?」
「え? ああ、多少だけどね」
ヘルミオネの父親なんだ――と、答えるわけにはいかない。
異世界の人々は基本、ギリシャ神話のギの字すら知らないからだ。神々については神話と同一人物に思われるが、アテナ一人しか知らないので確証は持てない。
神殿に帰り次第、その辺りも確認しよう。二日酔いが治っていることを祈るばかりだ。
地上への出口まで、あと少し。
普通の学園生活へ戻りつつある事実に、何だか気分は退屈だった。




