10
約束通り、ケルベロスは大迷宮の一層で待機していた。
地上に出ようとした魔獣を何頭も討伐してくれたらしく、辺りは少しだけ血の臭いが漂っている。一週間前まで一般人だった俺や、神殿で生活していたシビュラには不慣れな臭いだ。
まあ辛いのは、こっちじゃなくてケルベロスの方なんだろうけど。
『ハッ、ハッ、ハッ――』
犬らしく短い間隔で呼吸しながら、六つの瞳は餓えきっている。
昨日から何も食っていないんだろう。こちらの姿を確認した彼は、全速力でやってきた。きちんとお座りをして、一秒でも待てないといった雰囲気である。痙攣までしてるし。
「伏せ!」
何を思ったのか、クッキーを手にしたシビュラは番犬に指示を出した。
空腹の奴隷となっているケルベロスに抵抗する動機はない。誇りも何もかも投げ飛ばして、大きな物音を立てつつ指示に従う。
お望みのご褒美はすぐやってきた。弧を描いて飛ぶ小麦色の菓子に、泣く子も黙る番犬が飛びついていく。
『も、もっとだ! もっとくれ……!』
巨大な肉体を持っているだけに、やはり一つでは足りないらしい。
もちろん予想はしていたので、シビュラは多めに作ってくれている。が、果たして足りるかどうか。個人的な推測で答えるなら、数日ぶっ続けで作らないと無理だろう。
ケルベロスにとっては一つの拷問かもしれない。人間の食べ物に依存させられ、大迷宮で生きていくことが不可能になるんだから。
「……シビュラ、適当にしておきなよ」
「心配には及びませんよ。丁度、複製のネクタル石を持ち込んでいますから。これで量産していけば、ケルベロスさんのお腹もきっと一杯になります」
「いや、でもさ――」
『くっ、これほどの美味が地上に存在していたとは……! 大迷宮に籠るなど言語道断! これからは我も、日の光を浴びて暮らしていくぞ!』
もう手遅れでした。
それを聞いたシビュラは、更に気前を良くして餌を与えていく。……ケルベロスなんて強力な魔獣を配下に出来るなら、確かに利点はありそうだが。
引っ掛かる点があるとすれば、大迷宮の環境にどんな影響を与えるか。現段階ですら問題になっているだから、ケルベロスが地上へ去ってしまうことには同意しかねる。
自分が解決に借り出される可能性も、決して低くはないわけで。
「ケルベロスさん、あんまり食べ過ぎない方が……」
『な、何故だ!? やはり貴公は我らのことを――』
「いや、別に嫌ってませんって。ただ、これ以上生活に支障をきたしたら、大変じゃないですか。許可もなく地上に出てきたら倒されちゃいますよ」
『し、しかし……!』
「ケルベロスさんの名誉のためです。きちと自己管理してください」
千切れんばかりの勢いで振っていた尻尾が、途端に力を無くしていく。顔も全部俯いて、意気消沈、という四文字が似合っていた。
「いいじゃないですか、ユキテル様。ケルベロスさんが食べたいって言ってるんですから、上げましょうよ。材料費だってネクタル石がある間はタダですし」
「駄目ったら駄目。ずっと俺達が餌を上げるわけにもいかないでしょ? もともと下層に住んでたんだから、いつかは戻ってもらわないと」
「うう、せっかくペットが出来たと思ったのに……」
シビュラもケルベロスと似て、がっくり肩を落としている。
なんか、凄く悪いことをしてしまった気分だ。思わず許可を出したくなる――が、ここで靡いてはいけない。もう一個人の話では済まないんだし。
『……うむ、ユキテル殿の言う通りだ。我はもう少し、肉を食って生きることにする』
「え、いいんですか?」
『何を驚く、お主の主張だろうに。――番犬たるもの、己を律することが重要だと気付いたのだ』
「本当ですか?」
『うむ』
二つ返事のケルベロス。
だがシビュラの手に乗った物を見た途端、態度を豹変させてしまった。




