5
預言官に連れられて、俺は寝間着のまま廊下を走っていく。途中、何人もの預言官が見送りに来ていた。アテナの姿も見えるものの、二日酔いだそうで足元が覚束ない。まさに駄女神。
ドラゴンの体躯は相当なもので、離れている筈の神殿からも確認できる。
「――昨日の個体とは違うか」
それよりも一回り大きいぐらい。鱗の色は白で、生物の脅威というよりも神々しさを感じさせる。
だがオンファロスにとって脅威なのは間違いない。こうしている今も、巨木のような両腕で建物を蹴散らしている。
百腕巨神を展開し、俺はドラゴンの足元へと駆けていった。
彼が反応できない程の、一瞬で。
『っ!?』
「ふ――!」
突然現れた敵に対し、白竜の反応は遅れている。
彼に百腕巨神の一撃を躱すことは出来なかった。ガラ空きの胴に轟音が響き、鉄よりも堅い鱗が宙に舞う。
『アァ……!』
反撃は刹那のうちに。攻撃の直後で足が止まっている俺へ、口から火球を発射される。
だがそれも、当たらなかった。
『!?』
ドラゴンが驚愕した直後、衝撃は彼の背後から突っ走った。
特別な理由はない。人間の身体機能を遥かに凌駕する速度で動き、攻撃をぶち込んだだけのことだ。
圧倒的不利を理解しないドラゴンは、懲りずに腕を使って反撃する。
瞬間、
「――」
俺の視界に映るドラゴンは、動きが鈍くなる。
変化は彼に起こったわけじゃない。この世界、流れている時間が、三分の一ほどに速度を落としているだけのこと。
――神話の中で、ゼウスはこれと似たようなことを行っている。該当するシーンは一度だが、彼は夜の時間を三倍に伸ばした経験があった。
故に、加護の力が可能にしてくれる。
「っ!」
攻撃が命中するのと同時に、時間停滞を解除した。
どうも疲労感がある。加護の活動にはエーテルを消費するとのことだし、それが影響しているんだろう。星の時間を操作するなんて、文字通り神の御業。多少のリスクは出てしまう。
もちろん、このドラゴン相手ならお釣りが来るぐらいだった。
百腕巨神の攻撃は、彼の目にどう映ったのか――恐らく、攻撃の起こりさえ見えていまい。数倍の速度で動くこちらの姿はもちろん、何か衝撃を打ち込まれた、ぐらいだろう。
ドラゴンは防ぐ手立てもなく仰け反っている。
トドメはもちろん、停滞した時間の中で行われた。
『ガ――!?』
完封。
駆けつける前に起こった被害を覗けば、そう称して構わない顛末だった。……倒れるドラゴンの下敷きになった建物については、まあ神殿の方から保証を出すとして。
「上手くいったかな、っと」
エーテルの消耗から息を整えながら、俺は仰臥した白竜を見下ろす。
歓声が聞こえたのは間もなくのことだった。被害に巻き込まれて負傷した市民の姿もあるが、一見する限り死傷者の姿はない。
「ゆ、ユキテル君!? 大丈夫なの!?」
「ああ、おはようヘルミオネ」
「おはよう――って、無事なのかどうかを答えなさいよ! 怪我とか――」
「してないって。ほら」
寝間着姿の――そうだ、人前に出る格好じゃなかった。急いで帰って着替えよう。学園だってあるんだし。
ヘルミオネだって制服姿になっている。荷物は一切持っておらず、通学途中には見えなかったが。
「? っていうかヘルミオネ、ここ学園はちが――」
「ユキテル君っ!」
彼女の飛び掛けと、人々の悲鳴が再発するのは同時。
撃破した筈の脅威が、息を吹き返したのだ。
「まったく――」
しかし、こちらが手を下すまでもなかった。
背後から突っ込んできたもう一頭が、再起したばかりのドラゴンを吹き飛ばす。――町の被害は更に拡大してしまったが、好き勝手暴れられるよりはマシだろう。
「き、昨日の……」
大迷宮で挨拶だけしてくれた、謎のドラゴン。
彼か彼女かも分からない真紅の鱗は、またもや俺達に向かって一礼した。動かない白竜を下に置いているため、迷惑をかけてすまない、と謝罪しているように見えなくもない。
留まることはせず、赤いドラゴンは大空へと去っていく。
俺もヘルミオネも大勢の人々も、ただ唖然として見上げていた。




